しばけん君の前で意味もわからず号泣してから数日が経った。
もう直ぐ夏休みも始まると言うのに、しばけん君とは顔を合わせづらく、彼が話しかけようとしても私が一方的に逃げ回っている。けれど、夏休みが近づいてくると言うことはコンクールも近づいてくる、ということで…。
しばけん君のアドバイスは自分でも言った通り、百万人力だ。どうしてもアドバイスを貰いたい…。ということで、今日もここにいるだろうと見当をつけて、音楽室のドアの前にいる。
「すぅーはぁーすぅーはぁー」
扉の前で幾度も深呼吸をするも、やはり扉を開く勇気が出ない。扉の取っ手に手をかけて、いざという時…。
「お前…来たのか?」
驚いた。しばけん君だったからだ。いきなりだったので、しどろもどろになりながら私は答えた。
「えっと…その…」
「悪かった。俺の、言い方がきつかったのかもしれない。」
そう言って、しばけん君はいきなり頭を下げた。そのことがまた、私を驚かせた。
「いや、あの、私が泣いたのはしばけん君のせいじゃない。しばけん君のアドバイスは本当に自分のためになったし、しばけん君が気にする必要は本当にないよ。あそこで泣いちゃったのは……」
しばけん君が顔を上げて不思議そうに見つめてきた。
「しばけん君のチューリップ変奏曲が私の心に直接、本当に素直に響いてきたんだ。」
そこまで聞いてからしばけん君はニカッと笑った。
「俺の想い、届いた?」
「うん!ばっちり!コンクール頑張れって、応援してるって気持ち頂きました…!」
「……届いてねえじゃねえか」
「何か言った?」
「何も。」
しばけん君が小さい声で何か言ったけれど、私には聞き取れなかった。
少し不機嫌になったような顔で、彼はアラベスク聴かせろよと言ってきたので、喜んで。そう答えて音楽室へ入った。

「何を考えて弾いたんだ?」
アラベスクを弾き終えた私に彼はそう聞いた。
「何を考えてたって聞かれても…何も考えていなかった?と、いうか…誰かにこの音が届いたらいいなって、私の音を必要として、聞きたいと思ってる人に、この前のしばけん君の音みたいに素直に心に入っていったらいいなと思って弾いた。」
何を考えてたか自分でも分かんなくて、そんなしどろもどろの答えになったにもかかわらず、しばけん君は笑って言った。
「なんだ、分かってんじゃん。それでいいんだよ。お前の音はこの前よりも確実に綺麗になった。音に感情がついたからだ。音に感情がつくってことは音に色が、個性が出るってことと同じなんだ。そんで、その音は俺に届いた。」
胸を指差しながらしばけん君は笑って言った。
「コンクール、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うぞ。」
その言葉が嬉しくて、柴崎健人に認められたことよりも、しばけん君に言われたことが何故だか嬉しくて、とても泣きそうになった。
「ありがとう」
それだけを答えることで精一杯で、それを知ってか、しばけん君はおちゃらけて言った。
「だからといって、審査員だからお前のことを特別扱いは出来ねえけどな。」
「そんなことしたら私が許さないよ」
コンクールはもうすぐ、そこにあった。音の広がり方は満足のいくものになっている。それまで、自分の想いを、自分の気持ちを音に乗せるだけだ。