当たり前すぎて、言われるまで何かに気がつかないこと。見えていても、それは無いのと一緒。ガラス越しに風景を見ていて、ガラスは目にうつっているけどわざわざガラスに着いた小さな汚れを景色の一部だとは思わない。でも目にはうつってる。そんなことばかり。ずっとそのガラス越しに世界を見ていた。君のことも。私はそのことに気がつかなかった。いや、見えてはいたけどもわからなかった。それはガラスなのだから。ガラスがあるのが当たり前だったから。けれども私は気づいた。自覚した。どうする?このガラスを取り外したら、もっと君に近づけるかもしれないし、新しい世界が見えるかもしれない。けど。ずっとあったものを取り除くというのは簡単そうで難しい。このガラスはすでに私の体の一部なのだ。無理に取り外せば死ぬかもしれない。そうだ。このガラスを取り外すことによって私は死のう。ガラスの正体は死への強い憧れ。私の人生はこのガラスに支えられてきた。死への憧れを取り外そう。生きることへの渇望ではこのガラスは取り外せない。例え死から生へが不可逆だと聞いたところで、それを見たことが無いから信じられない。死から生への転換は「不可能」なのではない。正確には「わからない」のだ。死を忌避すべきものとして私の中に新しく刻めば良い。そうだ。そうするにはどうしたらいい?そうするには、死を恐れなければ。