ハナノユメ

 一時間後、花と煌星は広場の噴水に腰掛けて、行き行く人々を眺めていた。噴水の中央には彫刻でできた半身が蛇の女神像が建ち、その指先から水を滴らせながら、手持無沙汰な二人を見下ろしている。白い鳩が広場を横切ってゆくのを、花は見つめた。煌星は頬杖をついて、つまらなさそうにしていた。花もため息をひとつ。
「こんだけ探してもいないってことは、もう帰っちゃったのかな」
「さあな。そうかもな」
「あ、煌星。もうどーでもいーやとか思ったでしょう」
「だってどうでもいいもん。小松さんいないし」
「ごめん」
 そうだった。煌星がこうして居てくれるのは花の為なのだ。申し訳なくなって素直に謝ると、煌星は少し驚いたようにこっちを見た。
「花って変なとこで素直だな」
「へ?」
「いや、それじゃあさ」
 煌星はタンッと噴水から降りると、振り返ってニヤッと笑った。
「それじゃ、せっかくだし、ふたりで遊ぼう」
 きょとんとした花に、煌星は立ち上がるよう急かした。
「だから、一緒に回ろうって言ってんの。ラシェッドじゃなくて悪いけど」
「いいの?」
「しょうがねーからな。せっかくの休日を寮の中でなんて過ごしたくないし」
 花は思わず微笑んでしまった。勢いよく噴水から降りる。ラシェッドと話せなかったのは残念だけれど、なんだか急に力が抜けた気がした。ほっとしたら、せっかく街に来たのに、何にも楽しめていないことに気づいた。近くの露店ではドライフルーツとスパイスの効いたルーセ伝統の飲み物が、プラスチックのボトルに入って色とりどりに並んでいるし、反対側では、煮込んだ豚肉と薬草を薄く伸ばした小麦粉の生地で包んだ総菜が売られている。急に、何とも言えない良い香りが鼻をくすぐってきた。
「よし! まずどこから行く?」
「お菓子屋さん!」
「色気ねえなー……ま、そこが花の短所で長所か」
「なによ、いいじゃない」
 煌星とクスクス笑いあいながら、足取り軽く町並みを歩んだ。日差しが少し眩しくて、でも良い天気で、隣に居る男の子は好きな人じゃないけれど、それでも花の心は弾んだ。

 結局ラシェッドとユリアと合流したのは、夕暮れに差し掛かった頃だった。歩きつかれてカフェに入ったら、ラシェッドとユリアがカウンターでジュースを飲んでいたのだ。花と煌星は拍子抜けしながら、ふたりの隣に座る。花はユリア、煌星はラシェッドの隣。煌星も飲み物を頼んだ。
「お前らどこ行っていたんだよ!」
「その台詞は僕のだよ。突然消えちゃってさ」
 こそこそと話し出したラシェッドを他所に、ユリアはにっこりと微笑んだ。あんなに嫌いだと言っていたラシェッドとずっとふたりきりだったのに、何故かご機嫌だ。ユリアもこっそり耳打ちする。
「どうだった?」
「え?」
「だから、煌星よ」
「なに?」
「あら! 何もなかったの? 煌星は案外奥手なのね」
「ユリア、何の話?」
「煌星って、花と仲がいいみたいだし」
 ユリアは満面の笑みを浮かべた。花は呆気に取られてしまって声も出ない。もしかしてこのラシェッドとユリアの逃走劇は。
「もしかして、仕組んだの?」
「楽しかった?」
「ユリア、誤解してるよ」
「ラシェッドのこと? そうね、確かに嫌なやつだってことはわかってるけど、そこまで最悪ではないって、今日わかったわ。案外、いいところもあるのかも」
「そうじゃなくて、煌星のこと。煌星とわたしは何でもないよ」
「そう?」
 けれどユリアはにこやかに返すだけで、話を聞いちゃいない。困ったことになったと煌星の方を見たけれど、横並びの奥にいる煌星はラシェッドとユリアで見えなかった。これは早急に同盟の会議を開かなければならない。
 花たち四人は、頼んだものを飲み終えるとすぐに学校へと帰ることにした。夕食の時間までには学校へ戻らなければならない。
 夕暮れのグラデーションが校舎にかかっている。街から校舎まではずっと坂道だ。ユリアとラシェッドは相変わらず言い争いながら、花と煌星の前を歩いていた。結局ラシェッドとはまったく話が出来なかった。煌星は、花がラシェッドと話ができるように、無理にラシェッドを引き留めようとしていたけれど、ユリアとの険悪な雰囲気がなくなっているのに気づいて、煌星をとめた。せっかくユリアとラシェッドは、仲直りできそうなのだ。
 城を目指し階段を登るにつれ、かつての城塞都市は次第に寂れた建物が続き、半分森と同化してゆく。木立を抜けると急に潮風の香りがした。切り立つ崖の上の古城が眼前にそびえたち、落とし格子の門をくぐると、校舎の門まで遮るものが何もない一本道なので風を強く感じた。
 校舎に入ると、玄関ホールに小松が居た。天井が高く柱が幾本にも並び、大理石でできた、かつては壮麗なホールだったこと想わせる玄関ホール。吹き抜けになった二階の回廊、その左右から階段が降り、中心で合わさってまた二股にわかれて玄関ホールへと続いている。階段にはさまれた正面扉は、中庭をぐるりと囲む回廊へと続いていた。二階の窓からは何本も中庭からの西日が差しこんでいる。
小松は誰かを待っているように大階段の端にもたれかかっていた。花たちに気づくと、こちらに向かってきた。どうやら花たちが帰ってくるのを待っていたらしい。
「小松さん!」
 声をあげると、小松は口の端をぴくりと動かした。ほほ笑もうとしたのかもしれない。
「今日はごめんなさい。それと、花、あなたに話があるの」
「話?」
「ここでは話せないから、夜に寮のホールで待っているわ」
 それだけ言うと、小松は階段を上っていった。
いったい、どういうことだろう?
花は小松の背中を呆然と眺めていた。昨日の小松の当惑、今朝の小松の苛立ち、そして先ほどの感情を無理に抑えているような小松。いったい、自分は小松に何をしてしまったのだろうか。
ぼうっとしていると、急に肩に手が置かれた。
「ひゃ!」
「花ちゃん。せっかく小松さんがいたのに、こういうときに俺を紹介しなくてどうするんだ」
 煌星が小さな、でも低い声でささやく。そうだ、と気づいたときにはもう遅い。小松の姿はもう見えなかった。恐る恐る煌星を見上げた。