ハナノユメ

 あとちょっとで、写真に手が届く……掴んだ。けれど、写真は花と煌星が握り締めた真ん中でビリッと破けてしまった。写真を持っていた女の子たちの「あっ」という声が聞こえた。花は急いで写真を見る。前方には、女の子達の顔のアップ。その後ろには、ラシェッドが歩いている。その隣にいる女の子は、ちょうど破れていて見えなかった。煌星の持っている片方に写っているのだ。
 煌星も花も息が荒かった。煌星は目が合うと、写真を見下ろし、びりびりと写真を千切ってしまった。それから、開け放たれている窓に向かうと、写真のくずを思いっきり外に撒き散らす。細かくなったかけらはひらひら、ゆっくりと落ちてゆく。花は煌星を押しのけて、紙片をつかもうと窓から乗り出すが、手のひらは空を掴むばかりだった。
「あ」
 呆然と紙くずの落下を眺めている花の後ろで、また女の子たちの声がした。それに促されて少し顔を上げてみると、池の淵を仲良く歩いているふたりを見つけた。手を繋いで、それはとても楽しそうで、お互い、お互いを好きだという視線で笑いあっていた。煌星の悪態が聞こえた。花は信じられない気持ちでふたりを見つめた。図書館から花たちの視線を一身に集めているとは知らずに、遠くで笑い合っているのは、ラシェッドと、そしてユリアだった。
「お、おい……」
 煌星が後ろからおずおずと話しかける。花は窓から身を乗り出すのをやめた。煌星はこのことを言おうとしてたのか。だからラシェッドのことを話す花にいつもとは違う反応で、だからあんなに歯切れが悪かった。花が無理矢理誘ったダブルデートがきっかけでユリアとラシェッドは仲良くなったのだろう。花は自分がひどく惨めで滑稽に思えた。何にも知らずにずっとはしゃいでた。
「知ってたのね」
 花が窓の桟を見つめながらぽつりと言うと、煌星はしばらく黙り込み、それから何か言おうとしたが、煌星の声は司書の怒声に掻き消されてしまった。
「出て行きなさい!」
 花は、締め出された図書室の前の廊下で、黙って立ち尽くしていた。煌星も同じようにしていたが、しばらくすると、ちらっこちらを見て、それから花の頭をくしゃっと撫でた。そのままぐいっと頭を押されて、前のめりになって歩き出ずにはいられない。煌星は何て声をかけようか思いあぐねているようだ。けれど、失恋した女の子を慰めるなんて、煌星にそんな芸当ができるとは到底思えない。
「宿題やりに行くぞ」
 思ったとおり、煌星はぶっきらぼうにそう言っただけだ。でも、わかっている。それが煌星なりの優しさだ。けれど今はひとりになりたい。
「いい、自分でやる」
「落第しそうなんだろう?」
「かもね」
「いいのかよ」
「わかんない」
「ダメだろ」
「ついて来ないでよ」
「俺が手伝ってやるって言ってるんだから、素直に従っておけばいいんだよ」
 どんな理屈。と言いたいのを抑えて、花は立ち止まった。煌星は、意外なところで、優しい。だから、これ以上、一緒にいられない。きっと泣いてしまう。
「煌星、ありがとう。でもひとりにして」
 花がそう呟くと、煌星はようやく黙り込んだ。それから、花は、走った。どこに向かっているのかは自分でもわからないけれど、誰もいないところに行きたかった。


 無意識のうちにたどり着いたのは、あの秘密の場所だった。大きな樫の木。花は幹によじ登ると、いつもの場所に身を預けてみた。ここから、見てた。いつも。伝えることのないまま終わってしまった気持ちは、どこへ行ってしまうのだろう。どこに行けばいいのだろう。彼女が出来たからって、例えそれが親友だからって、いきなり気持ちを切り替えることは出来ない。伝えることも出来ずに、誰にも知られずに終わってしまった。
 木にもたれ掛かって、ふと幹を見てみると、見たことの無い落書きがあった。幹が削られている。花はその落書きを見て、少し笑ってしまった。変なの。悲しくて悲しくてしょうがないのに、それでも人間は笑えるらしい。こんなしょうもない落書きをするのは煌星に違いない。この場所は誰も知らないのだし。最後にこの場所に来たのは街へ行った日だ。その時にはなかったはず。いつ落書きしたのだろう。
 花はぼこぼこしている相合傘を指でたどった。花とラシェッドの名前が書かれている。本当にしょうもない。この落書きを見つけたときの、花の反応を面白がるために書いたものだろう。
「煌星のバカ」
 ああ、でも、そうだ。花はあることに気づいて、少しだけ胸が軽くなるのを感じた。確かに伝えることは出来なかったけれど、煌星は知っている。ラシェッドは、花がどれだけラシェッドのことを好きだったのかこれっぽっちも知らないけれど、煌星は知っている。煌星が知っていてくれる。それだけで、良いのかもしれない。相合傘を見ていたら、そんなふうに思った。
 そういえば、小さい頃大事に宝箱にしまっていた指輪は、どこにいってしまったのだろう。気づいた時にはなくなっていた。きっと大事にしすぎて、一度も指にはめることのないまま、失くしてしまったんだ。今の花のように。

 その日以来、花は煌星を避けていた。意図しているわけではないのだが、無意識に煌星を遠ざけている。煌星もそれを感じ取ったのか、数日はそっとしておいてくれたが、それも一週間になると、いい加減苛々してきたらしい。花を見つけると、途端に不機嫌な顔になってやってくる。そんな煌星に何か言われるのが怖くて、花はいつもするりと逃げてしまうのだ。いつまでひきずってんだよ、そんなに好きなら取り返せ。花を捕まえるたびに煌星はそう言うので、もう聞き飽きてしまった。
 ラシェッドとユリアは何も知らずに、以前とはうってかわって仲睦まじかった。確かに胸は痛むけれど、ユリアから奪ってまでラシェッドが欲しいとは思わない。ただ悲しい。煌星はどう思うだろう。結局そこまでの気持ちだったんだ、って思うのかな。でも好きだったあの気持ちは、確かにあったのだ。
「最近、あの派手な黒川とは一緒にいないのね」
 花は驚いて顔を上げた。いつのまにか隣には小松が座っており、椅子にもたれかかっていた。気づけば生徒たちはもう教室から出て行ってしまっており、残っているのは花と小松だけだ。
「そんな警戒しないでよ。黒川とケンカでもしたの?」
 花はまじまじと小松の顔を見つめた。女子寮のホールでの出来事から、小松とは話をしていなかった。何を話したらいいのかわからなかったし、どうにも気になっていたのだけれど、あの夜の小松からの敵意を思い出すと話しかけることは出来なかった。