ハナノユメ

 煌星がやってきたのは、真夜中近くになった頃だった。宿題も終わって何もすることがなくなってうとうとしていたらしい。小突くような音にはっと目が覚めると、ホールには一人きりで、時計を見ると針は真上で重なろうとしている。その間にもコツコツと言う音は急かすように鳴り続けていた。どこから聞こえてくるのだろうと見渡してみると、なんと窓から煌星の顔がのぞいていたので、思わずふき出してしまった。まさか窓からやってくるなんて思わなかった。
「煌星! なんてとこから来るの」
 窓を開けて第一声、声を張り上げると、煌星は静かに、と人差し指を口元に当てた。口を押さえてホールを振り返るが、誰も寝室から起きてくる気配はない。寮監にでも見つかったら大変なことになる。煌星に向き直ると、今度はこっそり聞いた。
「ばれたら罰則よ?」
「ばれないさ」
 それからニイッと笑うと、煌星は手を差し出した。
「いいとこ連れてってやる。はやく」
「え、あ、え」
窓から抜け出すだなんて。。しかもこんな夜中に。そしてここは二階だ。煌星は二階まで伸びた高く太い木と、校舎の外壁に足をかけていた。
「はーやく」
 煌星が急かすので、一瞬躊躇したが、思い切って窓に足をかけた。しかし、降りそこなって煌星の肩にかかっていたベルトを思いっきり掴む。煌星はバイオリンケースを背負っていた。
「うわ! ちょ、首絞まる首締まる」
「だ、だ、だって! 落ちる!」
「わーったから他のとこ掴め、他のとこ!」
「他のとこって!」
「手ぇ回せばいいだろ!」
 慌てて煌星の腰に手を回す。けれど、そうすると意外に密着してしまうことに気づいて、恥ずかしくなった。女子とは違う、かたい骨ばったからだ。どうしようかと思ったけれど、煌星は予想通りけろりとしている。ひとり意識しているのも馬鹿らしくなって、そのまましがみついていることにした。しっかりとつかまったのを確認すると、煌星はそろそろと壁の凹凸を伝って下へ降りた。古い石造りの校舎は手足をかける場所がたくさんあるらしい。防犯には適していないなと花はあきれて見上げた。
「どこ行くのー」
「こっち!」
 煌星は花の手をつかむと、校舎から離れ、林の中へ突き進んだ。暗い林の中は時々小動物や虫の気配がするだけで静まり返っている。花はちょっと怖くなって煌星の手をしっかりつかんだ。
 到着した場所は、街へ行く道とは反対方面に校舎を囲む林の奥、そのなかの開けた場所だった。
「いいとこって、ここ?」
「そ」
 煌星は背負っていたバイオリンのケースを下すと、野原の上に座り込んだ。
そうしてごろんと寝転がって、夜空を見上げた。花もつられて上を見上げると、宝石のようなきらきらとした星が瞬いていた。
「わあ、きれい」
「だろ。塔の上よりも、林に囲まれて明かりがないからこの場所の方が綺麗にみえるんだ」
 煌星の隣に座り込みながら、ため息混じりに賞賛すれば、煌星も得意げに微笑んだ。そういえば、このやり取りは前にもあった。あの樫の木の上で、小松の弾くピアノの音に聞きほれていた時だ。あの時も、煌星は小松のピアノを、自分の手柄のように得意げに話して聞かせたのだ。
「そういえば、小松さんからメモを受け取ったのよね。どうだった?」
「どうって、お前、そうゆうことは前もって知らせておけよ。びっくりしたじゃん」
「だって、気まずかったんだもん。でも良かったね。知り合えて」
 茶化して言うと、煌星は少し照れくさそうに向こうを向いてしまった。それにしても、さっきまではあんなに煌星に会うのが気まずかったのに、会ってしまえば何て事のない。なんだか拍子抜けしてしまった。煌星の、少し染まった頬を見て、クスクス笑ってしまう。
「照れちゃって」
「あーもう! 落ち込んでいると思ったから気晴らしに連れて来てやったのに、なんだよ。全然元気じゃないか」
 呆けてしまった。そうだ、ラシェッドに失恋したんだ。すっかり、忘れてた。きょとんとしている花を見て、煌星はため息をついた。
「心配して損した」
「心配してくれたの?」
「べっつに」
「素直じゃないなあ、煌星は」
「前まではあんなに落ち込んでたのに、どういう風の吹き回しだよ」
 煌星は本当に不思議そうに、顔をのぞきこんできた。どうしてだろうと、考える。煌星がいなかったら、ラシェッドの恋は憧れだけで終わったかもしれないけれど、いま、煌星がいなかったら、未だ落ち込んで塞ぎこんでいた気がする。
「そうだなあ、煌星のおかげかな」
「はあ? 俺何かしたっけ」
「べっつにー」
 クスクス笑いながら煌星の真似をすると、煌星はまだ少し腑に落ちないといった表情だ。
「前、落ち込んでいたことも、良くなったみたいだな」
 花は、煌星の言うことがすぐにわからなかったが、小松との関係に衝撃を受け、悩んでいた時のことだと思い当たった。
「うん、それも、もう大丈夫。お父さんから返事はないけれど、長期休みには会えるから、その時に聞くことにする」
「そっか」
「うん。それはそうと、煌星、なんでバイオリン持ってるの?」
「ああ、これ。せっかく持ってきたし、な」
 煌星はむくりと起き上がる。
「誰かのために弾くのは初めてだ」
 そういって煌星は、バイオリンを取り出した。肩と顎に軽く挟むと、やわらかく弓を持つ。コホン、と咳ばらいをした。
「花の次の恋が上手くいくように」
自分で言って、恥ずかしいようで少し耳が赤い。煌星は意外と照れ屋さんだと、ひとつ発見して、嬉しくなる。煌星は音を確かめるように何度か弓を弾いた。そして、花に微笑む。星明りに照らされて、それは花の記憶に永遠に刻まれる、景色と音の美しい情景だった。音のなる一瞬前、儀式のように瞼を閉じた煌星をみたら、花は今から起こる出来事の予兆を感じて鳥肌がぶわりと全身をかけてゆくのを感じた。
「では、君に祝福を」
 星に願いをが流れ始めた。心をわしづかみにするような響きと目の前に広がる星空、それに凛とした煌星の姿は花の胸を打った。かき乱されて、ハンマーで殴られたみたいな衝撃。あんまりにも綺麗だから、花は自然と涙があふれてくるのを感じた。
こうやって煌星とふざけあっている時間が、ずっと続いていけばいいな、なんて思う。ここで流れ星が流れてきたら、一番に、煌星の恋の成就を願ってあげたい。煌星の為に何かしてあげたい。煌星はちょっと意地悪だけど、かっこいいし、良い人だよ。それに、小松さんのこと、好きだよ。小松さんがそれに、気づいてくれたらいいなあ。
 そう思って、ふと気づいた。花の中で、煌星はただの協力相手だけじゃなくて、いつのまにか、大切な友達になっていたようだ。