前の演奏者が拍手喝采の中、舞台裏で私はガクガクと震えていた。
私の番号は後ろから2番目でこれまでも凄く上手くて直接心に響いてくる音を持つ人ばかりだ。次は私だ。思い出せ、しばけん君の言葉を…。


コンクール当日の朝、私は少し早めに会場に着いた。雰囲気に慣れておこうと思ったからだ。コンクール用のドレスを着て少しだけ化粧をした私は自分でも分かるくらいいつもとは違う雰囲気だった。
(トイレの位置も確認して、席も確認して、指の運動でもしておこうかな)
「よぅ」
「ひえっ」
声をかけてきたのは、これまたいつもとは違う、柴崎健人としてのしばけん君だった。タキシードを着た姿が妙に絵になっている。
「緊張しているのか?」
しばけん君は少し笑いながら聞いてきた。
「当たり前でしょ!今から心臓バクバクだよ。」
「お前は大丈夫だよ。俺が保証する。」
「…ありがとう」
しばけん君の保証なんて、これ以上にないくらい安心する。肩の力が抜けてきた私を見て、しばけん君は今思い出したとばかり声をかけてきた。
「あ、そうだ。俺審査員だけどゲストでもあるからコンクールの最後に弾くことになってるんだぜ」
「まじで⁉︎なんでそれ先に言ってくれないの!」
「言い忘れてた」
明らかに棒読みの言い忘れてたは全く信用ができない。けれど何故教えてくれなかったのかも分からず、首を傾げていると、
「曲は誰でも知ってるやつだ。俺は、またお前を想って弾くよ。」
「コンクール頑張ったあとのご褒美?」
「違う。それは聞いたら分かるはずだ。というか、伝わらなかったらピアニスト失格として俺がピアノの道やめる。」
本気なのか本気じゃないのかよく分からないその言葉を聞いて、若干焦った感じに声が出た。
「全力で感じさせていただきます!しばけん君の想い!!」
「それでよし。俺はこれから他の審査員に挨拶に行ってくるからこれでお別れな。応援してる。頑張れよ。」
あと、俺がピアニスト辞める羽目にならないように任せたぞ。そう言ってしばけん君はステージ正面の審査員席へと向かった。

コンクール出演者が増えるにつれて会場のざわめきは増してくる。そしてしばけん君の話もよく耳にした。
「今回のゲスト柴崎健人なんでしょ⁉︎うわぁ、早くゲスト演奏聴きたい!」
「私も柴崎健人のソロコンは行ったことないからすごく楽しみ!」
とか、
「噂によるとめっちゃイケメンらしいよ!」
「まじで⁉︎早く聴きたいのはもちろん早く見てみたい!」
とか。色々な評判とか、周りの人の高揚感がわかる内容の会話がいたるところで広げられていた。
(ここで私が柴崎健人と同じ学校でなんなら指導してもらってましたなんて言ったら1人2人じゃなくて色んな人に刺されそうだな)
なんて軽い気持ちで考えていた。

いよいよコンクールが始まる時、プログラムは審査員紹介から始まる。
審査員の方々がステージに登場した時、最後の1人、1番後ろで登場した人を見て会場がざわめいた。
1人だけ妙に若く、そして容姿端麗であり、ソロコンサートが即完売してしまうこともあって直で柴崎健人を見たことがある人が極端に少なかったからだ。
司会進行が最後の1人を紹介し終え、審査員の先生方が審査員席に座って少し経ってから1番の人から演奏が始まった。柴崎健人効果でざわめきがまだ少しある中で弾くことはプレッシャーになったはずなのに、1番の人の演奏はそんなことはお構いなしに広がった。すごく綺麗に、音が滑っていた。すぐにざわめきは消えたが、それは1番の人の演奏がすごく綺麗だったからなのだろう。私が演奏して本当にざわめきが消えたか怪しい。
そして2番、3番と続き今に至る。
私は78番、後ろから2番目に当たる番号だ。
ふぅと息を吐いて呼吸を整える。77番の演奏者への拍手喝采はプレッシャーだが、これを私への頑張れのコールだと思う。しばけん君の言葉を思い出す。
「お前は大丈夫だ。」
「俺が保証する。」
「期待してるぞ。」
たくさんの言葉を送ってくれた。たくさんの言葉で元気付けてくれた。出会ってからはいつだって私のピアノを1番に聞いてくれて、1番に感想をくれた。
(私が今この音を送りたい人は誰だろう。)
そう考えた時、ふと出てくるのは彼だった。そして気づいた。
(そうか、私は彼が好きなのか。)
自覚したら終わりだと思って、いつの間にか気づかないふりをしていた。けれどもう限界みたいだ。この想いを隠すことは出来ない。この胸の内をただピアノに託して広げさせるだけだ。

「78番、高嶺 美響さん」

私の始まりを告げるアナウンスが響く。そうだ。私の名前は美響だ。
美しく響かせることが、美しく響わたる音を作ることが使命なんだ。そう言い聞かせてステージの中央にあるピアノへと向かった。
ピアノの前で一礼し、ピアノに座る。
息を吐いて目を瞑る。たくさんの人の視線が感じられる。
(みんな、行くよ!)
音たちにそう言って演奏を始めた。

指が鍵を弾く。音がなる。
はじめの音はドのシャープ、流れるように音を右手に移す。泡になった音が弾けるように、大切に弾く。
誰よりも大切な彼に届くように。
大好きです。そう囁くように。
そして、誰かに、誰か私の音を気に入って聞いてくれている人のために、音よ、届け、響け、広がれ。

最後の音を引き終わると同時に拍手が耳に入ってきた。急に現実へ引き戻される感覚だ。
(あ、いつの間にか終わったんだ。)
集中しすぎる演奏は途中の音が抜けて時間が飛ぶので自分でもちゃんと弾けていたか分からない。けれど拍手が起きているということはきちんと弾けていたということだろう。
ありがとう。私の音を聞いてくれて。そういった気持ちで一礼して舞台裏へと向かった。すると、舞台裏にはしばけん君がいた。混乱したが、ここで話しかけるわけにはいかない。客席へ戻るときは決まっているのでとりあえず舞台裏のしばけん君の隣の椅子へ座る。「隣失礼します。」なんて言葉も忘れずにかけた。
するとしばけん君は内緒話のような聞こえるか聞こえないかギリギリの声で
「よかったぞ。ほんとに。お前の気持ちストレートに入ってきた。」
なんて言葉をかけてきた。私の気持ちがストレートに入ったということはしばけん君への想いがストレートに入るということで、それでも普通にしているということは多分私の気持ち伝わってないな、なんて苦笑しながら私もこそこそ声で返した。
「ありがとう。伝わったならよかった。しばけん君こそなんでここにいるの?」
「最終演奏、今やってる奴が終わったら俺のゲスト演奏だからだよ。」
忘れていた。しばけん君の演奏があることを。
「頑張って」
そう言ったのは最後の演奏者が終盤になっていたからだ。そうだな、頑張るとするよ。そう言ってしばけん君は椅子から立ち上がった。私も客席へ戻るために立ち上がって進もうとした。
その時、腕を引っ張られてまたしばけん君と相対する形になってしまった。なんだろうと思ったらしばけん君がわたしの手を取り、跪いて私の手の甲へキスをした。
びっくりして声を出しそうになると、しばけん君は私を見上げてまるで童話の中に出てくる王子様みたいに言った。
「貴方を思って弾きますよ、姫。」
何が起きたか分からずにただ戸惑っていると、しばけん君が立ち上がっていたずらっ子みたいに笑いながら言った。
「なーんちゃって、な、」
しばけん君の悪ふざけだと分かると同時に今いる場所がコンクール会場の舞台裏だということを思い出して咄嗟に周りに誰もいないかを確認するために首を左右に振った。するとまたしばけん君が呆れたような顔で
「誰もいないに決まってんだろ?俺がそんなヘマするか。って言うか、今日かわいい頭と格好してるんだからそんなに首振るな。崩れるぞ?」
そんなことを言ってきたから、私はムキになって
「かっわい……くなんてないし!しばけん君だって今日はタキシードでなんかキラキラしてるんだから本物の王子様かと思った!」
なんて言ってしまって、けれど事は言ってしまってから気づいて、
「へぇ、カッコいいって思ってたんだぁ。王子様、ねぇ…」
しばけん君はニヤつきながら答えた。
私たちの会話を区切るように最後の演奏が終わり、拍手が聞こえた。そしてゲスト演奏の始まりを告げるアナウンスも。
しばけん君はステージを見たあと、私を振り返って、
「ぶっちゃけ普通の告白なんかより心に来たぜ?客席に座って受け取れ。俺の想い。」
そう言ってステージへと歩いて行った。
まさか、本当に、私の気持ちが届くとは思わなかった。
これでしばけん君が弾く曲が別れのバラードなんかだったらどうしよう。そんなことを思ったらうちにしばけん君の演奏が始まってしまう。
しばけん君の経歴とか実力とかを紹介するアナウンスが消えないうちに戻らねば。
そうして私はしばけん君の演奏を聴くために急いで客席へと戻った。