自分の都合なんてものは許されない。何か言い返そうものなら凄まじい迫力で、そう、普通の人々にはちょっと想像しにくい勢いと迫力で親父はブチ切れた。誰もが恐れ、誰もが顔色を伺い、
(どうか神経に触れないように)
と、恐る恐る話し、恐る恐る行動していた。うっかり逆鱗に触れようものなら本当に大変な事になり、何もかもが破壊された。

 面白い話がある。近くの交番の警官が家族の者に対し失礼があったと聞いて、親父が交番に怒鳴り込んだ事がある。交番内で大暴れしたのだが、制服の警官が俺の所に情けない顔でやって来て、
「お願いします、お父さんを止めて下さい」
と言った。俺は
「あなたが本職でしょ‥‥」

 そんなような訳で彼には誰も逆らえず、俺達を無理矢理街宣活動のジープやバスに乗せる事など当り前の事だった。

 そしてやっと巡り逢えたメンバー達も次第に俺の前から姿を消していった‥‥。

「こっちへ廻らせるなっ!押せ押せっ!」
「わーっわーっわーっ」
「ガンッガンッガンッ!」
 俺一人が乗り込んだ街宣ジープの、金網でガードされたフロントガラスや窓を棒や手で思いきり叩きながら向かってくる。
(ひゃあ、すげえなこいつら。みんな学校の先生みたいな顔して命惜しくないのかね?)
 共産党だとか、社会党だとか、何かそう云った左派の大会になると軍歌と演説を凄い音量で流し、そんな中を建物の方に進んで行くと必死の抵抗に合う。石を持った手で金網を俺の真横から恐ろしい形相で猛烈に叩くのさ。
(車から出たら殺されるな‥)

 そんな事々に再三立ち会う度、街にいるゴロツキやチンピラ等、何一つ恐いものが無くなっていった。こちらも幾らかそれなり凄味のある見たくれなら相手もまあ納得出来ただろうが、ヤクザっぽいなんて云うのとはおおよそかけ離れた、髪を延ばした貧乏臭いニイちゃんにしか見えないのだから。
 そんな事のある度『組の者』とか云うパンチパーマの似合う彼らは鳩が豆鉄砲くらった様な顔になった。そして毎回、確実に相手が詫びに来る事になった。
「水戸黄門みたいだ」
と仲間内では尊敬され、何時もそれは俺にとって簡単な事だった。

 そして俺は益々いい気になっていく。