十八
発表会はパーティ形式で盛大に行われる。生徒たちは制服を脱ぎ捨て、色とりどりのドレスやタイでめかしこんでいた。午後の早い時間は中等部の持ち時間で、中庭の会場にも中等部の生徒であふれていた。夜は高等部の発表にうつる。
煌星と悠木は演奏のための燕尾服を着ていた。ラシェッドはアラビアンナイトの物語から出てきたかのような衣装に身を包んでいた。ユリアはバレエの衣装だ。薄いヴェールを幾重にもまとったような、はかない亡霊の衣装。亡霊となったジゼルは、消えゆくとき何を想ったのだろう?
四人は舞台を見つめていた。ユリアは涙を流していた。悠木が目を細めて舞台を見つめ、聞いてきた。
「煌星とユリアには四人で踊っているように見えるの?」
煌星は頷いた。舞台では、花、アリス、ターニャ、アレックスの四人が、ひらひらとしたミニスカートの衣装で、アップテンポの曲に合わせて笑顔を振りまきながら踊っている。
「僕には三人にしか見えない」
ラシェッドがじっと目を凝らしている。
「花は、知らないんだね、僕たちが見えないこと」
悠木がつぶやいた。ユリアの嗚咽が聞こえた。
「ありがとう悠木。小松に確認するのを、俺に任せてくれて」
悠木は首を振った。
「僕は第三者だ。だけど、良かったよ。柳井小松が花を落としたんじゃなくて。塔の上の用務員には僕が確かめに行こう。また薬と祝福を持って行ったほうがいいかもしれないし」
ふと煌星は気づいた。
「もしかしたら、俺も祝福したのかもしれない」
「え?」
「母の祝福は夢を魅せた。俺にもその血が流れている」
プラムの夜、あの時に弾いていた曲は何だったか。徐々に思い出してきた。祝福が消え始めている。確かあの時、トロイメライを弾いていた。
花たちのダンスが終わった。花は頬を上気させ、観客に向かってほほ笑み、仲間たちと笑いあっている。妖精のような白いドレスがよく似合っていた。近くで男子生徒たちが騒いでいる声が聞こえてきた。「あの子、誰だっけ? 可愛い」「誰? どの子?」「ほら、四番目の」「四番目? 三番目じゃなくて?」ひとりは、花のことが見えないようだった。ユリアはまだ泣いている。花のことが見えないと、うわ言のように呟いて、ラシェッドに慰められていた。もう時間がない。
「行かなきゃ」
「どこに?」
「花と約束したんだ」
はたと立ち止まって、煌星は悠木を振り返った。
「悪いけど、花は俺のことが好きだ」
悠木は頷いた。何度もチャンスがあったのに、話しかけられなかった僕は、彼女を見ることが出来なくて当然だと言って、力なく笑った。
「次、弦楽四重奏だよ」
「なに弾くの?」
「鎮魂歌を。アメイジンググレース」
煌星は、中庭を後にした。花との待ち合わせ場所は、あの場所だ。初めて花と出会った場所。
煌星は、約束の場所までの道を一歩一歩踏みしめながら、受け入れようと努力した。花がもういないこと。いなくなってしまうこと。祝福でしかない彼女に、今から煌星がすることは何か意味があるのかも考えた。だけど煌星が惹かれたのは最初から祝福である彼女で、生前の花のことは知らない。煌星は、彼女を祝福だと思うことをやめた。ひとりの女の子だと思ったら、すべてがシンプルに感じられた。
樹の上で待っていたら、夕暮れの中現れた花は驚くほど可憐な様子で、今にも消えそうだった。細く伸びるはずの影はなく、地面に落ちた木々の影の間をぬって歩いてくる花はこの世のものではないのを物語っていた。しかし自分のその様子に気づいていないようで、煌星は胸が締め付けられた。あとどのくらいで消えてしまうのだろう? 彼女は知っているのだろうか。煌星は、この少し抜けた女の子が、何も知らないだろうことを祈った。
花はまた、樹の上に登るときに足を踏み外した。慌ててつかんだ腕をつかんだけれど、適切な体重を感じることはできなかった。
花の頬は上気して、いままでみたなかで一番美しい、恋する少女の瞳だった。
ふれた花はしかしまだ体温があった。祝福が消え始めている。心臓の音が、はるかかなたに遠ざかっていくように小さくなってゆく。今君はここにいるのに。花が何事か口を開いたので、煌星は黙らせた。
「俺が言うから、お前は聞いてればいんだよ」
煌星は、この言葉に何の意味があるのだろう、と一瞬考えた。だけど伝えたかったから伝えた。出会ってから今まで、この夢のような女の子。
「花が好きだ」
「ずるいよね、わたしだけ、こんなにドキドキしてる」
花が本当に幸せそうに微笑むので、煌星はたまらなくなって思わず抱きしめた。
「バカ」
「わ、」
「ほら。ドキドキしてる」
花はおとなしく煌星の胸に頬をよせていた。
「ずっと、こうしたかったような気がする」
煌星は思わずつぶやいた。そしてこれからもずっとこうしていられたらよかったのに。本当にどうにもできないことなのだろうか? この世には、不条理なこと、自分の力ではどうにもできないことが沢山ある。そのことを、煌星はこれまでまともに考えてみたこともなかった。死はそのひとつだ。
「……煌星」
「……ん」
「……煌星」
「おう」
「煌星」
「なんだよ、バカ」
花の笑顔は染まったばら色の頬があどけなく、ゆめみる少女の希望に満ちて光り輝くようだった。煌星は、花が消えるのを悟った。あまりにもあっけない、そして突然の別れ。花が最期に言った言葉は、煌星の胸に深く刻まれた。
そして煌星の唇に触れた花の唇は、温度のないもので、そのまま淡雪のように消えていった。煌星は、確かに抱いていた花が、腕の中から消えてゆくのを見守った。花が消えてしまった後も、その場を動けないでいた。中庭から弦楽四重奏の軽やかな響きが、風に乗って流れてきていた。
発表会はパーティ形式で盛大に行われる。生徒たちは制服を脱ぎ捨て、色とりどりのドレスやタイでめかしこんでいた。午後の早い時間は中等部の持ち時間で、中庭の会場にも中等部の生徒であふれていた。夜は高等部の発表にうつる。
煌星と悠木は演奏のための燕尾服を着ていた。ラシェッドはアラビアンナイトの物語から出てきたかのような衣装に身を包んでいた。ユリアはバレエの衣装だ。薄いヴェールを幾重にもまとったような、はかない亡霊の衣装。亡霊となったジゼルは、消えゆくとき何を想ったのだろう?
四人は舞台を見つめていた。ユリアは涙を流していた。悠木が目を細めて舞台を見つめ、聞いてきた。
「煌星とユリアには四人で踊っているように見えるの?」
煌星は頷いた。舞台では、花、アリス、ターニャ、アレックスの四人が、ひらひらとしたミニスカートの衣装で、アップテンポの曲に合わせて笑顔を振りまきながら踊っている。
「僕には三人にしか見えない」
ラシェッドがじっと目を凝らしている。
「花は、知らないんだね、僕たちが見えないこと」
悠木がつぶやいた。ユリアの嗚咽が聞こえた。
「ありがとう悠木。小松に確認するのを、俺に任せてくれて」
悠木は首を振った。
「僕は第三者だ。だけど、良かったよ。柳井小松が花を落としたんじゃなくて。塔の上の用務員には僕が確かめに行こう。また薬と祝福を持って行ったほうがいいかもしれないし」
ふと煌星は気づいた。
「もしかしたら、俺も祝福したのかもしれない」
「え?」
「母の祝福は夢を魅せた。俺にもその血が流れている」
プラムの夜、あの時に弾いていた曲は何だったか。徐々に思い出してきた。祝福が消え始めている。確かあの時、トロイメライを弾いていた。
花たちのダンスが終わった。花は頬を上気させ、観客に向かってほほ笑み、仲間たちと笑いあっている。妖精のような白いドレスがよく似合っていた。近くで男子生徒たちが騒いでいる声が聞こえてきた。「あの子、誰だっけ? 可愛い」「誰? どの子?」「ほら、四番目の」「四番目? 三番目じゃなくて?」ひとりは、花のことが見えないようだった。ユリアはまだ泣いている。花のことが見えないと、うわ言のように呟いて、ラシェッドに慰められていた。もう時間がない。
「行かなきゃ」
「どこに?」
「花と約束したんだ」
はたと立ち止まって、煌星は悠木を振り返った。
「悪いけど、花は俺のことが好きだ」
悠木は頷いた。何度もチャンスがあったのに、話しかけられなかった僕は、彼女を見ることが出来なくて当然だと言って、力なく笑った。
「次、弦楽四重奏だよ」
「なに弾くの?」
「鎮魂歌を。アメイジンググレース」
煌星は、中庭を後にした。花との待ち合わせ場所は、あの場所だ。初めて花と出会った場所。
煌星は、約束の場所までの道を一歩一歩踏みしめながら、受け入れようと努力した。花がもういないこと。いなくなってしまうこと。祝福でしかない彼女に、今から煌星がすることは何か意味があるのかも考えた。だけど煌星が惹かれたのは最初から祝福である彼女で、生前の花のことは知らない。煌星は、彼女を祝福だと思うことをやめた。ひとりの女の子だと思ったら、すべてがシンプルに感じられた。
樹の上で待っていたら、夕暮れの中現れた花は驚くほど可憐な様子で、今にも消えそうだった。細く伸びるはずの影はなく、地面に落ちた木々の影の間をぬって歩いてくる花はこの世のものではないのを物語っていた。しかし自分のその様子に気づいていないようで、煌星は胸が締め付けられた。あとどのくらいで消えてしまうのだろう? 彼女は知っているのだろうか。煌星は、この少し抜けた女の子が、何も知らないだろうことを祈った。
花はまた、樹の上に登るときに足を踏み外した。慌ててつかんだ腕をつかんだけれど、適切な体重を感じることはできなかった。
花の頬は上気して、いままでみたなかで一番美しい、恋する少女の瞳だった。
ふれた花はしかしまだ体温があった。祝福が消え始めている。心臓の音が、はるかかなたに遠ざかっていくように小さくなってゆく。今君はここにいるのに。花が何事か口を開いたので、煌星は黙らせた。
「俺が言うから、お前は聞いてればいんだよ」
煌星は、この言葉に何の意味があるのだろう、と一瞬考えた。だけど伝えたかったから伝えた。出会ってから今まで、この夢のような女の子。
「花が好きだ」
「ずるいよね、わたしだけ、こんなにドキドキしてる」
花が本当に幸せそうに微笑むので、煌星はたまらなくなって思わず抱きしめた。
「バカ」
「わ、」
「ほら。ドキドキしてる」
花はおとなしく煌星の胸に頬をよせていた。
「ずっと、こうしたかったような気がする」
煌星は思わずつぶやいた。そしてこれからもずっとこうしていられたらよかったのに。本当にどうにもできないことなのだろうか? この世には、不条理なこと、自分の力ではどうにもできないことが沢山ある。そのことを、煌星はこれまでまともに考えてみたこともなかった。死はそのひとつだ。
「……煌星」
「……ん」
「……煌星」
「おう」
「煌星」
「なんだよ、バカ」
花の笑顔は染まったばら色の頬があどけなく、ゆめみる少女の希望に満ちて光り輝くようだった。煌星は、花が消えるのを悟った。あまりにもあっけない、そして突然の別れ。花が最期に言った言葉は、煌星の胸に深く刻まれた。
そして煌星の唇に触れた花の唇は、温度のないもので、そのまま淡雪のように消えていった。煌星は、確かに抱いていた花が、腕の中から消えてゆくのを見守った。花が消えてしまった後も、その場を動けないでいた。中庭から弦楽四重奏の軽やかな響きが、風に乗って流れてきていた。
