プロローグ


 夕陽で伸びた影が舗道に映り、一人ぼっちの私を笑っている。

 オフィス街の銀杏並木が続くビルの地下にある行きつけのバー『CONCUBIN』に行くと、いつもの無口なマスターが笑顔で迎えてくれた。

 マスターはチラッと私の顔を見て、何か悟ったのか話しかけずにいてくれる。

 店の中はまだ宵の口だからか、お客さんは誰もいない。

 私はカウンターの端に座り、頬杖をついてボーとしていた。

 バーは落ち着いた雰囲気で、マスターの人柄なのか客層は良く、女の私が一人でいても、絡んでくるような客はいない。

 マスターは気を効かして、私の好きな音楽をかけてくれた。

 暫くしてマスターは一杯のカクテルを私の前に置く。

 私が
「頼んでないよ」と言うと

「俺の奢り。『ブルームーン 叶わぬ恋』って言うカクテル」

 私はマスターの目をじっと見つめて

「なんだ、お見通しか」って言って苦笑した。

 マスターは年齢不詳だけど、私は50は越えていると見ている。

 同僚の由実は
「えー、まだ40台前半だよ」って抗議した。

 由実はマスターに惚れてるみたいだけど、私から見たら、まったくの脈無しだと思う。

 私もマスターの事は好きだけど、何か暗い闇が有りそうで、引きずり込まれたくないので深入りしないようにしている。

 ブルームーンを飲みながら

「ねえ、マスター。マスターから見て私ってどんな風に見えるの?」と、唐突に聞いて見た。

「どうした? 俺を口説いてる?」

 マスターの言葉はいつも短い。

 自分の事を語っているのは聞いた事が無い。

「ちげえよ。マスターぐらいの年齢の人から見たら、私は恋の対象にならないのかなって」

「何? 明日香ちゃん、不倫でもしてるの?」

「何でそうなる? もういいや」

 今日の私は機嫌が悪い。

 思ってたよりマスターは馬鹿なのかも知れない。だから言葉も短いんだ。

 その時は私はそんな風に思ってしまった。

 勿論マスターは馬鹿では無い。

 むしろ人の心の機微を正確に読み取って、適切な言葉や行動を取ってくれる。

 つまり、今日の私はご機嫌斜めなのだ。

 お酒を飲むと、マスターに絡むかも知れない。

 だから飲んでやる事にした。

 マスターの作ってくれたカクテルは美味しかった。

 壊れかけそうな心をなんとか繋ぎとめてくれる。

 3杯目のカクテルを飲み干し、マスターにおかわりした時

「あ〜あ! あんな写真見なきゃ良かった」と、心の声が漏れてしまった。