ハナノユメ

十二

 選考会は舞台発表と回廊展示の二種類あり、また中等部と高等部にも別れていた。ユリアの所属しているバレエグループは大所帯で、毎年大人数でバレエの一幕を演じるため、ほとんど出演が決まっていた。大所帯の有力候補はミュージカルが一組、ビッグバンドが一組、あとは持ち時間なども考慮されて十組ほど選ばれる。
 小松とは曲の好みが似通っていたので演奏曲は揉めずに決まった。小松の伴奏でクライスラーの「愛の悲しみ」と、小松はショパンのバラード第一番ト短調作品二十三も弾くことになった。ラシェッドには両方とも短調の曲というだけで「君たち暗いね」と言われたが、悠木には「誰でも知っている有名どころでくるなんて自信家だね二人とも」と評された。
選考会までに二度三度ほど音楽室で合わせてみたが、小松のピアノは、こっそりと聞いていたいつもの小松の演奏、あの切実な訴えのような演奏とは違った無難なものだった。選考会ではそれでも通るかもしれないが、どうせ演奏するならば、煌星はあのピアノの伴奏が欲しいと思っていた。
いつ切り出そうか迷っているうちに選考会がはじまった。選考は数日間に分けで授業後に行われる。煌星たちは最終日だった。
「心臓が口から出そう」
選考が始まった初日、花は青い顔で食事ものどを通らないようだった。
「今日、選考なの?」
「ううん、最終日」
「最終日か。俺たちと一緒だ。まだ二日もあるのに、今からそんなんで大丈夫なのか?」
 仕上げが間に合わなかったのかと思ったが、そうではないようだった。出来具合を聞いてみると、花は意外にも少し自信をのぞかせた。
「衣装もみんなで作ったの。可愛いんだよ」
「へえ」と相槌をうって、煌星には興味がさほどなかったけれど、花が聞いてほしそうだったので「どんな衣装?」と聞いてみたが、「お楽しみなの!」としたり顔をされただけだった。面倒くさいが、可愛いとも思う。
 花はダンスグループで上手くやっているようだった。ユリアが話していたが、ダンスも驚くほど上達しているらしい。しかしこのところどこか元気がないようだった。どうかしたのかと聞くほどでもない、微妙な変化だったけれど、花から少し距離を置かれているような気がしていた。話しかけると普通なので、煌星には花の思惑がよくわからなかった。
 だが花はまだわかりやすいほうであった。煌星にとっては小松はより謎で、何を考えているのかさっぱりわからなかった。何度か二人きりで練習をしたけれど、必要最低限のことを伝え合うだけで、お互いじりじりと牽制しあっているような雰囲気があった。
 選考前の最終練習の時、ふと小松に尋ねてみた。
「花と異母姉妹だって?」
「花から聞いたのね」
「いや、悠木から」
「あの人、私のことコソコソ調べて、何を吹聴しているのかな」
 小松は顔をゆがめて、不快をあらわにした。煌星は迷ったが思い切って聞いてみることにした。
「君はあの日、どこにいた?」
「あなたも疑ってるのね、黒川」
「そういうわけではないけれど」
「女生徒が落ちた時、寮にいたわ。アリバイはない、ってやつね。それで、どうするの?」
 小松は挑むように煌星を見据えた。小松にこのタイミングで聞くのは間違いだったと煌星は悟った。それどころか薄氷の上に立っているような微妙なバランスで保たれていた関係にひびが入ったのかもしれなかった。
「君の母親の姓は柳井か」
「そうだけど」
「君と同じようにまっすぐな黒髪をしてた? 君と似てたのかな」
「どうしてそんなことを聞くの」
 煌星は言葉に詰まった。まだ乳母から手紙が届いていないから確証がない。しかし煌星の中ではずっと確信していたことがあった。もうそろそろ返事が届いても良いころだったが、乳母からは一向に返事がなかった。
「花と君は似ていないから、気になっただけだよ。さあ、最後にもう一度合わせて選考へ行こう」
 誤魔化したけれど、小松は納得のいっていないようだった。ピアノ越しにヒリヒリと小松の疑心が伝わってくるようだった。
 

 乳母へ出した手紙の返事より先に、電報が届いた。それは母の危篤の報せだった。
煌星は入学してから一度も出ることのなかった城の門を、急いで出ることになった。落とし格子の門へと続く石積みの道は潮の風が強く吹いていた。城の中にいるとわからないけれど外に出ると校舎の下がすぐ海になっていることを思い出した。
 門の外にはすでに迎えが来ていた。煌星のいない間に雇われたのか、知らない顔の使用人が車の前で煌星を待っている。煌星が車に乗り込むと、手短に母の様子を教えてくれた。それ以降は無駄口を叩かず、煌星はひとりで物思いにふけることができた。
 母が危篤と聞いてもどうも実感がわかなかった。悲しみを感じているかと考えてみたがそうでもないことに気づいた。ただ衝撃を受けていた。
なぜ悲しくないのか、煌星は考えた。母はずっと不在だった。そこにいたけれど、別の世界の住人になってしまった母は、母の中の煌星と会話し、手紙を送りつけていた。煌星自身をみているわけではなかった。煌星の中では母はとっくの昔に、死んでいるも同然だったのかもしれない。
煌星の住んでいた屋敷は二時間ほど車を走らせた東の地の王都寄りにある。広大な敷地に建てられた木造の平屋で、ルーセ王都の伝統的な建築とはかけ離れた異国情緒のあるつくりだった。うっそうと茂る木々のトンネルをくぐると瓦屋根のついた塀がみえてくる。
屋敷に入ると乳母の雪が待っていた。雪は白いものが混じる乾燥した髪の毛をひっつめた痩せた女性で、煌星が小さなころから妖怪のように見た目が変わらなかった。四年前、玄関で見送られた時とそっくりそのまま同じ様子で煌星を迎え入れた。
「雪、手紙は届いているかな」
 雪は久しぶりに会う煌星にちらりとも愛想をみせず、淡々と答えた。
「申し訳ありません、煌星さん。お返事を出そうと思っていたのですが、奥様の容体が急変したもので。お手紙に書かれていた質問への回答は、のちほど、お答えいたします。今はどうぞ奥様の元へ」
「父は」
「旦那様は王都に。すぐには帰って来られないようです」
「そう」
 雪は母の部屋までついてきたけれど襖を開けると下がった。奥に明かりがついているのみの、薄暗い部屋へ煌星は足を踏み入れた。母は天蓋付きのベッドに横になっており、そばに初老の医者がついていた。煌星は緊張していた。出来れば会いたくないとすら思っていた。母の姿を見るのが恐ろしかったのだ。
「母さん」
 灯りに照らされた母にそっと呼び掛けてみた。王家特有の金の髪と灰の瞳はくすんでいた。枯れ枝のような手がぴくりと動いたのを見て、煌星は手を取った。生気の消えてゆく手だった。
 ふとこの手がひらひらと頭上を舞う幼い日の記憶が思い起こされた。煌星は母のひざに頭を預けて、刺繍する母の手元をうとうとしながら眺めていた。母は少し調子の外れた童謡をうたっていた。何の歌だったのか今はもう思い出せない。だけれど母の横顔を幼心にきれいだと見つめていたのを思い出した。あの頃の母はもうすでに別の世界の住人だったのだろうか?