悠子さんの言ったことは本当だった。

もしかして、あの初老の女性にからかわれたのではないかと内心思ったりもしたが、それでも彼女に会いたくて、10日後、僕はまた海辺に出掛けて行った。

悠子さんは、この前と同じショールを肩にはおり、堤防をゆっくりと歩いていた。



「こんにちは、お会いできましたね。本当に悠子さんに会えるか心配だった」


「まぁ、私、ウソは申しませんよ。今日は波が静かね」



僕達は一時間近くを海辺で過ごした。

悠子さんは、僕が忘れられない人のことを聞きたがった。

パーティーでどう振舞ったのか、どんな話をしたのか、また、容姿なども聞いてきた。


身長は? 背の高い方ね。

お顔は? お顔の小さい方っていいわね。

指は? 長くてしなやかだなんて、羨ましいこと。


悠子さんと話しながら、思い出の中の彼女は、より美しく輝きだした。

忘れないように、大事に大事に、心の奥にしまいこみながら。





あれから何度通っただろうか。

冷たく刺す海風は通うほどに温かくなり、今日など暑いと感じるほどだ。



「そろそろ散歩の時間を変えようかしら。初夏の日差しは、私にはまぶしすぎるわ」



悠子さんの肩から冬のショールはなくなり、陽射しから色白の肌を守るように薄いストールを羽織っていた。  

その頃になると、僕たちの話題は過去から離れて現在へと移っていた。

悠子さんは、以前教えていたフラワーアレンジメントを、人に乞われてまた教え始めたと楽しそうで、
僕は、軌道に乗った紳士部門の新しい企画に夢中だった。



「午前中は、お友達のお嬢さんや近所の方がいらっしゃって、夜はお勤め帰りの方を何人かお教えしているの」


「それはすごいな。ステキな人がいたら紹介してくださいよ」


「えぇ、もちろんよ……利樹さん、もう大丈夫ね。ひとつの恋が終わっても、新しい恋は必ずやってくるの。あなたにもきっとね」



悠子さんの言葉は、折々に僕の心に新しい風を吹き込み、うつむきがちだった僕の気持ちを引き上げてくれた。



その出会いが偶然だったのか必然だったのか、いまでもわからない。

ただひとつ言えるのは、悠子さんとの出会いが僕を新たな出会いに導いたということ。

仕事で何度か一緒になった女性だった。

強烈に惹かれたわけでもなく、さりげなく気配りをする姿が心に残った。

それが佐緒里だった。

打ち合わせが長引き疲れ顔のみなに、お疲れ様でした、と言いながら笑顔で接する姿が印象的で、 会議のあと片づけをさりげなく手伝う姿を何度となく目にした。

佐緒里を悠子さんに紹介したのは、佐緒里に出会ったってから一年以上たったころだった。

プロポーズをした僕へ、私には無理です……と返事を躊躇う佐緒里に、



「あなたは利樹さんが選んだ人ですもの、自信をおもちなさい、大丈夫ですよ」



悠子さんは佐緒里の背中を押してくれた。




携帯の着信画面に懐かしい人の名前が表示されたのは、僕が婚約を発表をした翌週だった。

以前は毎日のように聞いた声が、いま懐かしく耳に響く。

互いの幸せを願いながら電話を終えたあと、彼女のアドレスを消去した。

彼女を思いながら過ごした冬の海は、荒々しく濁った水面だった。

同じ海を佐緒里と歩くと、荒々しさは同じだが、海面の色は煌いて見える。

泡立つ波の色をシャンパンゴールドと言うのだと、佐緒里が教えてくれた。

濁った海を見ながら思い出に浸った時間が微かに蘇る。

波に託した思いは沖に流され、浄化されたのだろうか。

寒さに身を震わす佐緒里の肩を抱きながら、煌く沖の海を眺め続けた。