「亜里紗さん」
店の入口のドアから出てきた男を見た瞬間、亜里紗は麗奈から離れて男に駆け寄り、体をくねくねさせていた。
「あっ、勉さま〜っ!」
麗奈は、姉のあまりの変わりように空いた口が塞がらなかった。亜里紗は、能力やスペックが自分より下の者に対してはことごとく侮蔑するものの、高スペックで高い能力を持つ者に対しては媚びへつらう。そして、無類のイケメン好き。その様子を間近で何度も見てきた麗奈は、姉が駆け寄った勉という男はさぞかし名のある家の御曹司なのだろうと思った。それに、かなりのイケメンだ。頭も良さそうだな、と麗奈は思った。
「亜里紗さん。私共の店の者が、貴女とあの女性が喧嘩をなさっていると慌てふためいておりました。私と致しましても、気が気ではありません。どうか、お気を沈めてはくださいませんか」
「勉さまがそう仰るなら〜そうしますぅ」
亜里紗は勉に甘い声を出した。
麗奈は、そんな姉の姿に鳥肌が立った。表裏のある人間とは姉のことなのだと思った。
「ありがとうございます。…あの、あちらの方は」
勉が麗奈を不思議そうに見ていた。
「ああ、あそこで突っ立っている子は麗奈。私の妹です」
「亜里紗さんの、妹さん…麗奈さん、か…」
勉は、目を瞬かせる麗奈を見て呟いた。麗奈は勉と目が合うと、恥ずかしそうにしながらも頭を下げた。
勉が亜里紗に似つかない麗奈に出逢ったその日から、愛の歯車は音を立てて違う方向へと静かに回り出した。


「ここにいたのね、麗奈」
その声に振り向くと、亜里紗が呆れたように腕組みをして立っていた。
「全く、いいご身分ね?いつもいつも庭でのんびりと。薄血(うすち)のあんたを20年以上もお母様とお父様が育ててくださっているっていうのに!あんたは何もしないで庭を散歩?ティータイム?花を愛でる?…いい加減にしなさいよ!もうあんたは子供じゃないのよ?役割を果たせ、って言ってんの」
薄血というのは、崎本家でよく使われている言葉。血の繋がらない人間のことを指す。
麗奈の腕をがっしりと掴んだ亜里紗は、麗奈を地面へ思いっきり放り投げた。
「いたっ…」
麗奈は膝を擦りむいて出血していた。体育座りになって傷を確認している麗奈に亜里紗は背後から馬乗りになり、地面へ押し付けた。
「いたい…お姉様、痛いです…」
麗奈は泣きながら亜里紗に訴えたが、無駄だった。
「痛い?少しは私の苦しみもわかってくれた?この泥棒猫が!」
亜里紗は麗奈の右手を自らの靴で踏みつけた。
「…っ、い、たい…」
途切れ途切れに聞こえる、麗奈の弱々しい声。
「あんたが悪いのよ?私の勉さまを、横取りするから」
「よ、横取りなんてしてません」
「あんたがいなけりゃ、勉さまは私のものになっていたのに…!それをあんたがことごとく邪魔したのよ?その責任だけはしっかりと取ってもらうから」
痛みに呻く麗奈の手から出血しているのを見た亜里紗は、麗奈の手を解放した。
「泥棒猫にはこれがお似合いよ」
亜里紗の高笑いと足音が遠ざかっていくのが、麗奈にはわかった。
麗奈は、泥だらけになっていた。