ここから連れ出して

一つの出会いが人生を変える。

人によって傷つき、人によって救われる。

裏切られることだってあるかもしれない。
でも、信じてよかったと思えることだってある。
自分が信じたいと思うことを信じればいい。最終的判断を下すのはいつだって自分自身なのだから。

真っ暗闇に閉じ込められたとしても、もう全てがどうでも良くなったとしても、一回落ち着いて周りを見てみよう。
話を聞いてくれる人に打ち明けてみたら、何か変わるかもしれない。
自分のことを話す事、本音を言う事、それは勇気のいる事だと思う。
自分の思いをうまく伝えられないかも、否定されるかも、わかってもらえないかも、怒られるかも、責められるかも…話すら聞いてもらえないかも。
でも、受け止めてくれる人もいる。

数えきれないほどの人がいるのだから、みんな性格は異なる。考え方も違う。
争う事もあるけど、共感し合うこともある。
だから、わかってくれる人は必ずいる。

生きている上で、悩みが一切ないなんてことはないし、辛いこと、苦しいこと、困難にぶつかる事もあるだろう。

自分一人で解決できる事もあるけど、太刀打ちできない事だってある。

だから助け合うんだ。

一つ一つ、解決して、みんなで笑顔で笑いあえる日々を過ごすために。

もう、諦めて、全てを放棄してしまいたくなる事もあるかもしれない。
でも、支えてくれる人がいるからこそ、頑張ろうと励みになる。

誰だって、優しさ、思いやりをもっている。なぜなら、支えられてきた事実を持たないなんてことはないのだから。

何度間違ったとしても…それに気づくことが出来たのならまた、一歩踏み出せる。

何度立ち止まったとしても
今は何も見えなかったとしても
この先のことは誰もわからないのだから
期待や希望を完全に捨てる必要はないんじゃないかな?

思い描く未来を実現するために、今できることをすればいい。
どんな日々も無駄にはならない。
頑張り続けることに、生きることに意味は必ずあると思う。

今まで積み重ねてきた記憶を全て抹消することに少しでも躊躇するでしょ?
引っかかることがあるならば、今までの人生に意味があったことを暗示している。
あるかないかどう思うかは自由。
そもそも、そこまで意味にこだわる必要もないかもしれない。

全ての事柄には意味はあるとすると
意味づけするモノが無ければ、この概念は成立しない。

忘れたくない思い出を増やすためにも
後悔のない日々を過ごすためにも
わかり合うためにも

それは今を生きなければ知り得ない。

いつしか何かわかる日が来るかもしれない。
いつしか願いが届く日が来るかもしれない。

そんな日を夢見て、私は今日も神社で風に吹かれている。

「みんなが心から笑えますように」

そう祈った。