「お兄さんは頭を怪我してるの。頭の怪我で怖いのは皮膚表面の傷より、その中にある脳の損傷よ。もし、そこが傷ついていたら、お兄さんはこのまま意思の疎通ができずに寝たきりになるかもしれない。あくまで、まだ可能性の話だけれど……」

「嘘だ……」

 私の服を掴む手が震えだし、ノーノの瞳は悲哀と絶望に暗く陰る。それから縋るように、上半身を起こして私にしがみついてきた。

「なんとか、しろよ……僕は殺してもいい、から……助けてくれ、よ。たったひとりの、兄さん……なんだ。なんとかしてくれよっ」

 助けを求めるノーノにミグナフタやエヴィテオールの兵からは「自分たちはこっちの兵をなぶり殺しにしたくせに虫のいい話だよな」と非難の声がわく。それにノーノが唇を引き結び項垂れたとき、ダガロフさんに支えられながらエドモンド軍事司令官が歩いてくる。

「若菜、そいつらを助けるんじゃねぇ。ミグナフタ兵を虐殺した人間の仲間だぞ」

「エドモンド軍事司令官……」

 目の前で亡くなっていくミグナフタ兵を看取った私には、彼の憤りを理解できる。
 散々惨い目に遭わせたくせに助けを乞うのは許せない、とノーノやオッターヴォを責め立てたい気持ちもあった。

 でも、私はレジスタンスの革命の動機をクワルトから聞いて知ってしまった。それと比べることではないとわかっているし、やっぱり仲間を殺された憎しみも消えない。それでも人の心は複雑で、私はノーノやオッターヴォを助けないという選択ができない。

「レジスタンスの人たちは皆、口を揃えて言います。弱者が権力に屈しない世界、弱者のための国を作ると。もちろん権力者をひとくくりにして憎んで、勝手な思想を抱いて始末するのは間違ってるとは思います。でも……」

 孤児の彼らがこれまでに出会った大人たちが人を人とも思わない、命を道具と考える最低な人間だったとしたなら。無条件の愛情を知らずに育った彼らレジスタンスは、誰も信じられない人間になる。誰も信じられないから同じ境遇の子供たちで結束して必死に生きて、幸せになるために世界を変えようとした。

 綺麗事だとは思うけれど、その人生を否定しきれない自分がいる。
 だって、本当に憎むべきは間違った権力の使い方で自分の思い通りに事を運ぼうとする権力者、それを管理しきれない国の制度だ。

「権力を憎むきっかけがあったはずです。それが彼らに罪を起こさせたとしたなら、この悲劇の連鎖の元凶は別にある気がします。それを知ろうともせず、彼らを復讐のために殺せば権力者だからという理由で争いを起こした彼らと同じになりませんか?」

 初めから悪人である人間なんて、きっとごく僅かだ。悪人になるまでに何度も誰かに助けを求めて、それでも見向きもされなくて、生きるために罪を犯す。

 そして今、私たちはまた彼らの手を振り払い、さらなる絶望に堕とそうとしている。

 この連鎖を断ち切らなければと再び言葉を重ねようとしたとき、シェイドが私の肩に手を置いた。

「若菜のほうが一枚上だ。俺ら国の政に関わる人間は同じ過ちを繰り返さないために起きたことの原因を知る義務がある。それに罪は等しく法の下で裁かれるべきであって、私情で理非を決めることはあってはならない。でなければ、正義の秩序が崩壊するからな」

 シェイドの言葉は彼らを許せないのと同時に救いたいと思う私の心が間違ってはいないと証明してくれているようで、気持ちが軽くなる。
 エドモンド軍事司令官は怒りへの折り合いを無理やりつけたのか、深いため息をついて「胸糞わりぃが正論だな」と引き下がる。

「……はあ、ほんっとに痛いとこ突きやがる。だが、道を踏み外す前に引き留めてくれたことには礼を言うぞ」

 背を向けたエドモンド軍事司令官は「ミグナフタ城の治療館に運べ。そこで監視付きだが、治療はできるよう国王に直訴してくる」と言い残して去っていく。

 こうして私はノーノとオッターヴォの治療をするため、ミグナフタ国の治療館に滞在することになった。

 シェイドもロイ国王と今後のレジスタンスへの対策を練るため、城に残っている。

 久しぶりにミグナフタ国の治療館にやってきた私は仲間との再会を喜びつつ、さっそく治療館の別室にこもってノーノとオッターヴォの治療に明け暮れた。

 彼らの療養部屋は窓に臨時で格子が設置され、扉の外にも兵がふたり立っており、厳重に監視されている。

 その中で治療すること二日、オッターヴォの意識は不明瞭なままだった。目は開いているのに虚ろで、呼吸も脈も安定しているのに意思疎通がとれないのだ。

 完全にお手上げ状態だったので、私はシルヴィ先生も呼んで一緒にオッターヴォの診察を行った。

「眼球は物は追ってるけど、たぶん認識はできてない。発語もしてるけど、意味はないと思う。もしかしたら、植物状態かもしれない」

 オッターヴォを挟むようにしてふたりでベッドサイドに立ち、先に私が所見を述べるとシルヴィ先生は自身の頭を乱暴に掻く。

「その植物なんちゃらってのは、なんなんだ」

「生命維持に必要な呼吸や循環は正常に機能してるから、脳は死んでない。つまり屋上から落ちたときに受けた頭部外傷で脳の思考や運動を司る部分が傷ついた状態よ。この状態が三ヶ月以上続けば植物状態は確実」

 こうなると自力での移動や食事摂取、排泄も困難。元いた世界なら経管栄養――チューブで栄養もとれるし、寝たきりでも命は繋ぎとめられるけれど、この世界では意識のない患者を何日も生かす技術も道具もない。

 彼が目覚めるまで命を維持する方法を模索していると、シルヴィ先生が問題点をあげていく。

「このままだと栄養失調、便秘による腸の閉塞、寝返りがうてないことでの皮膚の床ずれ……が問題として挙がってくるわけだ」

「ええ、大きな問題は食事よ。口からではなく水分や栄養を摂取できる方法を考えないと」

 経管栄養があれば……って、そういえば昔はどうしてたのかしら。

 日本で働いていた頃、同じ職場に六十近い年配の看護師がいて、点滴がビンとゴム管でできていたと話していた。でも、この世界にはガラスはあるが、ゴムがない。