「…えと、その…」


実際にはなかった「急用」を咄嗟に言えるほど器用ではなくて、口ごもる。
本当のことを言って、「手伝い放り出して、しかもプリント出さずに帰った」なんてことを怒られるのは構わない。

――自分がしたことだから。
――やらなきゃいけないことを投げ出したことは、責められて当然だから。

だけど、それじゃ、先輩がついてくれた嘘が無駄になる。

…ごめん、小野チャン。




「…まぁ、なにがあったか知らないけど、おまえのことだから、余程のことがあったんだろ?
今はもう大丈夫なのか?あんまり無理すんなよ。」


言葉に詰まったあたしを見て察したのか、小野チャンはそう言う。
その気遣いが、ありがたかったけれど、同時にすごく申し訳なく感じた。

先輩も、小野チャンも、なんでこんなに優しいんだろう。

2人もすごくモテるけど、当たり前だよね。
外見だけじゃなく、中身までかっこいいよ。
…それに比べて、あたしはなんて醜いんだろ。



「…はい。すいませんでした。…ありがとうございます。」



やっとのことで口から出た言葉は、なんともありきたりなものだった。

ありがとうも、ごめんなさいも、口にすると すごく呆気ない、たった数文字の言葉。
伝えたい想いは溢れてても、それをすべて伝える術を、あたしは知らない。

小野チャンの顔を見ることもできなかった。







「――別にいいよ。気にすんな。」


ただ地面を見つめていたあたしを宥めるかのように、小野チャンはそっと頭に触れる。
大きくて、あたたかくて、やさしい。
―いつも、この手はあたしを助けてくれる。

ゆっくりと顔をあげると、小野チャンはにっこりと微笑んだ。


「じゃあ、俺は帰ろうかな。」


今日の分のプリントは明日出せよ、と言い残して。

本当は、今この手の中に…この鞄の中に、あるんだけど。
それを言い出すことができなかったあたしは、ただ、小野チャンの背中を見ていた。

触れられていた場所が急速に熱を失っていく。
自分の手でそっと頭に触れたけれど、あの大きな手みたいな安心感を得ることはできなかった。