あの日のことを思い出して、これまで一緒に辿った日々を思い返して。
 大粒の温かい涙は、溢れるままに頬を伝って落ちていく。
 あまり言葉は並べないのに、こういう時は本当によく泣くなあ。

 言葉より、気持ちが先に来ちゃう人なんだね。

 彼女の奏でる曲は次第にテンポが落ちてきて、音も弱々しくなっていって、最後には途中で止まってしまった。
 初めて、彼女は睨めっこに負けたのだ。
 なるほど。確かに、笑うなんて無理だろうね。
 分かってはいたさ。

「結婚記念、今日なんですよ……今年で何年か、覚えていますか?」

「最近は、よく話してくれるね」

「……お小言は結構です」

 これはまた手厳しいな。
 まぁ、そうか。そうそう無駄な言葉を並べている時ではないよね。

「勿論、覚えているとも」

「なら、いいんです…それが聞けて、安心しました」

「僕もだ。確認が出来て、ほっとした」

 彼女の涙は止まることを知らない。
 どころか、僕が一つ言葉を発する度、もう少し、もう少しと、せがむようにその勢いは増していく。

 安心したんじゃなかったのかな。
 いや、それも本心だろうけれど、それ以上に、君は僕と離れたくないんだね。
 僕だって、同じさ。

「君は、ピアノの何が好きなんだい?」

 今なら、答えてくれる気がして。
 僕はつい、尋ねてしまっていた。
 すると彼女は、雫の垂れる泣きはらした目元を隠さず、すぐに答えた。

「出会ったあの日と――あなたと、いつまでも繋がっていられることが、何より好きです。昇格も結婚の申し出も、どれもかけがえのない出来事ではありますけれど、私は、あなたと出会えたことこそが、どんな事よりも大好きなのです」

 ――そうか。
 それは、嬉しいな。