不良仲間の先輩に連れられて、爺さんしかいない工務店で大きな工場の下請けの仕事を貰った。下請けの仕事と言っても、その爺さん達と工場へ行き機械の掃除をするのが主な仕事だった。
「お前達みたいないい若い者がする仕事じゃない‥」
爺さん達によくそう言われた。だが社会の右も左も分からない少年には何処へ行けば良いのか、何をすれば良いのか何一つ分からなかった。
 暫くして誘われるまま俺もその職場をバックレた。

 次に行ったのはビル建築現場。モルタルの左官業で職人に『手元』と言われる見習い職だ。ここは驚きの過酷労働で、朝早く職人数人と車で現場に向かうのだが、その頃毎朝
(佐渡の金山にでも送られる罪人の気分だ‥)
と大袈裟に毎日毎朝考えていた。

 この頃には本当に身体を鍛えることが出来た。筋肉質で腕っ節が強くなっていく。しかし取りたての免許で乗り回していた中型バイクの事故で骨折。二ヶ月後復帰して一度は現場に戻るが、又一年経って事故をおこし入院。その時のは生涯現場の力仕事を続けるにはちょっと無理な後遺症があった。
 俺は現場を諦めた。無謀に無茶ばかりしていた結果で、命があるだけでも有り難いと思うべきだ。

 死んで行ったダチ公もいるっていうのに、運が良い方だ。