「淑女たるもの髪は伸ばさねばダメ、男は料理より剣の腕を磨け。そういう考え方は視野を狭めるって、若菜を見ていると思い知るわ。わたくしはこの国を自分の望む夢を叶えられるような国にすると決めたの。だから、まずはわたくしから変わるって意味で髪を切ったのよ」

 彼女の短髪にそんな意味が込められていたなんて……なんて、強い王女様だろう。
 彼女が女王として君臨するこの国は、どんな国よりも先進的で自由に溢れた場所になる。そんな未来がマオラ王女の瞳から見えてくるのだ。

「女だって職を持っていいし、男だってお菓子作りにお裁縫をしたっていいじゃない。男女の壁を作るのはよしましょう。わたくしたちは好きな仕事について、心から笑ってこの国の未来を創っていくの」

 人を惹きつける演説に兵士や研修生たちも「マオラ様……」と声を漏らして、尊崇の眼差しを注いでいる。
 こうしてマオラ王女の力あって兵士や研修生たちがその場から去っていくと、彼女は私を振り返った。

「ちょっと若菜、さっきのは押しが足りないんじゃない?」

「マオラ王女……王女はとてもかっこよかったわ。それに、その髪も今のあなたに似合ってる」

「当然ね、わたくしはこの国を引っ張って行くのだもの」

 腰に手をあてて堂々と言い切る姿を見つめながら、いつか彼女が女王として即位したアストリアにまた来れたらいいと、そう思ったとき――。

「おっ、若菜ちゃーん! その服、可愛いね! いやー、若菜先生が毎日見られるんなら、なんでも勉強しちゃうよーっ」

「うるさいわね、あんたのおバカ発言が廊下中に響き渡ってるじゃないのよ!」

 脇目も振らず手を振るアスナさんと、その頭を引っぱたくローズさんのコンビが廊下の先からやってくる。

「あそこにも女性を軽んじる下種がいるわね。やっぱりギロチンの刃を研いどこうかしら」

 マオラ王女の虫を見るような目がアスナさんに向いている。

 どうか、それを使う日が来ませんように。
 彼女が首切り女王なんて不名誉な称号を授からないことを祈りながら、私はアストリア王国で日常になりつつこの光景に平和だなと思うのだった。




 夕方、城や城下町では復興祭が開かれていた。
 私はシェイドと産婦人科病棟を作った施療院前の広場に赴き、町の子供や患者と屋台を開くなどしてささやかながら祭りを楽しんでいた。

 シェイドと屋台を見て歩いていたとき、後ろから「「若菜さん」」と男女の声に呼ばれる。振り返った先にいたのはコレラ患者であったエミリさんと婚約者のロメリオさんだった。

「エミリさん、ロメリオさんも来てくれたのね!」

 エミリさんがいた施療院はここから少し離れているので、わざわざここまで足を運んでくれたのだろう。

「若菜さんがいるって聞いたから、顔を出しに来たの」

「シェイド王子まで、お忍びですか?」

 いつもの軍服ではなく民が着るような白のブラウスに黒のズボンといったラフな格好をしているシェイドに、ロメリオさんの声が潜められる。

「ああ、だが……周りにはバレているようだがな」

 苦笑交じりに答えたシェイドの視線の先には、見知った人たちが勢揃いしていた。

 先日、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えたナンシーと、その隣に寄り添っている旦那さんが手を振ってくる。

 それに手を振り返していたら、エミリさんたちは「ふたりは人気者みたいだから、そろそろ行くわね」と去っていった。

 手を繋いでいるふたりの背中を見送りながら、相変わらず仲がよさそうで安心していると、今度は入れ違いで赤ちゃんを抱えたリアとアージェが近づいてくる。
 
「リアさん、アージェと一緒にいたのね」

 マタニティーブルーだったリアさんは心なしか表情が晴れている。その変化を喜ばしく思いながらも、隣になぜアージェがいるのかが不思議だった。
 その答えはリアさんの口からすぐに語られる。

「アージェさん、若菜さんが城で講師をしている間、私の話し相手になってくれてたのよ。今日は夫が仕事で復興祭に遅れて来るから、それまで付き合ってくれてるの」

「アージェが……」

 シェイドのどういう風の吹き回しだ?と言いたげな視線を受けたアージェは横を向いて、つんと顎を上げると唇をへの字にした。

「どーせ、らしくないって言いたいんでしょ」

「いいや、俺は感動している。使い捨てにされ、裏切られるのに慣れていたお前が命令以外で自分から人のために行動したことにな」

 そういえば、敵対していたときに彼は使い捨てにされるのは隠密なら当然だと言っていた。彼の手当てをした際も自分を助けて裏切られたらどうするのかと呆れていて、打算のない行為に警戒するところがあったのだ。

 そんな彼が損得関係なしにリアさんの話し相手になっていた。どんな心境の変化があったのだろうとアージェを見れば、その視線はリアさんの腕の中にいる赤ちゃんに注がれている。

「この子の瞳、ガラス玉みたいに澄んでたから、リアさんにたくさん愛情をもらってたんだってわかった。少しでも俺の母親と重ねた自分を殴りたくなったね」

 彼の頬に寂しい自嘲のような笑いが漂ったのは一瞬だった。アージェはすぐに飄然な態度で本心をひた隠しにする。

「――ま、リアさん見てたら、母親の愛情ってやつを信じてみてもいいかも……なんて思ったってことかな」

「アージェさん……」 

 なにか言いたげにしていたリアさんだったが、誰かに呼ばれて振り返る。恐らく旦那さんだろう。彼女は「それじゃあ」と頭を下げて立ち去ろうとしたのだが、やり残したことがあるのかアージェの前まで戻ってくる。

「あの、子供を愛さない母親はいないと……思います」

 なんの脈絡もなく始まったリアさんの話に、アージェは「え?」と目を瞬かせる。

「その愛情が長続きしなかったとしても、お腹が大きくなるたび、自分の身体が重くなるのを感じるたび。お腹の中で動くのがわかったとき、産声が聞こえたとき。どこかで、あなたを愛しいと思った瞬間はあるはずだと……そう思います」

 それだけ言い残して、リアさんはもう一度お辞儀をすると旦那さんの元へ歩いて行く。

 アージェはというと言葉の意味を自分の中で噛み砕いているのか、微動だにせずにリアさんとその家族の背が遠ざかっていくのを見つめている。

 私はシェイドと顔を見合わせたあと、彼の腕に静かに手を添えた。