十七歳。可愛い盛りにさえ届かない、余りに幼い夜の町の少年は大人達に可愛がられ、あちこちのパブスナックの女達、女性客、そして男達にさえもチヤホヤされた。皆が皆、確実に年上だった。
(何かチョロイもんだぜ、水商売なんてこんなもんよ)
俺は母親が長くスナックのママをやっていた事への反発からか、ちっとも職業としての理解を持ってはいなかった。小っちゃい頃から夜も何もずっと一人ぼっち、子供の俺を取り巻く空気はいつも酒と化粧の匂いで一杯だった。おふくろの店に希に連れて行かれて会った、そこにいたバーテンと呼ばれる男達にも何一つ魅力は無かった。
(何で今俺までも、カウンターに立って水割りを作っていなけりゃならないんだ?うんざりする程入るリクエストのカラオケテープを機械に突っ込んで、何でデュエットしてやらなきゃならないんだ?)

 ここも俺には疑問しか与えてはくれなかった。

 夕方五時から明くる日の朝まで一日十一時間労働、休憩無し。休みは月一の定休日と他にもう一日だけ。給料は一食付きで七万円。飲み屋ばかりが入ったそのビルの三階にある蛸部屋のような一室に俺は住み、店と部屋の二十メートル位の往復を毎日繰り返しながら、
(又ここも何も変らないじゃないか)

 封筒にキッカリ七枚入った一万円札が月末に貰える。袋から出してベッドの上に一枚ずつ並べ、
(いつかこれを全部百万円の束にしてやる‥)
矢沢永吉の影響で、E・YAZAWAシンドロームと呼びたいくらいだ。
 店に行きさえすれば閉店後何か食わせてくれる。それまでは分けて貰った、袋一杯で五十円の食パンの耳で繋いでおく。ここにも美しいE・YAZAWAシンドロームがあった。
 あの本にも確か記述があったが、俺も何時もそう思っていた、
(自分が成功して行く過程の物語、その映画を観ているんだ、今は‥)