「もう! 急に近づかないでください!」

家に着き、部屋に入るなり、私は店長の肩を叩く。

「え? 何が?」

全く悪びれる様子も無く肩をさする店長に「何がって!いちいち近いんですよ!店長は!」と怒鳴る。

「え? 近いって…」

店長が急に私の肩をガシッと掴み、そのままベッドへ押し倒す。

「は? ちょっと…」
「こういう事?」

店長はにや、と目を細め、グッと顔を近付ける。

二度目もドキドキなんてすると思ったら大間違えだ! 少し顔が良いからって調子に乗るな!

私は冷ややかな目線で店長を見つめながら、膝を立てて、そのまま上に振り上げた。

「ぐはっ」

店長は股間を押さえてふらふらと床へ倒れ込んだ。

「あれー? 幽霊でも痛感ってあるんですねー! ごめんなさーい!」

私はベッドから飛び起き、ペロ、とわざとらしく舌を出す。

「クッ…この俺の股間を蹴り上げるとは…お前、只者じゃねえな…」

顔をしかめて私を見上げる店長。

「店長が襲ったりするからですよ。自業自得です」
「あ、パンツピンクだ」

店長がふと顔を上げてそう呟く。

「…もう一度蹴られたいですか?」
「待てって! 悪かったって!」

私がわなわなと拳を震わせると、店長は慌てて立ち上がり、手を合わせた。

私はふう、とため息をつく。

「あ、そういえば、店長、今日ずっとどこいってたんですか?」

私がブレザーを脱ぎながら尋ねると、店長は「あー」と頭を掻く。

「店の方を見に行ってたんだ。今日はさすがに休業してたけど、大変だろうな。それと、犯人捜し」

お店…そうだ。あの店は店長が若くして継いだお店だったんだ。

ふと自慢気に店長の事を語るみな美の顔がフラッシュバックする。

「病気で早く亡くなった親父さんのお店を継いだんだって」

私は「まあ、多分閉店だろうな」と腕を組む店長を見る。

こんなおちゃらけていてふざけてばっかりの店長も、昨日までは「店長」だったんだ。

あの美味しい豚骨ラーメンはきっと、店長のお父さんやおじいさんが代々伝えてきた秘伝の味なんだ。

店長がいなくなった今、あのラーメンを誰が作るのだろう。もしかして、本当に閉店になったら?

私は思わず「あの、店長」と声を上げてしまう。

店長は「ん?」と首を傾ける。

「あの豚骨ラーメン、すごく美味しかったです。みな美に『日本一上手いラーメン』って言われて誘われたんですけど、本当にそう思いました。私、あのラーメンが無くなるなんて、嫌です」
「お前…」

店長は少し驚いた様な顔をしてから、「でも、仕方ねえよ。もう誰も作れねえし。あれは俺が何度も親父と特訓して、作れる様になった、秘伝のラーメンなんだ」と優しく笑う。

「それは、レシピがあっても、ですか?」

私がそう言うと、店長は「え?」と目を開く。

「いや、レシピがあったら、不可能では…無いと思う。調理師免許を持ってるスタッフも何人かいるし。ただ、レシピがねえんだよ」
「じゃあ、今書いてください。なるべく詳しく」
「は!?」

店長は更に大きく目を見開く。

「私がそのレシピをあのお店に持っていきます。そうしたら、お店が潰れないかもしれないですよね?」
「確かにそうかもしれねえが、何て言って渡すんだ? 急にお前が行って渡したら怪しいだろ」
「そこは何とかします。ね? 店長。お願いします。お店の為に、レシピを書いてください」

店長は下を向く。

「…そうだな、書くか。お前、ナイスアイデアだな」

店長はぱっと顔を上げた。

その顔にはいつもの笑顔が戻っていた。

店長は私の頭をくしゃくしゃと撫で回すと、すぐ様私の机に座り、「このノート1枚貰うな」とノートを掲げた。

そして、2時間後。

私は夕飯を済ませ、部屋に戻る。

「店長ー、プリンありますけど、いります…」
「出来た!!」

ドアを開けた途端、店長の大きな声が耳を貫く。

「なるべく詳しくって何回も書き直してたら時間かかっちまった…でもこれで完璧だ! これであいつらも俺の豚骨を再現出来るはずだ!」

店長は高々とレシピを掲げる。

私はぱちぱちと手を叩く。

「お疲れ様です! じゃあ、早速お店に持っていきましょう!」
「で、結局、どうやって持っていくんだ?」

店長が私の頭上でひらひらとレシピをかざす。

「ま。任せといてくださいよ」

私がジャンプして頭上のレシピを奪い、ニッと笑うと、店長は首を傾げた。