「なるほどって、どうして」
「小松さんのピアノ、聴いたことあるから。ええと、トロイメライだったかな。すごく綺麗だった」
「ありがとう、好きな曲なの。ドイツ語で”夢を見る”だったかしら」
「なんだかロマンチック」
「そうね。あとは、ショパンとか、ラヴェルとか、ドビュッシーとか、好きだわ。月の光、知ってる?」
「うん。わたしも、ピアノを弾いていたから。でも、全然駄目で。お父さんはがっかりしてるだろうな」
花ははたと口をつぐんだ。父の話を出してしまったことを後悔する。花はあの日の小松の敵意を思い出してはらはらしながら小松を見たが、しかし小松は気にしていないようで安堵した。
「どんな人だった? あなたの両親は」
さりげない風を装っているけれど、本当は、聞きたかったのかもしれない。小松の質問に、花は言葉を選びながら答えた。
「お父さんは、指揮者をしてる。あまり家にいなかったけれど、帰ってくると遊んでくれて、優しくて大好き。お母さんは、わたしが生まれてすぐに死んじゃったみたいだからわからないけれど、ピアノの才能があったみたい。それから祝福も。古の祝福に近いものがあったって。音楽一家に生まれているのに、わたしは何の楽器も人並み以上には出来なかったな」
「あなたも母を亡くしてるのね」
二人はしばし、互いの思い出を反芻しているようだった。ぼんやりとノートを見ていたが、小松が先に気が付いた。
「そうだ、こんなこと話している場合じゃなかったわ。この部分、どうしましょう。教科書を見てもいまいちわからないのよね。花は特進クラス、とっていないし」
「ねえ、わかりそうな人、ひとり知ってる」
「だれ?」
小松は腕組みをしながら、ペンを弄んでいる。花はがやがやとしたホールを見渡すと、その人物を探した。
「あ、いた。煌星!」
煌星はいつもの仲間達と話しているようだ。大きな声で叫ぶと、お行儀悪く椅子の背にもたれかかって、椅子の後ろ足だけで体重を支えてギコギコしていた煌星が、首だけで振り返った。手でちょいちょい、と煌星を呼びつける。煌星はちょっと面倒くさそうな顔をしたが、隣に小松がいるのを見つけると、満更でもなさそうな顔になってテーブルまでやってきた。
「なに?」
「数学特進クラス、とってたよね」
「ああ。何お前、またレポート手伝えとか言うんじゃないだろうな」
「わたしがじゃなくて小松さんが」
ね、と煌星に笑いかける。煌星は少し驚いたようで、でも手持ち無沙汰に耳の後ろをかきながら、確かめるように小松を見下ろした。奇妙な感覚で煌星と小松を交互に見つめる。そういえば小松と煌星が話すのを、花ははじめて見た。ふと、二人はどこか似ていると感じた。どこと言われると、うまく言えないのだが。
「もしよかったら、教えて欲しいわ」
「いいよ。どこ?」
煌星は、いつもと変わらない調子でそう答えながら、小松の隣の椅子に腰掛ける。なんか、あれ、なんて言葉だっけ、そう、スマートだ。すごくスマートに。すごいな、さすが黒川煌星。もし自分だったら、好きな人の前でそんな普通に振舞えない。小松に、教科書を使いながらすらすらと説明していく煌星は、なんだかすごくカッコよくみえた。煌星のくせに。
煌星は机に手を突いて、もう片方の手でレポートを指しながら、小松に教えている。時どき小松の「そうね」とか「ええ」とか「わかったわ」とか言う声が聞こえてきたが、あとの会話はさっぱりわからなかった。急に、数学、もっと勉強しておけばよかったな、なんて思ってしまう。何だか疎外された気分だ。少しつまらなく思いながら、ふたりが会話をしているのを眺めていたら、急に煌星に頭を小突かれた。
「お前、ここ違う」
「え?」
いつの間にか煌星は花の後ろに立って、レポートを見下ろしていた。それから横に置いてある小松のレポートを目ざとく見つけると、呆れたような顔で見下ろす。
「小松さん、花にレポートなんて見せたら駄目だって。覚えようとしないんだから、試験で落すぞ」
「あら、そうね、後で後悔してそこから自分でやることを学んでくれればいいと思ったけれど。それじゃあやっぱり可哀想かな」
「ひどい! 小松さん、そういう意味だったの?」
花が情けない声を出すと、クスクス笑いながら「冗談よ」なんて言った。どこまで本気かわからない。
「いいもん、やっぱり、自分でやるよ。小松さん、もうレポート終わったの?」
「ええ、おかげさまで助かったわ。ありがとう、黒川」
「どういたしまして。終わったら代わりに花のレポート見てやってよ。俺、次、授業だからさ」
「そうね、面倒くさいけれど、まあいいわ」
「ひどいよね、ふたりとも。わたしのことすごくバカだと思ってるでしょう」
ため息混じりに言えば、煌星の「そんなことないって」と小松の「そこが可愛いところよ」が重なった。花はどう反応していいのかわからなくなって、でも結局、三人で笑ってしまった。
小松にレポートを見てもらいながら、ふと思う。もし煌星と小松が付き合い始めたら、煌星とはもう気軽に一緒にいたり出来なくなるのかな。花のレポートに視線を落としながら、あれこれと言っている小松の白い頬を見つめる。どうしてだろう、少し面白くない。
「聞いているの、花?」
「あ、うん。ごめん」
慌てて意識を戻した。一体どうしたのだろう。こんなこと思うなんて、どうかしているし、矛盾している。煌星の恋が上手くいけばいいな、なんて思っていながら、煌星が離れていってしまうのが、嫌だなんて。
「小松さんのピアノ、聴いたことあるから。ええと、トロイメライだったかな。すごく綺麗だった」
「ありがとう、好きな曲なの。ドイツ語で”夢を見る”だったかしら」
「なんだかロマンチック」
「そうね。あとは、ショパンとか、ラヴェルとか、ドビュッシーとか、好きだわ。月の光、知ってる?」
「うん。わたしも、ピアノを弾いていたから。でも、全然駄目で。お父さんはがっかりしてるだろうな」
花ははたと口をつぐんだ。父の話を出してしまったことを後悔する。花はあの日の小松の敵意を思い出してはらはらしながら小松を見たが、しかし小松は気にしていないようで安堵した。
「どんな人だった? あなたの両親は」
さりげない風を装っているけれど、本当は、聞きたかったのかもしれない。小松の質問に、花は言葉を選びながら答えた。
「お父さんは、指揮者をしてる。あまり家にいなかったけれど、帰ってくると遊んでくれて、優しくて大好き。お母さんは、わたしが生まれてすぐに死んじゃったみたいだからわからないけれど、ピアノの才能があったみたい。それから祝福も。古の祝福に近いものがあったって。音楽一家に生まれているのに、わたしは何の楽器も人並み以上には出来なかったな」
「あなたも母を亡くしてるのね」
二人はしばし、互いの思い出を反芻しているようだった。ぼんやりとノートを見ていたが、小松が先に気が付いた。
「そうだ、こんなこと話している場合じゃなかったわ。この部分、どうしましょう。教科書を見てもいまいちわからないのよね。花は特進クラス、とっていないし」
「ねえ、わかりそうな人、ひとり知ってる」
「だれ?」
小松は腕組みをしながら、ペンを弄んでいる。花はがやがやとしたホールを見渡すと、その人物を探した。
「あ、いた。煌星!」
煌星はいつもの仲間達と話しているようだ。大きな声で叫ぶと、お行儀悪く椅子の背にもたれかかって、椅子の後ろ足だけで体重を支えてギコギコしていた煌星が、首だけで振り返った。手でちょいちょい、と煌星を呼びつける。煌星はちょっと面倒くさそうな顔をしたが、隣に小松がいるのを見つけると、満更でもなさそうな顔になってテーブルまでやってきた。
「なに?」
「数学特進クラス、とってたよね」
「ああ。何お前、またレポート手伝えとか言うんじゃないだろうな」
「わたしがじゃなくて小松さんが」
ね、と煌星に笑いかける。煌星は少し驚いたようで、でも手持ち無沙汰に耳の後ろをかきながら、確かめるように小松を見下ろした。奇妙な感覚で煌星と小松を交互に見つめる。そういえば小松と煌星が話すのを、花ははじめて見た。ふと、二人はどこか似ていると感じた。どこと言われると、うまく言えないのだが。
「もしよかったら、教えて欲しいわ」
「いいよ。どこ?」
煌星は、いつもと変わらない調子でそう答えながら、小松の隣の椅子に腰掛ける。なんか、あれ、なんて言葉だっけ、そう、スマートだ。すごくスマートに。すごいな、さすが黒川煌星。もし自分だったら、好きな人の前でそんな普通に振舞えない。小松に、教科書を使いながらすらすらと説明していく煌星は、なんだかすごくカッコよくみえた。煌星のくせに。
煌星は机に手を突いて、もう片方の手でレポートを指しながら、小松に教えている。時どき小松の「そうね」とか「ええ」とか「わかったわ」とか言う声が聞こえてきたが、あとの会話はさっぱりわからなかった。急に、数学、もっと勉強しておけばよかったな、なんて思ってしまう。何だか疎外された気分だ。少しつまらなく思いながら、ふたりが会話をしているのを眺めていたら、急に煌星に頭を小突かれた。
「お前、ここ違う」
「え?」
いつの間にか煌星は花の後ろに立って、レポートを見下ろしていた。それから横に置いてある小松のレポートを目ざとく見つけると、呆れたような顔で見下ろす。
「小松さん、花にレポートなんて見せたら駄目だって。覚えようとしないんだから、試験で落すぞ」
「あら、そうね、後で後悔してそこから自分でやることを学んでくれればいいと思ったけれど。それじゃあやっぱり可哀想かな」
「ひどい! 小松さん、そういう意味だったの?」
花が情けない声を出すと、クスクス笑いながら「冗談よ」なんて言った。どこまで本気かわからない。
「いいもん、やっぱり、自分でやるよ。小松さん、もうレポート終わったの?」
「ええ、おかげさまで助かったわ。ありがとう、黒川」
「どういたしまして。終わったら代わりに花のレポート見てやってよ。俺、次、授業だからさ」
「そうね、面倒くさいけれど、まあいいわ」
「ひどいよね、ふたりとも。わたしのことすごくバカだと思ってるでしょう」
ため息混じりに言えば、煌星の「そんなことないって」と小松の「そこが可愛いところよ」が重なった。花はどう反応していいのかわからなくなって、でも結局、三人で笑ってしまった。
小松にレポートを見てもらいながら、ふと思う。もし煌星と小松が付き合い始めたら、煌星とはもう気軽に一緒にいたり出来なくなるのかな。花のレポートに視線を落としながら、あれこれと言っている小松の白い頬を見つめる。どうしてだろう、少し面白くない。
「聞いているの、花?」
「あ、うん。ごめん」
慌てて意識を戻した。一体どうしたのだろう。こんなこと思うなんて、どうかしているし、矛盾している。煌星の恋が上手くいけばいいな、なんて思っていながら、煌星が離れていってしまうのが、嫌だなんて。
