「なにそれ、僕たちが間違ってるって言いたいわけ? 泥水啜るような経験、したことないくせに……生意気なんだよ」

 吐き捨てるように言って、ノーノはオッターヴォを連れて地下牢を出ていく。

 私はスカートの裾をめくって、銃弾が掠ったふくらはぎを確認する。銃弾に肉が抉られて、そこから血がじんわりと滲んでいた。

 気が遠くなりそうなほど痛いが、この程度の傷はシェイドや月光十字軍の皆さん、エドモンド軍事司令官にとっては日常的だ。銃弾に肉を抉られ、焼かれる痛みを当り前のように味わっていて、それでも剣を取ろうとする。これくらいでへばっていてはいけないと、私はハンカチをふくらはぎにきつく撒いて止血した。

 それから、熱に浮かされているエドモンド軍事司令官の頭を膝に乗せて壁に寄りかかる。

 傷口に塗る薬も大量の汗をかいている彼に補給する水もない。他にできることがなくて、私は力なく天井を見上げる。

 そうやって飲まず食わずで数日を過ごし、朦朧とした意識の中でいつの間にか目を閉じていた私はついに空腹感や痛みすらも感じられなくなって眠る頻度が増えた。

 そんなある日、ふいに身体が揺れる感覚で目を覚ます。

 な、なに……?
 視線を巡らせると、私はオッターヴォに担がれて地下牢の奥に連れて行かれるところだった。

 やがて、私たちがいたところよりも大きな牢屋の冷たい床に転がされる。ガチャンッと鉄格子の扉が閉められる音がして、私は力を振り絞り上半身を起こした。

 牢屋内を見回すとエドモンド軍事司令官の他に拷問にあったと思われるミグナフタ兵が何人も転がっており、サーッと血の気が失せる。

「なんて……こと、を……」

 兵の中には手のひらや足首に釘を刺されたような痕や首に縄で絞められたような痕まである。また、腕や背中に火傷を負っており、焼きごてを使われたのだとわかって口元を押さえた私にノーノは異様に目を生き生きとさせた。

「お前もそこの軍事司令官殿もさー、そろそろ死にそうだし、ゴミをまとめとこうかと思って。外のゴミを始末してから、三日後にはお前たちもまとめて焼却処分だから」

 それだけ言い残して、ノーノとオッターヴォは去っていく。
 私は足を引きずりながら朦朧とした状態で兵たちに近づくも、何人かは絶命していた。

「ああ……こんな、苦しかったでしょうに……っ」

 虚ろに宙を見上げている兵の目を手で閉じさせて、私は地面を這いながら息がある者を探していた。
 すると、どこからか掠れるような声が聞こえる。

「あなたは若菜さん……です、か?」

「若菜さん? 助けに……来てくれたんですね」

 あちこちから弱々しい歓声がわき、体内に余分な水なんて残っていないはずなのに涙が頬を伝う。

「よかった……生きてて、くれて……今、処置しますから……」

 まだ自分の助けを求めている人がいるとわかった途端、力が漲ってきた。

 私は限界を迎えていた身体を無理やり動かして発熱している兵の汗を拭ったり、悪寒に震えている者には自分のローブを被せて保温に努めた。

 けれど、治療環境の不潔さと栄養状態の悪さで兵たちは次々に傷からの感染で敗血症を引き起こし、息絶えていく。

「若菜さん……」

「……っ、ここにいるわ」

 弱々しく私の名前を呼んだ三十代くらいの兵の手を握ると、彼は苦悶に満ちていた表情を少しだけ和らげた。
 
「俺……待ってる家族、が……いるんです」

 握った手の冷たさは、さながら死人のようで脈も弱い。彼も時期に旅立つのだとわかり、私は震える声で尋ねる。

「そう……っ、なのね。私に……私に、できることはある?」

「伝えて……ほしいんです。娘と妻に……俺はしわしわの、白髪のおじいさんになっても……ふたりと生きて……生きて、幸せな最期を迎えるんだって夢見てた。それが叶わないと思うと……苦しい、けど……」

 ふいに兵の目が遠くなり、彼は記憶の中にいる奥さんや娘さんの残像を見つめているのだとわかった。

「お前たちと生きた二十七年間は……俺の人生の中でいちばん、意味ある時間……だった。ありが……とう……と、そう伝えてください」

「……ふっ、うっ……ええ、必ず」

 我慢していた嗚咽が口を開いた瞬間にこぼれる。私は唇を引き結び、「ありがとう」と微笑んで目を閉じた兵を看取った。

「また……またひとり、逝ってしまった……っ」

 薬があれば、助けられた命だった。救えなかった自分の非力さに悔しさと苛立ちを覚えて、私は握った彼の手に額をつける。感じるのは引いていく体温、動かない指先、途切れた吐息。彼の死を胸に刻みつけて顔を上げれば、今度は十七歳くらいの若い見習いの兵に「若菜さん」と呼ばれた。
 
「次……は、俺の……遺言、聞いてくれま……すか?」
 
 蒼白した顔で私の服を軽く引っ張った彼に息を詰まらせながらも「ええ」と返事をする。

「俺……幼馴染がいて……その子のことが好きだった……んだ。でも、言う機会……もうなさそう……っ、だから」

「告白を伝えればいいの?」

 そう尋ねても見習の兵は笑みを浮かべるだけでなにも答えない。それどころか、私の問いを流して話し始める。

「きみの笑顔、が……瞼の裏に何度も蘇るくらい……眩しく、て……好きだった。おいしそうにご飯を食べて、太ったって騒ぐところも……好きで……好き、だった……んだ……」

 湿った声と共に彼の瞳から雫がこぼれ落ち、頬を伝った。その跡を手で辿るように拭えば、『もっと君と生きたかった』『もっと君に触れたかった』という彼の悲痛な願いが心に流れ込んでくる。

「その想い、必ず伝え――」

 そう言いかけたとき、彼が私の言葉を遮る。

「伝えなくていい、です」

 私が「え?」と聞き返しながら彼の顔を覗き込むと、悲しみと静かな悟りが複雑に入り混じった表情がそこにはあった。

「生きてる人間からしたら、重い……でしょ。死者の恋心……なんて」

 そうか、だから彼は最初に『告白を伝えればいいの?』と聞いたとき、曖昧に笑っていたのだ。伝えるべきではないと、そう思っていたから――。

「……伝えなくていい想いなんて、ないわ」

「ダメ……だ。苦しめ、たくない。たぶん両想いだった……から、なおさら」

 彼は頑なに首を横に振るけれど、私は心残りをできるだけ晴らしてあげたくて、これまで多くの患者を看取ってきた自分の考えをそのまま告げる。