十九
青々とした芝生は、今は夕暮れ色に染まっていた。踏みしめるたびに乾いた音がした。花は木立の中を走りすぎると、息も絶え絶えに、大きな樫の木へとたどり着いた。茂る樫の木の葉からは、煌星の足が微かに見えた。嬉しくなって、息を整えるのも忘れて樫の木の大木へ足をかけた。
「煌星!」
少しだけ見えていた、煌星のシューズの爪先が木の向こうへ引っ込んだ。煌星が顔を出す。煌星のいる、いつもの幹の割れ目までのぼろうと、急いだ。
「あのね、煌星、」
「おい花、焦ってのぼると落ちるぞ、……っ! ……って、言った矢先に! バカ!」
ちょっと足を滑らせてしまった。煌星は悪態をついて、左腕を掴みあげてくれた。煌星に助けられて幹を登りきった。そして向かいに座り込む。
「初めて会った日みたい。あの日もわたし、滑り落ちそうになったよね」
「懲りないよなあ、お前」
ふたりでひとしきり笑った。煌星は幹を背にして、座りなおした。二人で向かい合ったら、急に、沈黙が訪れた。でも、不必要な、気まずい沈黙ではなかった。木が風に揺れてさわさわと音を立てていた。夕陽は次第にワインレッドへ染まってゆく。花は煌星を見ていた。煌星も花を見ていた。
煌星が泣いているのに気づいた。どうして泣いているのだろう?
先に口を開いたのは花だった。けれど、煌星は花の口に人差し指を当てて、黙らせた。
「俺が言うから、お前は聞いてればいんだよ」
どんな理屈。と言いたいのを堪えて、花は煌星の次の言葉を待った。
「花が好きだ」
思わず、笑みを零して、俯いてしまった。どうしよう、どうしよう、どうしよう。すごく嬉しい。心臓の音が煌星に聞こえてるんじゃないかしら。
「ずるいよね、わたしだけ、こんなにドキドキしてる」
「バカ」
「わ、」
頭を引き寄せられたと思ったら、次の瞬間、煌星の胸に押し付けられていた。
「ほら。ドキドキしてる」
煌星の温もりから、どくどく、どくどく、という心臓の音が聞こえた。花の心臓と、同じくらい早くて、どくどくしてる。花は驚くと同時に、嬉しくなった。煌星はそのまま、背中に腕を回した。髪の毛に顔を埋めて、耳元で呟く。
「ずっと、こうしたかったような気がする」
煌星はずっと、そうしていたから、花は煌星に身体を預けて、頷いた。わたしも、ずっとこうしたかったよ。
「……煌星」
「……ん」
「……煌星」
「おう」
「煌星」
「なんだよ、バカ」
横目に、煌星が描いた、そして自分が描いた、落書きを見つけた。花はその落書きを見つめながら、この優しい時間が、いつまでも続けばいいなあと、煌星のぬくもりにほだされて、とろとろになった頭の片隅で、思った。煌星の心臓の音が、聞こえる。 それから、なんだか、眠くなってきた。煌星の腕の中は気持ちよくて、眠ってしまいそう。意識がとけてゆく。これだけは伝えておかなければ。あれ? どうしたのかな、煌星がするりと抜けてゆく。だけどこれだけは伝えておかなければ。
「あのね、煌星、だいすき」
ああ、だけど。愛しいあなたに祝福のキスを。
青々とした芝生は、今は夕暮れ色に染まっていた。踏みしめるたびに乾いた音がした。花は木立の中を走りすぎると、息も絶え絶えに、大きな樫の木へとたどり着いた。茂る樫の木の葉からは、煌星の足が微かに見えた。嬉しくなって、息を整えるのも忘れて樫の木の大木へ足をかけた。
「煌星!」
少しだけ見えていた、煌星のシューズの爪先が木の向こうへ引っ込んだ。煌星が顔を出す。煌星のいる、いつもの幹の割れ目までのぼろうと、急いだ。
「あのね、煌星、」
「おい花、焦ってのぼると落ちるぞ、……っ! ……って、言った矢先に! バカ!」
ちょっと足を滑らせてしまった。煌星は悪態をついて、左腕を掴みあげてくれた。煌星に助けられて幹を登りきった。そして向かいに座り込む。
「初めて会った日みたい。あの日もわたし、滑り落ちそうになったよね」
「懲りないよなあ、お前」
ふたりでひとしきり笑った。煌星は幹を背にして、座りなおした。二人で向かい合ったら、急に、沈黙が訪れた。でも、不必要な、気まずい沈黙ではなかった。木が風に揺れてさわさわと音を立てていた。夕陽は次第にワインレッドへ染まってゆく。花は煌星を見ていた。煌星も花を見ていた。
煌星が泣いているのに気づいた。どうして泣いているのだろう?
先に口を開いたのは花だった。けれど、煌星は花の口に人差し指を当てて、黙らせた。
「俺が言うから、お前は聞いてればいんだよ」
どんな理屈。と言いたいのを堪えて、花は煌星の次の言葉を待った。
「花が好きだ」
思わず、笑みを零して、俯いてしまった。どうしよう、どうしよう、どうしよう。すごく嬉しい。心臓の音が煌星に聞こえてるんじゃないかしら。
「ずるいよね、わたしだけ、こんなにドキドキしてる」
「バカ」
「わ、」
頭を引き寄せられたと思ったら、次の瞬間、煌星の胸に押し付けられていた。
「ほら。ドキドキしてる」
煌星の温もりから、どくどく、どくどく、という心臓の音が聞こえた。花の心臓と、同じくらい早くて、どくどくしてる。花は驚くと同時に、嬉しくなった。煌星はそのまま、背中に腕を回した。髪の毛に顔を埋めて、耳元で呟く。
「ずっと、こうしたかったような気がする」
煌星はずっと、そうしていたから、花は煌星に身体を預けて、頷いた。わたしも、ずっとこうしたかったよ。
「……煌星」
「……ん」
「……煌星」
「おう」
「煌星」
「なんだよ、バカ」
横目に、煌星が描いた、そして自分が描いた、落書きを見つけた。花はその落書きを見つめながら、この優しい時間が、いつまでも続けばいいなあと、煌星のぬくもりにほだされて、とろとろになった頭の片隅で、思った。煌星の心臓の音が、聞こえる。 それから、なんだか、眠くなってきた。煌星の腕の中は気持ちよくて、眠ってしまいそう。意識がとけてゆく。これだけは伝えておかなければ。あれ? どうしたのかな、煌星がするりと抜けてゆく。だけどこれだけは伝えておかなければ。
「あのね、煌星、だいすき」
ああ、だけど。愛しいあなたに祝福のキスを。
