教えて貰える先輩もいない、手本になる様な出場経験のある仲間さえ誰一人いなかった。何もかもが我流で、そんな者が作法を重んじる競技会で点が取れる訳が無い。
 それから必死の練習と研究が始まった。毎日朝まで、時には昼近くまでシェーカーに酒と氷を入れ試作を続けた。あのアパートの近所の住人は毎晩シェーキングの音でさぞ煩かった事だろう。
 翌年、ここからジュニア・クラスの上、一般の全国技能競技大会に池袋の代表選手として出場する。ジュニア・クラスと決定的に違うのは出場選手のレベルと競技内容だ。通常の多くのコンペティションでは創作カクテルのみで競技するのだが、技能競技大会と云うのはそれ以外に、課題カクテル部門、フルーツ・カッティング部門、学科部門と、全四部門を一日でこなさなければならない。
 俺はとにかく何でもかんでもやってみた。

 結果は又しても最下位同然。
 一年かけて何も成長出来ていない‥。

 恐ろしく厳しい世界なんだと、やっと解かってきた。