麗奈は広い庭でただ一人、椅子に座って溜息をついた。勉と二度寝したあの日のことが、なかなか忘れられなかった。最初は勉といられてとても嬉しかったのだが、勉の言葉に酷く動揺してしまってからは幸せな気分が台無しになってしまった。

『それならば、僕の言うことを大人しく聞いてください』

その言葉は、麗奈の心の傷を深くえぐっていった。勉は何度か、似たようなことを麗奈に言ったことがあった。
勉の真っ直ぐな気持ちは嬉しかったものの、なかなかその想いに応えられずに悩んでいた頃、
「お嬢様…どうして僕の言うことを聞いてくださらないのです?」
と、何度も迫られたことを麗奈は思い出していた。

ある時は壁に押し付けられながら。ある時はドライブデートの真っ最中に、車の中でシートに押し付けられて。またある時は、庭の奥で人気がないのをいいことに、過度なスキンシップを仕掛けられながら。勉は過度な束縛はしないものの、全く束縛がないわけではない。むしろ、多少の束縛はある。自分を大切にしてくれるのは嬉しいけれど、と麗奈は再び溜息をついた。
肩や腰の愛撫に留まらず、最近はくるぶしや足、太腿にかけてまで愛撫してくるようになり、拒否をしてもあの言葉が出てきて結局、麗奈の想いは取り残されてしまう。

『なぜ僕の言うことを聞いてくださらないのです?体は正直ですよ。ほら…こんなに僕を求めている。お嬢様も、正直に…』

そう言っていつもはぐらかされる毎日に、麗奈は嫌気がさしていた。自分の想いをしっかり受け止めてくれない勉に、麗奈はいつしか不満を持つようになっていった。


麗奈は思い出の世界へと度々飛んでいく過去に縛られている人だった。
今日も麗奈は思い出の世界へと旅立つ。川橋勉と交際するまでの経緯を、麗奈は空に浮かぶ雲を見ながら振り返った。

ショッピングへ、姉の亜里紗とともに外に出ていた麗奈は、ひとつの店に目が留まった。その店の名は、アパレルブランド『SAKIMOTO』の関連会社でアパレルショップを展開している、『KILALA』だった。『KILALA』は若者ー特に女性をターゲットとしたアパレルショップで、洒落たデザインの服がずらりと並んでいる。この店に置かれている服は、殆どが有名アパレルブランドである『SAKIMOTO』の服で埋め尽くされている。まるで宝飾店のように、きらきらと輝きを帯びているように見える店内に釘付けになった麗奈は、『KILALA』のショーウィンドウに両手をつけて顔がくっつくほどにディスプレイを見つめた。
「お姉様、私、ここに入ってみたいです」
「だめよ。道草しないの」
「で、でも私、ここに入ってみたいです」
「駄目って言ってるのがわかんないわけ?」
「で、でも〜」
「ほら、まだ行くところがあるんだから早くしてよ」
「いやだぁ〜!入りたい!」
「駄目って言ってんでしょ!何回言ったらわかんのよ!」
ショーウィンドウから麗奈を引き剥がそうとする亜里紗は、人目もはばからずに麗奈の腕を無理やり引っ張っていた。
「お姉様、痛いです…」
「痛いんなら離れなさいよっ…!」
「ここに私は入りたいんです!いつも家の中ばかりじゃ退屈なんです。少しくらい気晴らしさせていただいても、罰は当たらないはずです…!」
「あんたの頑固さにはもう飽き飽きしたわ。さっさと離れなさい!!」
「いやです、中に入る…!」
麗奈と亜里紗が喧嘩している姿は、道行く人達に目撃されていた。
気の強い亜里紗の怒鳴り声にも負けず、大人しい麗奈は意地を張り対抗していた。周りからの好奇の視線が気になりつつも、2人を包む空気は張り詰めていた。

一方、『KILALA』の店内で仕事をしていた店員は、外の異変に真っ先に気付いた。喧嘩する二人を見て、店員は慌てて奥へと入っていった。
「て、店長!大変です!」
「ん?どうした、涌井」
「外で、喧嘩をしている方が二人…」
「喧嘩?」
「はい。それが…」
「それが?」
「崎本のお嬢様なんですよ。もう一人は、女性ですが初めて見る方です」
「亜里紗さんか…そうか、わかった。僕が対応する。店のことは頼む」
「はい、わかりました。お気をつけて…」
「ああ」
店長と呼ばれたその男は、溜息をつきながら店の玄関へと向かった。