今日も暑い。蝉が狂ったように外で鳴いている。その鳴き声すら暑さを増長させているようだ。
が、しかし、それはガラスの外の世界の話であり、音楽室というガラスの中の世界にいる私には関係のない話だ。
つまらない授業を受けずにピアノを弾けることは私だけの特権だ。まぁ、受けない授業の評定は下がるのだが、。
つまらない日常を忘れ、音の世界に入り込むことはすごく気持ちが良くて、たまらない。もっと、もっと、と、欲望が溢れてくるのもこの世界でしかありえないことだ。現実世界の私はそれなりの立場を作り、それなりの人間関係を作っているので、全てを曝け出すことはないし、全てを曝け出しているのもこの世界だけであって、つまり、言いたいことは、この世界は唯一無二の私だけの世界なのだ。
そんな世界を邪魔されることは何者であってもゆるさ__
.........ガタッ
ビクッとした私の前で現れたのは…、えっと…なんだっけ……この人の名前……
「犬の……しば…?しばいぬ…?」
「柴崎健人。通称しばけんです。」
「あ、そうだ。しばけんだ。」
よく噂になるしばけん君だった。
クラスのムードメーカーにして、まぁ、顔はイケメン。性格も良く、頭もいいという私にとっては関係のない種族、のはずの彼がなぜここに…?
いや、まず彼が授業をサボっているという事態がもう、おかしい…。
数々の疑問が頭に浮かんだが、先に口を開いたのはしばけん君だった。
「俺の席、どいてくんない?」
「………は?」
不意を突かれて、心の声がそのまま出た感のある彼女は疑問がそのまま顔に出たような顔をして答えた。
「俺の席…ってどこ?」
「いや、ピアノの前に決まってんだろ、アホか」
えっと……ん?
自分の中で問い直した。
今は授業中であって、ここは音楽室。本来いるはずのないしばけん君がいる。それは理解できる。
けれどなぜこのピアノが彼の席なのか。と、いうかまずそもそも何故彼がここにいるのか。
私の心の葛藤を知ってか知らぬかしばけん君が私をピアノから引き剥がし、言った。
「ちょっと聞いてろ」
その瞬間、空気が変わった。彼の顔が変わった。ピアノの音が変わった。
しばけん君が引いたのは“仔犬のワルツ”軽やかなスタッカートが印象的な素早い曲だ。彼のワルツは野原で仔犬が走ってるようで、愛らしい感じが伝わってくる。この世の中には私と彼しかいなくて、目の前で仔犬が走ってる。
そんな描写がいとも簡単に再現できた。うっとりするような旋律だけれども、感動で動くことすらできない。そんなワルツが急に切れてしばけん君が口を開いた。
「どうだ。聞いてりゃお前も割と弾けるようだがな」
「す、凄い‼︎旋律が流れてて、弾けて、仔犬、見えた‼︎鳥肌が立った…」
彼は無邪気な顔をしてクスッと笑って言った。
「まだ気付かないのか?」
彼女はキョトンとして考えた。
「何が?」
「俺が誰か、だよ。」
「え、あなたは柴崎けん………」
彼女は言いかけたまま、開いた口が塞がらないような顔をして言った。
「柴崎健人⁉︎え⁉︎本人⁉︎…なんですか?」
私は叫びたくなった衝動を全力で抑えて言った。
「あの弱冠16歳にしてピアニスト界の現代モーツァルトと呼ばれ、ソロコンサートは即日完売、しかしマスコミ完全規制をしてメディアに顔を出したことはなく、それが故に謎の少年と噂をされているあの柴崎健人、なんですか⁉︎」
彼は少し驚いたような顔をして言った。
「お-、この年代で俺のこと知ってる人って割と少ないのにな。そうだよ。俺がその柴崎健人だ。」
なん…ということだ…。私は今まで彼と同じ学び舎で授業をして、過ごしていたのか…。なんならピアノも聴いてしまった…。
「感動に打ち震えているのでしばらくお待ちください」
私がいうと彼はさっきのような無邪気な顔でクハッと笑って、
「なんだよそれ、目が点になってるぞ?お前が言うほど俺は凄くないよ。」
「いや、凄いです。本当に、こんな形でお話しできるとは思いませんでした。」
「かしこまり過ぎ。話しにくいったらありゃしない」
彼はまた面白そうに笑って言った。そして何か思いついたように、言った。
「そんなに俺のピアノに感動したなら、連弾でもしてみる?」
彼女は今度こそ叫びそうな顔をしたが、声が出ないようで、呻くように言った。
「れんだん⁉︎」
「そう連弾。」
「何を…?」
「うーん、何がいいかなぁ。即興曲とかどう?お前はふつうに弾けばいい。俺はそれに乗っかるから。即興曲は誰もが通る道だから出来るよな?」
即興曲は中学1年生の時のコンクールでやったことがある。もう覚えてはいないが、多分指が覚えてるだろう。
速さとテンポが特徴的な曲で、きちんと練習をしていないと指がもつれるような曲だ。
「ちょっと弾いてみ?」
私にもう拒否権はないようで、彼がピアノを譲った。私は一呼吸ついて席に座り、もう一呼吸ついて指に鍵盤を乗せた。弾く前に目を閉じて、目を開いた時にはもう音の世界だった。指の動きに身を任せてなるべく指の邪魔にならないように思考を停止する。音がはじけるように弾くことを意識して、思うままに動かす。元のメロディに戻ったところで、彼が言った。
「お、弾けそうだな。じゃあ連弾すっか。」
彼のこの言葉だけで私の心臓は止まりそうになって、ドキドキした。
(私これから柴崎健人と連弾、するんだ…)
「あの…私、即興曲の連弾は初めてなんですけど、大丈夫…ですか?」
しばけん君はニヤッと笑って
「大丈夫、俺も初めてだから。」
「えっ……⁉︎」
「それこそ即興曲。なんつって。お前のタイミングで始めていいよ」
と言って、彼は一息ついてから目をつぶった。
私も目をつぶって、1音目の音を出して次の音達を紡いだ。
最初のメロディは彼は入らなかったから私のソロみたいな感じになったけれど、2回目の繰り返しから彼は入ってきた。本当に即興かなって思うくらいの乗っかりようで、低い音と高い音のマッチングがただ綺麗で、弾くことを忘れそうな音だけれどもメロディのパートを生かす連弾で、低い音程に入ると、彼の音も大きくなって、いつの間にか終わっていた。
「あれ⁉︎私、ちゃんと全部弾けてた⁉︎」
彼は笑って言った。
「弾けてたよ。さては、弾いてる途中に時間飛んだだろ。」
「飛びました。集中し過ぎて…もっとちゃんとしばけん君のピアノ見たかった…」
「また見せてやるよ。なんならご所望の曲を弾いて差し上げましょうか?」
「え!いいの?」
「どうぞ。」
私はきっと目がキラキラしてたのではないかと思う。だって、あの天才ピアニストの音をただでしかも、好きな曲を弾いてくれるというのだから。どうしようかと迷い、そしてふと浮かんだ曲にしようと思った。
「きらきら星。きらきら星変奏曲がいい。」
「りょーかい。」
彼は少し思いつかなかったような曲に驚いたような顔をしたが、すぐにピアノに向かい、一息ついた。
彼のきらきら星変奏曲は驚くほど綺麗で、そこに夜空があるような幻想に囚われるようで、とにかくメロディが流れていた。盛り上がる部分では圧倒的な力強さと流麗さを右手で表していて、暗闇の中を流れる一筋の流れ星のようだった。
曲が終わって、少し余韻に浸ってから彼は言った。
「なんできらきら星だったんだ?」
「わたしの、始まりの曲だから。」
きらきら星変奏曲はわたしがピアノを始めるきっかけの曲だった。幼稚園の時に、それを聞いて圧倒的なピアノの力を知って、始めたいと思ったのだ。そんなことを話した。
「きらきら星か。俺が1番最初に教わった曲もきらきら星だったな。」
彼は懐かしそうに目を細めた。
「でも、きらきら星変奏曲って凄いよな。あんなに単調なメロディをここまで盛り上げることが出来るんだからさ。俺もチューリップ変奏曲とか作ろっかな」
冗談交じりに彼はそう言ったが、きっとやろうと思えば出来るんじゃないかと思う。
「いいね。チューリップ変奏曲。わたし聞いてみたいかも。」
笑ってそう言った時、チャイムの音がした。今は6時間目のはずだったのでこれからHRが始まるはずだった。
「ホームルームめんどいからサボろうぜ」
彼はそう言って私の隣に座った。
外は相変わらず暑そうだったけれど、そんなことはもう気にならなくなっていた。
が、しかし、それはガラスの外の世界の話であり、音楽室というガラスの中の世界にいる私には関係のない話だ。
つまらない授業を受けずにピアノを弾けることは私だけの特権だ。まぁ、受けない授業の評定は下がるのだが、。
つまらない日常を忘れ、音の世界に入り込むことはすごく気持ちが良くて、たまらない。もっと、もっと、と、欲望が溢れてくるのもこの世界でしかありえないことだ。現実世界の私はそれなりの立場を作り、それなりの人間関係を作っているので、全てを曝け出すことはないし、全てを曝け出しているのもこの世界だけであって、つまり、言いたいことは、この世界は唯一無二の私だけの世界なのだ。
そんな世界を邪魔されることは何者であってもゆるさ__
.........ガタッ
ビクッとした私の前で現れたのは…、えっと…なんだっけ……この人の名前……
「犬の……しば…?しばいぬ…?」
「柴崎健人。通称しばけんです。」
「あ、そうだ。しばけんだ。」
よく噂になるしばけん君だった。
クラスのムードメーカーにして、まぁ、顔はイケメン。性格も良く、頭もいいという私にとっては関係のない種族、のはずの彼がなぜここに…?
いや、まず彼が授業をサボっているという事態がもう、おかしい…。
数々の疑問が頭に浮かんだが、先に口を開いたのはしばけん君だった。
「俺の席、どいてくんない?」
「………は?」
不意を突かれて、心の声がそのまま出た感のある彼女は疑問がそのまま顔に出たような顔をして答えた。
「俺の席…ってどこ?」
「いや、ピアノの前に決まってんだろ、アホか」
えっと……ん?
自分の中で問い直した。
今は授業中であって、ここは音楽室。本来いるはずのないしばけん君がいる。それは理解できる。
けれどなぜこのピアノが彼の席なのか。と、いうかまずそもそも何故彼がここにいるのか。
私の心の葛藤を知ってか知らぬかしばけん君が私をピアノから引き剥がし、言った。
「ちょっと聞いてろ」
その瞬間、空気が変わった。彼の顔が変わった。ピアノの音が変わった。
しばけん君が引いたのは“仔犬のワルツ”軽やかなスタッカートが印象的な素早い曲だ。彼のワルツは野原で仔犬が走ってるようで、愛らしい感じが伝わってくる。この世の中には私と彼しかいなくて、目の前で仔犬が走ってる。
そんな描写がいとも簡単に再現できた。うっとりするような旋律だけれども、感動で動くことすらできない。そんなワルツが急に切れてしばけん君が口を開いた。
「どうだ。聞いてりゃお前も割と弾けるようだがな」
「す、凄い‼︎旋律が流れてて、弾けて、仔犬、見えた‼︎鳥肌が立った…」
彼は無邪気な顔をしてクスッと笑って言った。
「まだ気付かないのか?」
彼女はキョトンとして考えた。
「何が?」
「俺が誰か、だよ。」
「え、あなたは柴崎けん………」
彼女は言いかけたまま、開いた口が塞がらないような顔をして言った。
「柴崎健人⁉︎え⁉︎本人⁉︎…なんですか?」
私は叫びたくなった衝動を全力で抑えて言った。
「あの弱冠16歳にしてピアニスト界の現代モーツァルトと呼ばれ、ソロコンサートは即日完売、しかしマスコミ完全規制をしてメディアに顔を出したことはなく、それが故に謎の少年と噂をされているあの柴崎健人、なんですか⁉︎」
彼は少し驚いたような顔をして言った。
「お-、この年代で俺のこと知ってる人って割と少ないのにな。そうだよ。俺がその柴崎健人だ。」
なん…ということだ…。私は今まで彼と同じ学び舎で授業をして、過ごしていたのか…。なんならピアノも聴いてしまった…。
「感動に打ち震えているのでしばらくお待ちください」
私がいうと彼はさっきのような無邪気な顔でクハッと笑って、
「なんだよそれ、目が点になってるぞ?お前が言うほど俺は凄くないよ。」
「いや、凄いです。本当に、こんな形でお話しできるとは思いませんでした。」
「かしこまり過ぎ。話しにくいったらありゃしない」
彼はまた面白そうに笑って言った。そして何か思いついたように、言った。
「そんなに俺のピアノに感動したなら、連弾でもしてみる?」
彼女は今度こそ叫びそうな顔をしたが、声が出ないようで、呻くように言った。
「れんだん⁉︎」
「そう連弾。」
「何を…?」
「うーん、何がいいかなぁ。即興曲とかどう?お前はふつうに弾けばいい。俺はそれに乗っかるから。即興曲は誰もが通る道だから出来るよな?」
即興曲は中学1年生の時のコンクールでやったことがある。もう覚えてはいないが、多分指が覚えてるだろう。
速さとテンポが特徴的な曲で、きちんと練習をしていないと指がもつれるような曲だ。
「ちょっと弾いてみ?」
私にもう拒否権はないようで、彼がピアノを譲った。私は一呼吸ついて席に座り、もう一呼吸ついて指に鍵盤を乗せた。弾く前に目を閉じて、目を開いた時にはもう音の世界だった。指の動きに身を任せてなるべく指の邪魔にならないように思考を停止する。音がはじけるように弾くことを意識して、思うままに動かす。元のメロディに戻ったところで、彼が言った。
「お、弾けそうだな。じゃあ連弾すっか。」
彼のこの言葉だけで私の心臓は止まりそうになって、ドキドキした。
(私これから柴崎健人と連弾、するんだ…)
「あの…私、即興曲の連弾は初めてなんですけど、大丈夫…ですか?」
しばけん君はニヤッと笑って
「大丈夫、俺も初めてだから。」
「えっ……⁉︎」
「それこそ即興曲。なんつって。お前のタイミングで始めていいよ」
と言って、彼は一息ついてから目をつぶった。
私も目をつぶって、1音目の音を出して次の音達を紡いだ。
最初のメロディは彼は入らなかったから私のソロみたいな感じになったけれど、2回目の繰り返しから彼は入ってきた。本当に即興かなって思うくらいの乗っかりようで、低い音と高い音のマッチングがただ綺麗で、弾くことを忘れそうな音だけれどもメロディのパートを生かす連弾で、低い音程に入ると、彼の音も大きくなって、いつの間にか終わっていた。
「あれ⁉︎私、ちゃんと全部弾けてた⁉︎」
彼は笑って言った。
「弾けてたよ。さては、弾いてる途中に時間飛んだだろ。」
「飛びました。集中し過ぎて…もっとちゃんとしばけん君のピアノ見たかった…」
「また見せてやるよ。なんならご所望の曲を弾いて差し上げましょうか?」
「え!いいの?」
「どうぞ。」
私はきっと目がキラキラしてたのではないかと思う。だって、あの天才ピアニストの音をただでしかも、好きな曲を弾いてくれるというのだから。どうしようかと迷い、そしてふと浮かんだ曲にしようと思った。
「きらきら星。きらきら星変奏曲がいい。」
「りょーかい。」
彼は少し思いつかなかったような曲に驚いたような顔をしたが、すぐにピアノに向かい、一息ついた。
彼のきらきら星変奏曲は驚くほど綺麗で、そこに夜空があるような幻想に囚われるようで、とにかくメロディが流れていた。盛り上がる部分では圧倒的な力強さと流麗さを右手で表していて、暗闇の中を流れる一筋の流れ星のようだった。
曲が終わって、少し余韻に浸ってから彼は言った。
「なんできらきら星だったんだ?」
「わたしの、始まりの曲だから。」
きらきら星変奏曲はわたしがピアノを始めるきっかけの曲だった。幼稚園の時に、それを聞いて圧倒的なピアノの力を知って、始めたいと思ったのだ。そんなことを話した。
「きらきら星か。俺が1番最初に教わった曲もきらきら星だったな。」
彼は懐かしそうに目を細めた。
「でも、きらきら星変奏曲って凄いよな。あんなに単調なメロディをここまで盛り上げることが出来るんだからさ。俺もチューリップ変奏曲とか作ろっかな」
冗談交じりに彼はそう言ったが、きっとやろうと思えば出来るんじゃないかと思う。
「いいね。チューリップ変奏曲。わたし聞いてみたいかも。」
笑ってそう言った時、チャイムの音がした。今は6時間目のはずだったのでこれからHRが始まるはずだった。
「ホームルームめんどいからサボろうぜ」
彼はそう言って私の隣に座った。
外は相変わらず暑そうだったけれど、そんなことはもう気にならなくなっていた。
