「とりあえず、二時間おきに体位を変えて皮膚の一定個所に圧が加わらないようにしましょう。排便も自分でできないから、三日に一回ペースで肛門から指で掻き出すの。栄養面は……少し考えさせて」

 考えれば考えるほど頭痛がして眉間を指で揉んでいたら、オッターヴォの隣のベッドに腰かけていたノーノが暗い表情で「ねぇ」と話しかけてくる。

「兄さんは……僕のせいで壊れちゃったんだね」

「どうして、そう思うの?」

「だって……僕があそこで飛び降りたりしなければ、オッターヴォ兄さんが僕を助けようとして落ちたりはしなかったはずだから。本当、世界はつくづく僕たちに冷酷だよ。革命もできないなら、消えて楽になりたい……っ」

 膝の上で握りしめているノーノの両手と声が震えている。
 権力者に奪われる命なら自分で絶つと公言して飛び降りた彼は今、猛烈な後悔に押し潰されそうになっているのだろう。

「あなたは気づいてないのね」

 私は「え?」と聞き返してきたノーノのそばまで歩いていき、目線を合わせるように腰を屈める。

「あなたは世界には不幸しかないと思っているのかもしれないけど……。ちゃんと、あなたを愛してくれている人がいるじゃない」

「オッターヴォ兄さん?」

 弾かれるように顔を上げたノーノからすぐに返答があって、私は頷く。

「そう、あなたはオッターヴォにとって大事な弟だった。あなたにとってはどう? オッターヴォはどんな存在?」

「……家族だよ。世界でたったひとりの兄さんだ」

「じゃあ、あなたがお兄さんを諦めちゃいけない。あなたはお兄さんが無事に目覚めるまで信じて待つの。それが自分の命を粗末にした罰で、傷つけられたのにあなたたちを助けようと動いてくれたミグナフタの人たちへの誠意の表し方だわ」

 まだ子供である彼は日本でいえば小学一、二年生くらいだろう。正直、罪をはっきり突きつけるのは気が引ける。だが、ノーノは今まで間違いを指摘されてこなかっただろうから、あえて言葉にして罪の重さを知ってほしかった。

「ノーノ、私は目の前に救える命があるのなら、やるだけのことはやる。だけど、救える保証はない。だから、あなたも生きて私を手伝って」

「お姉さん……わかったよ。僕にできることなら、なんでもする。なにが、僕にはできる?」

 生きる目的を見つけた彼の瞳に、かすかな光が宿る。それを見届けた私は笑みを向けるとオッターヴォの身体を拭いたり、口の中を綺麗にするよう指導した。

 ノーノは一度やったことはすぐに吸収して手際もよかった。たったの一日で自分ひとりでもオッターヴォの日常生活の介助ができるようになっていた。




 その夜、私は治療館の一階に借りた寝泊り用の部屋で、寝たきりの患者に水分や栄養を摂らせる方法を考えていた。

「在宅看護では注射器や点滴で栄養を鼻や胃から入れてたわね。この世界にプラスチックなんてないし、重くはなっちゃうけど……注射器をビンで作って、管に繋けば栄養を胃に送れる」

 胃からの栄養は胃ろうと言うのだが、胃に穴を開ける医者の技術も設備もここにはないので、私は手術の必要がない鼻から食道や胃にチューブを通し栄養を送る経鼻管栄養の方法を試してみようと考えていた。

 私は日本の病院で同じ病棟に務めていた年配の看護師の話を思い出しながら、オイルランプに照らされたテーブルの上で紙に設計図を描いてみる。

「口から胃までは四十五から五十センチだから、チューブはそれ以上必要。太さは鼻孔に合わせて二・六ミリ……なんにせよ、管をなにで作るかよね」

 素材も粘膜を傷つけないものを探さなければならないので、私は設計図を睨みつけながら頭を抱える。

「はあ……っ、頭痛がする。知恵熱が出そう」

「少し休んだらどうだ」

 ふいに声が聞こえて振り返ると、ティーセットが載ったトレイを持っているシェイドが近づいてくる。

「すまない。ノックはしたんだが、返事がなくてな」

 心配してくれたのだろう。シェイドの声が聞こえないほど集中していたのだとわかって、私は苦笑いする。

「ゆっくりしてる暇はないのよ。休んでいる間にも、オッターヴォの身体は栄養を摂れなくて衰弱していくんだもの。私がなんとかしないと……」

「煮詰めすぎても、アイディアは浮かばないものだ」

 シェイドは私の机にカップを置き、ティーポットを傾けて紅茶を注ぐとミルクと砂糖を入れてマドラーで混ぜた。
 
「ほら、これを飲むといい」

 押し切られるような形で渡されたカップを受け取ると温かい香りに包まれて、私はほっと息をつく。
 続いてカップに口をつけ、ミルクティーを飲んだ。丸くやわらかな口当たりと甘さに癒されて自然と頬が緩む。

「おいしい……ありがとう、シェイド」

「いいや、その顔を見て安心した。それで若菜、あなたさえよければなにに悩んでいるのかを聞かせてくれないか?」

「え?」

 隣に立っている彼を見上げれば、運命と向き合うような真剣な顔つきをしていた。

「若菜が砦の屋上で言っただろう。彼らが罪を犯さなければならなかった理由を知るべきだと。俺もその答えを見つけるために、まずは彼らに歩み寄りたい」

 そうか、シェイドは記憶がなくても王子として自分にできることを探しているのだ。

 それが表情からひしひしと伝わってきて、私は経管栄養の管作りに行き詰っているのだと相談した。

 話を聞いたシェイドは窓に寄りかかって顎に手をあてると、頭の中に浮かんだ考えを整理するように天井を見上げる。

「そういえば……ミグナフタの山脈の頂上にはクイーンコンドルといって翼が前長三メートルある鳥がいるらしい。その鳥の骨は柔らかく空洞で滅多に入手できないから、それで作った籠が高値で売れるのだと聞いた。それをチューブにしたらどうだ?」

「柔らかく、空洞……。物を見ないことにはなんとも言えないけど、試してみる価値はあると思う! でも、全長三メートルって……かなりでかいじゃない」

 それに、クイーンコンドルって初めて聞いたわ。
 鳥に詳しいわけではないので外国はどうか知らないが、確実に日本にはいない動物だ。