それに、小松の口から煌星の名前を聞くのは、何だか変な感じだった。煌星の口からはよく小松のことを聞いたけれど。こうして近くで見ると、やはり綺麗な顔をしている。それに、なるほど、印象的な瞳だ。顔のパーツでは目が好き、と煌星が言っていたのを思い出した。猫に例えるには控えめで、狐に例えるには和らげな、表現しがたい形。
「嫌なら言わなくてもいいわ」
「えっあ、そうじゃなくて」
花は慌てて言った。
「失恋したの。それを煌星は知ってるから、ちょっと気まずくて。それで、ケンカしたみたいになっちゃった」
「あら、そう。それで最近いつもの元気が無かったのね。私が言ったことを気にしているのかと思った」
あら、そう。で済まされたことに少し驚いた。だけどそうだよね、他人の失恋なんてあら、そう。意外のなんでもない。とるに足らないことだ。自分でもそう思えたらいいのに。それに、あの日確かに敵意を感じたのに、何事もなかったように話しかけてきた小松に驚いた。
「どうしても信じられなくて、お父さんに確かめる手紙を書いたの。でも返事がなくて。まだ異母姉妹だったなんて信じられないの。小松さんを妹だなんて思えない」
「いいわよ思わなくて。私も姉だなんて思わないし。それに大人げなかったと反省してるの。あなたに、非はない。わかっているんだけど、割り切れなくて。でもあなたに伝えたら、どうでもよくなった気もするの」
さっぱりした様子に、花は戸惑った。小松に言いたいことがあるなら言いなさいと目で促される。
「小松さん、はわたしのこと憎んでいるのかと思ってた」
「そんな時期もあったわね確かに。“知らない”ってことは、相手をより良く見せたり、悪く見せたりもするものね。あなたのことを何も知らずに憎んでいた。けれど実際会ったあなたを、憎むのは馬鹿らしく思えた」
花は、どう受け取っていいのかわからなかった。しかし、小松からの敵意はなくなっているように思われた。半分だけ血のつながった、姉妹。それは、分身のような。片割れのような。見つめあうと、小松という人の今までの人生の片鱗を共有できそうな気がしてきた。花は、実は、あの敵意をあらわにされた時から、強烈に、小松に特別なつながりを感じ始めていたことに気づいた。
「ねえ、小松さん。変なこと聞いていい?」
「変なこと? 何」
「好きな人に彼女が出来て、わたしは失恋してしまったのだけど、失恋して、とっても悲しいけど、奪い返してまでわたしのものにしたいとは思わないの。気持ちだけ伝えたい、とも思わないの。それって本当に好きじゃなかったってことなのかな?」
小松にこんなことを話している自分が不思議だった。けれど、このもやもやしたわだかまりを取り除いてくれるような気がしたのだ。抽象的な話にも関わらず、小松は最後まできちんと聞いてくれて、それから頷いてくれた。
「そうね、性格の問題もあると思うけれど。あなたはあまり自分の感情を人にぶつけたりしないで、内で解決しちゃうように見えるし。だけど、私は色んな気持ちがあってもいいと思うわ」
「色んな気持ち?」
「こうあらなきゃいけないってのはないと思うの。”本当に”好きかなんて、考える必要はないわ。だって、あなた、その人のこと、好きだったんでしょう? 恋してたんでしょう? それでいいじゃない」
花には、小松の言っていることがいまいちよくわからなかった。そんな顔をしていたのだろう、小松はつぎ足した。
「恋に恋してもいいと思うな。大丈夫、女の子はひとつ恋を失くすたびに綺麗になるんだから。している最中は可愛くなろうと努力するでしょう。でもね、ぐんと垢が抜けるのは、それが終わった後なのよ。ひとつ恋を乗り越えた女の子は驚くほど美しくなると思う。うーん、そうね、真珠って、どうやってできるか知ってる? 貝の中に異物が入り込んで、出来るのよ。わざと傷をつけたりする。それと同じね。女の子も。秘密と傷を抱えた、真珠のような謎めく魅力が出来上がるの」
小松は微笑んだ。その微笑が怪しい引力を纏っていて、花は底の見えない谷を覗き込んだ気持ちになった。こんな風に笑う女の子を花は知らない。それに、小松からこんな話を聞けるとは思わなかった。というか、この歳で恋や女を語る小松は一体何者だろう。同い年の花は初めての恋に右往左往しているというのに、この差は何かしら。到底、自分の方が姉だとは思えない。そして、いつも静かに本を読んでいる小松が、そんなことを考えているなんて、誰も思わないだろう。謎めく魅力、はそのまま小松を現しているようだ。小松もいくつかの恋を失ってきたのだろうか。
「小松さんはすごいなあ。勉強も出来て、大人っぽくて、ピアノも弾けて、優しくて、羨ましいな」
「そういうことを素直に口に出来るあなたの方が、私には羨ましい」
まただ。小松と見つめあうと、花はまたあの不思議なつながり、好きとか嫌いとか、好意とか敵意とかを超越した二人だけの繋がりを感じた。そして、誰に失恋したの、とかそういうことを根掘り葉掘り聞かないところが、また小松らしいと思う。
「黒川と仲直りはしないの?」
花は黙って俯いた。ケンカというか、一方的に避けているだけなのだが、それもここまできてしまうと、今更どんな顔をして煌星に話しかけたらいいのかわからなかった。もう何日煌星と話してないかな。煌星、どうしてるかな。ちょっと寂しい気もする。そう思ったら、急に煌星に会いたくなってきた。でもどんな顔をして会おう。
「私は、てっきり黒川とあなたは付き合っているものかと思ってた」
「ええ! ち、違うよっ! どうしてそんなこと」
「お互いの表情を見てたら、なんとなく、思ったのよ。ふたりとも恋してるなって。それで、あなたたちいつも一緒に居るから」
「こ、恋してる、って思ったのは、それは、お互い別の人に、だよ。だいたい煌星は。ねえ小松さん、小松さんは、好きな人いないの?」
「私? いないけど。急にどうしたの」
「ううん、ちょっと聞いてみたかっただけ。あ、そうだ」
花は、自分にしては中々気の利くアイディアを思いついたと嬉しくなった。こうすれば、煌星と仲直りも出来るし、煌星と小松の出会いのきっかけもつくれる。煌星も喜んでくれることだろう。花は鞄の中からノートを取り出すと、適当な大きさに千切った。それから、ペンで走り書きをする。
”煌星へ ごめんね、もう大丈夫だから 花より 追伸 びっくりした? 感謝してよね!”
書き終えると、これでよし。とメモを折りたたんだ。小さいほうが、渡す時に手と手が触れ合う可能性が高くなる……って、なに考えてるのかしら。思わず自分の卑しい考えに顔が熱くなった。
「わたし、煌星と仲直りする」
「いい考えね」
「だから、このメモ、煌星に届けてくれないかな」
「私が? 謝るなら、自分の口で言ったほうがいいんじゃないかしら」
「ほんとにほんとに、気まずいの。だから、お願い!」
気まずいのは、本当。必死に頼み込んでみると、小松は訝しみながらも了承してくれた。やっぱり、優しい。いまだ、微妙な関係だけれど、険悪なものではない、と思う。花は、小松が歩み寄ってくれたのかもしれないと思った。
花はなんだかすごく良いことをした気分になって、メモを持って教室を出てゆく小松の、華奢な背中を期待と興奮をこめて見守った。
その日の夜のこと、女子寮のホールでひとりレポートに取り組んでいたら、小松がやってきた。もう煌星にメモは渡してくれたかしら。聞いてみようと思ったが、小松は隣に座ると、すぐに切り出したので、その必要は無かった。
「メモ、渡しておいたわ」
「ありがとう」
煌星がどんな様子だったか、驚いていたかとか、聞きたくてうずうずしたけれど、何故かそういうことを聞き難かった。その場にいたかったな、なんて思ったけれど、煌星のことだから、照れたりとかそういうことはないのかもしれない。つまらないなあ。
「煌星、何か言ってた?」
「ええ、言付けを預かってきたわ」
「伝言?なに?」
「”寮のホールで待ってろ”ですって。伝えたからね」
そう言うと、小松は少し面白がっているような顔で微笑むと、女子寮へとあがっていった。教科書に視線を戻しながら、首をかしげる。どういうことだろう。ホールで待ってろ、だなんて、煌星の寮は違うのに。煌星は男子寮、花はもちろん女子寮で互いの寮へ入るのは禁止されている。しかも、いつ待ってろと? 指定がないって事は今日でいいのかしら。男子寮のホールなんて入れないから、女子寮のホールでいいのよね。まったく、もっと具体的に言ってくれなきゃわからないじゃない。そう悪態をつきながら、けれど、ちょっと嬉しくなって、花は時計を見上げた。もうすぐ十時だ。煌星はいつ来るかしら。
「嫌なら言わなくてもいいわ」
「えっあ、そうじゃなくて」
花は慌てて言った。
「失恋したの。それを煌星は知ってるから、ちょっと気まずくて。それで、ケンカしたみたいになっちゃった」
「あら、そう。それで最近いつもの元気が無かったのね。私が言ったことを気にしているのかと思った」
あら、そう。で済まされたことに少し驚いた。だけどそうだよね、他人の失恋なんてあら、そう。意外のなんでもない。とるに足らないことだ。自分でもそう思えたらいいのに。それに、あの日確かに敵意を感じたのに、何事もなかったように話しかけてきた小松に驚いた。
「どうしても信じられなくて、お父さんに確かめる手紙を書いたの。でも返事がなくて。まだ異母姉妹だったなんて信じられないの。小松さんを妹だなんて思えない」
「いいわよ思わなくて。私も姉だなんて思わないし。それに大人げなかったと反省してるの。あなたに、非はない。わかっているんだけど、割り切れなくて。でもあなたに伝えたら、どうでもよくなった気もするの」
さっぱりした様子に、花は戸惑った。小松に言いたいことがあるなら言いなさいと目で促される。
「小松さん、はわたしのこと憎んでいるのかと思ってた」
「そんな時期もあったわね確かに。“知らない”ってことは、相手をより良く見せたり、悪く見せたりもするものね。あなたのことを何も知らずに憎んでいた。けれど実際会ったあなたを、憎むのは馬鹿らしく思えた」
花は、どう受け取っていいのかわからなかった。しかし、小松からの敵意はなくなっているように思われた。半分だけ血のつながった、姉妹。それは、分身のような。片割れのような。見つめあうと、小松という人の今までの人生の片鱗を共有できそうな気がしてきた。花は、実は、あの敵意をあらわにされた時から、強烈に、小松に特別なつながりを感じ始めていたことに気づいた。
「ねえ、小松さん。変なこと聞いていい?」
「変なこと? 何」
「好きな人に彼女が出来て、わたしは失恋してしまったのだけど、失恋して、とっても悲しいけど、奪い返してまでわたしのものにしたいとは思わないの。気持ちだけ伝えたい、とも思わないの。それって本当に好きじゃなかったってことなのかな?」
小松にこんなことを話している自分が不思議だった。けれど、このもやもやしたわだかまりを取り除いてくれるような気がしたのだ。抽象的な話にも関わらず、小松は最後まできちんと聞いてくれて、それから頷いてくれた。
「そうね、性格の問題もあると思うけれど。あなたはあまり自分の感情を人にぶつけたりしないで、内で解決しちゃうように見えるし。だけど、私は色んな気持ちがあってもいいと思うわ」
「色んな気持ち?」
「こうあらなきゃいけないってのはないと思うの。”本当に”好きかなんて、考える必要はないわ。だって、あなた、その人のこと、好きだったんでしょう? 恋してたんでしょう? それでいいじゃない」
花には、小松の言っていることがいまいちよくわからなかった。そんな顔をしていたのだろう、小松はつぎ足した。
「恋に恋してもいいと思うな。大丈夫、女の子はひとつ恋を失くすたびに綺麗になるんだから。している最中は可愛くなろうと努力するでしょう。でもね、ぐんと垢が抜けるのは、それが終わった後なのよ。ひとつ恋を乗り越えた女の子は驚くほど美しくなると思う。うーん、そうね、真珠って、どうやってできるか知ってる? 貝の中に異物が入り込んで、出来るのよ。わざと傷をつけたりする。それと同じね。女の子も。秘密と傷を抱えた、真珠のような謎めく魅力が出来上がるの」
小松は微笑んだ。その微笑が怪しい引力を纏っていて、花は底の見えない谷を覗き込んだ気持ちになった。こんな風に笑う女の子を花は知らない。それに、小松からこんな話を聞けるとは思わなかった。というか、この歳で恋や女を語る小松は一体何者だろう。同い年の花は初めての恋に右往左往しているというのに、この差は何かしら。到底、自分の方が姉だとは思えない。そして、いつも静かに本を読んでいる小松が、そんなことを考えているなんて、誰も思わないだろう。謎めく魅力、はそのまま小松を現しているようだ。小松もいくつかの恋を失ってきたのだろうか。
「小松さんはすごいなあ。勉強も出来て、大人っぽくて、ピアノも弾けて、優しくて、羨ましいな」
「そういうことを素直に口に出来るあなたの方が、私には羨ましい」
まただ。小松と見つめあうと、花はまたあの不思議なつながり、好きとか嫌いとか、好意とか敵意とかを超越した二人だけの繋がりを感じた。そして、誰に失恋したの、とかそういうことを根掘り葉掘り聞かないところが、また小松らしいと思う。
「黒川と仲直りはしないの?」
花は黙って俯いた。ケンカというか、一方的に避けているだけなのだが、それもここまできてしまうと、今更どんな顔をして煌星に話しかけたらいいのかわからなかった。もう何日煌星と話してないかな。煌星、どうしてるかな。ちょっと寂しい気もする。そう思ったら、急に煌星に会いたくなってきた。でもどんな顔をして会おう。
「私は、てっきり黒川とあなたは付き合っているものかと思ってた」
「ええ! ち、違うよっ! どうしてそんなこと」
「お互いの表情を見てたら、なんとなく、思ったのよ。ふたりとも恋してるなって。それで、あなたたちいつも一緒に居るから」
「こ、恋してる、って思ったのは、それは、お互い別の人に、だよ。だいたい煌星は。ねえ小松さん、小松さんは、好きな人いないの?」
「私? いないけど。急にどうしたの」
「ううん、ちょっと聞いてみたかっただけ。あ、そうだ」
花は、自分にしては中々気の利くアイディアを思いついたと嬉しくなった。こうすれば、煌星と仲直りも出来るし、煌星と小松の出会いのきっかけもつくれる。煌星も喜んでくれることだろう。花は鞄の中からノートを取り出すと、適当な大きさに千切った。それから、ペンで走り書きをする。
”煌星へ ごめんね、もう大丈夫だから 花より 追伸 びっくりした? 感謝してよね!”
書き終えると、これでよし。とメモを折りたたんだ。小さいほうが、渡す時に手と手が触れ合う可能性が高くなる……って、なに考えてるのかしら。思わず自分の卑しい考えに顔が熱くなった。
「わたし、煌星と仲直りする」
「いい考えね」
「だから、このメモ、煌星に届けてくれないかな」
「私が? 謝るなら、自分の口で言ったほうがいいんじゃないかしら」
「ほんとにほんとに、気まずいの。だから、お願い!」
気まずいのは、本当。必死に頼み込んでみると、小松は訝しみながらも了承してくれた。やっぱり、優しい。いまだ、微妙な関係だけれど、険悪なものではない、と思う。花は、小松が歩み寄ってくれたのかもしれないと思った。
花はなんだかすごく良いことをした気分になって、メモを持って教室を出てゆく小松の、華奢な背中を期待と興奮をこめて見守った。
その日の夜のこと、女子寮のホールでひとりレポートに取り組んでいたら、小松がやってきた。もう煌星にメモは渡してくれたかしら。聞いてみようと思ったが、小松は隣に座ると、すぐに切り出したので、その必要は無かった。
「メモ、渡しておいたわ」
「ありがとう」
煌星がどんな様子だったか、驚いていたかとか、聞きたくてうずうずしたけれど、何故かそういうことを聞き難かった。その場にいたかったな、なんて思ったけれど、煌星のことだから、照れたりとかそういうことはないのかもしれない。つまらないなあ。
「煌星、何か言ってた?」
「ええ、言付けを預かってきたわ」
「伝言?なに?」
「”寮のホールで待ってろ”ですって。伝えたからね」
そう言うと、小松は少し面白がっているような顔で微笑むと、女子寮へとあがっていった。教科書に視線を戻しながら、首をかしげる。どういうことだろう。ホールで待ってろ、だなんて、煌星の寮は違うのに。煌星は男子寮、花はもちろん女子寮で互いの寮へ入るのは禁止されている。しかも、いつ待ってろと? 指定がないって事は今日でいいのかしら。男子寮のホールなんて入れないから、女子寮のホールでいいのよね。まったく、もっと具体的に言ってくれなきゃわからないじゃない。そう悪態をつきながら、けれど、ちょっと嬉しくなって、花は時計を見上げた。もうすぐ十時だ。煌星はいつ来るかしら。
