拓真は、店の前に停っている黒塗りの車を見て溜息をついた。見覚えのある車だった。
「どうしたんすか、若」
健が拓真に言った。
「あの車」
「げっ、もしかしてあの車って…」
健は拓真と顔を見合わせた。
「組長の車っすよ」
健と拓真の背後にいた大知は、壁にもたれたまま言った。
「大知…お前最近、ここを抜け出してどこへ行ってるんだ?仕事の方が疎かになるのはいくらなんでも見過ごせない」
「若、そのことなんすけど…俺、今日限りでここを辞めさせていただきたいです」
「は?何を言ってんだよ。勝手なことは許さんぞ」
壁にもたれかかる大知に、拓真は詰め寄った。
「若…辞めるのには理由があるんすよ。聞いてくれますか?」
「ああ、話せ」
大知の真剣な顔を見るのは久しぶりだな、と拓真は思った。二人を見守る健の傍には、いつの間にか麗蘭が立っていた。
「俺、組に戻ります」
「は?何言ってんだよ、大知…。お前、足を洗ったんだよな?」
「洗いました、綺麗さっぱりと」
「じゃあ、何で」
「…若。好きな女のためなら、どんなことだってするでしょう?」
大知は背の高い拓真を見上げて言った。
「大知、お前…」
「俺、やっぱ麗奈ちゃんを諦めきれねえ。だから、麗奈ちゃんをあいつから奪いに行く。…そういうことっす」
麗蘭は大知に駆け寄ろうとしたが、健が麗蘭の腕をやんわりと掴んで阻止した。
「こら、そこ!健!麗蘭に勝手に触れんな!」
拓真は健を指さした。
「うっわ、やっべえ。また若の嫉妬心に火がついちまった。ったく…このくらいで嫉妬とか、まじ勘弁」
「たーけーるー?5秒以内に麗蘭の腕を離せ。3…2…」
健は慌てて麗蘭から手を離した。
「5秒とか言っといて3から数えるとか、反則っすよ若…」
健の独り言は、見事に無視された。
「あの〜俺の話…」
蚊帳の外の大知に気づき、拓真は悪い、と呟いた。
「麗奈ちゃんを取り返すんだな?なら、正々堂々としてればいい。、なぜ組に戻る?足を洗ったお前が、なぜ…」
「麗奈ちゃんを取り返すには…時間がないんすよ、若」
「時間が無い…?どういうことだ?」
大知は寂しそうに笑った。こんなに辛そうな大知を見るのは初めてだ、と拓真は思った。
「麗奈ちゃんは明日…人妻になる」
「はあ?人妻…!?」
健が大声で叫んだ。
「ああ。麗奈ちゃんは婚約者と明日、式を挙げる」
「まじかよ…」
健は拳を握りしめた。
麗奈は婚約者である川橋勉と結婚するのだ。大知は、絶対に麗奈を渡したくないという思いが更に強くなっていた。
「だからそれなりの権力がないと…かっこつかないと思ったんすよ、若」
「権力なんていらない。僕がなんとかしてやる」
「若の手を煩わせるようなことは…」
「いいから。お前は俺の大切な部下であり、友人だ」
「若…」
拓真は店を出て、店の前に停る黒塗りの車へと近づき、窓をこんこんと叩いた。するとドアが開き、一人のスーツを着た目つきの鋭い男が、拓真に頭を下げた。
「拓真さん、ご無沙汰しております。大知兄さんを迎えに来ました」
「そのことだが、僕が親父に掛け合う。大知にはもう近づくなと伝えてくれ」
「若、もういいっすよ」
拓真が振り返ると、大知が後ろに立っていた。
「若の気持ちは、涙が出るほど嬉しいっす。でも…これは決定事項なんすよ」
「大知…?決定事項とは何だ?」
「俺は…若の代わりに組を継ぐ…」
「やめろ…!」
拓真は大知の肩を掴んだ。
「正気か?お前…正気なのか?そんな簡単に出入りできるところじゃないんだぞ!?あんな血なまぐさい…愚かな争いを繰り返すあの場所に、お前はまた戻るのか!?」
「若…俺だって好きで行くわけじゃないっす。でも、若のため、麗奈ちゃんのためなら…どんなに俺の血が流れても、悔いはありません」
ばしっ、という音が響いた。
「大知兄さんに何てことを…!」
スーツを着たその男は、大知を殴った拓真を押さえつけようとしたが、大知がそれを許さなかった。
「やめろ」
「ですが…!」
「やめろと言っている。若に手を出したら、いくら可愛い弟分でも容赦しないぞ」
「す、すいません…」
男は大人しく引き下がった。その様子を見た拓真は、大知ならやっていけると確信した。