「その結婚、断固反対」
厳かに執り行われていた麗奈と勉の結婚式を中断したのは、三十代とおぼしき黒いスーツを着たオールバックの男だった。誰もが見惚れるほどの中性的で美しい顔立ちに、その場にいた者全員が釘付けになった。男は麗奈が手にしていた少量の酒が入った器を見るなり、麗奈の目の前へ歩み寄り跪いた。
「こんなの、呑む必要ねえよ」
男は麗奈の手にある器を奪い取り、放り投げた。畳に転げ落ちた器からは少量の酒が零れ、水たまりになっていた。
「何てことを…!」
そう叫ぶ勉を無視し、男は麗奈に手を差し出した。
「迎えに来るって、言っただろ?」
麗奈は黙って男を見上げた。
「こいつの花嫁になるか俺の花嫁になかは、麗奈ちゃん次第だ」
麗奈は周りの視線が気になるのか、俯いてしまった。
「俺の花嫁になるというのなら、俺の手を握れ」
麗奈が顔を上げた。
「…どうする?麗奈ちゃん」
「僕の花嫁に何をする気ですか?勝手に近づかないでいただきたい。大体、あなたは誰なんです?」
勉は麗奈の左手を握った。
「麗奈ちゃん」
男は勉の言葉を無視して、麗奈を黙って見つめていた。麗奈の右手が手を伸ばしたのは、男の大きな手だった。麗奈の手が男の手を握った瞬間、男はぎゅっと麗奈の手を引っ張り立ち上がらせた。男は、勉を見下ろして不敵な笑みを浮かべた。
「私を…さらって」
その言葉を聞いた男は、麗奈を抱き抱えた。いわゆる、お姫様抱っこだ。
「最初からそのつもり」
男は静かに微笑むと、勉を見て言った。
「川橋さん、花嫁はもらっていきますよ。…もともとは俺の花嫁だけど。言っておきますが、返す気ないんで。じゃ」
男は風のごとく走り出した。勉は男と麗奈を必死で追ったが、二人の姿は影も形もなかった。

麗奈を抱き抱えた男は、黒塗りの車に飛び乗った。
「田木、飛ばせ」
「承知致しました、お坊ちゃま」
「お坊ちゃま?」
麗奈は首を傾げて、隣に座る男を見た。
「田木、余計なことを言うな。職務を遂行しろ」
「かしこまりました」
田木がそう言うと、車はどんどんスピードを上げていく。
「わわっ、速い…!」
「しっかりつかまってろ」
麗奈は男のスーツの裾を掴んだ。
「ねえ、トモくん。お坊ちゃまってどういうこと?」
「その言葉は忘れろ」
スーツの男は、いつも麗奈を助けていた黒ずくめの青年、智和だった。
「智和お坊ちゃまはですね」
田木がそう言うと智和はごほん、と咳払いをした。
「田木」
「申し訳ございません」
田木はそう言って急ハンドルを切った。麗奈は思わず智和の腕にしがみついた。
「おい、そんなに急ハンドルを切るな」
「申し訳ございません。なにぶん、急いでおりますので」
「うう…」
麗奈が呻き声を上げた。
「麗奈ちゃん…?どうした?」
智和は麗奈の顔を覗き込んだ。青白い顔をした麗奈の背中を、智和は優しく擦った。
「酔っちゃった…」
「そうか、ごめんな…。田木、荒い運転は避けろ」
「総長。私もそうしたいのはやまやまなのですが、追っ手が迫っておりますので」
「追っ手?…ああ、あの車か」
智和は、バックミラーを見た。
かなりのスピードで追いかけてくる水色の車が、智和の乗る車の後ろにぴたりとついて離れない。その車は、間違いなく勉のものだった。
「随分と麗奈ちゃんに執心だな」
「ええ、かなりのくせ者ですね。恐らくあの方はストーカー予備軍かと」
「その可能性は高いな。それと、田木。予備軍じゃなくて、あいつはストーカーになりつつあるぞ」
「ええ、ストーカーになるのに時間はかからないでしょうね」
麗奈は不安そうな顔をしながら、田木の言葉を聞いていた。
「束縛が酷いんです」
麗奈がやっとのことで口を開いた。
「大丈夫か?無理して話さなくていい」
「でも…」
「今はゆっくり休め」
麗奈は静かに頷き、目を閉じた。
安心したかのように智和に腕を絡めて寄り添う麗奈を見て、田木は二人の姿を微笑ましく見ていた。
「良かったですね、お坊ちゃま。長年の想いが結ばれて」
「まあな。…つーか、長年とか大袈裟。そんなに長くねえよ」
「私は嬉しいです。お坊ちゃまは麗奈様とお会いにならなくなってからというもの、魂が抜けて…」
「抜けてはいねえよ」
智和はすかさず突っ込んだ。
「失礼致しました。…仲の良いお二人を見ていると、私は心がほっこり致します」
「田木、その話はここまで。麗奈ちゃんが気分を悪くしないように、あいつを撒けるか?」
「お坊ちゃま、お任せ下さい。どんなにしつこい者であろうと、撒いてみせますよ。私めに、不可能などありませんから」
「ふっ…さすがは俺の運転担当だ」
智和が目を細めると、智和の乗った車は更にスピードを上げて勉の車から遠ざかった。