小牧さんは家まで送ると言ってくれたけれど、断った。29年間、彼氏に自宅まで送り届けてもらったのとはなかったし、それに家族と遭遇してしまったら少し気まずい。
小牧さんのことを会社の人、と紹介すれば彼は丁寧に挨拶してくれるだろうけれど傷付けてしまうことになる。しかし彼氏、と紹介する勇気もない…。だってきっと両親は私の花嫁姿を期待してしまうだろうから。
「今日はありがとうございました」
次の駅で降りるため、改めてお礼を言う。
まだ早い時間のためか終電のような混雑さはなく、どこか酒臭さのある車内のドア付近で小牧さんと向き合う。
「こちらこそ付き合ってくれてありがとうございます。ゆっくり休んでくださいね」
「はい。小牧さんも」
最寄りの駅に着き、目の前のドアが開いた瞬間、小牧さんは私の頬に触れた。
ほんの一瞬、また掠める程度に。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい…」
ちょうど乗り降りする者がおらず僅かな時間、見つめ合う。
もう少し一緒に居たい。
茶色の目がそう言ってくれた気がした。
けれど言葉は交わさず、ゆっくりとドアが閉まっていく。
もう少し一緒にーー私も、そう思った。
尾を引かれる思いで電車から離れて、完全に閉まったドア越しに手を振る。
小牧さんもそっと手を挙げて応えてくれた。


