ハナノユメ

そんな時にあの花と出会ったのだ。
「何にやついてるの、煌星?」
「え? にやついてた?」
「まったく、みんなどうかしてるよ。あんな事件があったのにもう忘れているなんて」
「事件?」
 悠木は、信じられないものを見るような顔で煌星を見た。
「君もその場にいたんだろう?」
「ああ、あのことか」
 煌星はようやく理解した。悠木が言っているのは女生徒が時計塔の上から落下して死亡した事件だ。確かに煌星もその場にいて、落下を目撃した。あの中庭に響いた鈍い音は、しばらく忘れられなかった。積極的に思い出したいことではなかった。捜査は難航しているらしい。煌星も役人に話を聞かれていた。しかし、同じく中庭にいた生徒達以上のことは、煌星に話せることはなかった。
「証言がバラバラらしいんだ」
「というと?」
「死んだ女生徒を知る生徒に話を聞くと、腑に落ちないことが多い。中庭に集まっていた知り合いと、その場にいなかった知り合いは、言うことが違うんだ。何かおかしいと思わないか?」
 人の印象なんて、その人その人で異なるだろう。しかし悠木の言っていることは、そういうことではないのだろう。
「僕は殺人だと思っている。しかも、祝福。この場合、厄災か。厄災が作用してると思うんだ」
「だとしたら、より力を入れて役人が調べるだろう。祝福を悪意、厄災として使うことは禁止されている」
 悠木は首を振った。
「このままじゃ事故として片付けられてしまう。そんなことは許せない。煌星、君の一族の話なんだよ。死んだ生徒は東の地の者だ。そうして、犯人も、東の地の一族だって噂なんだ」
「そうだけど、俺にどうしろと?」
「僕は真相を見つける。まずは、うわさの出所を探る。いざとなったら、煌星にも協力してほしい」
 煌星は、思いつめたような悠木の顔を見つめた。いつもの日向のような柔和な表情はなく、悠木の顔は日の当たらない岩場のようにひんやりと蒼白にみえた。
「亡くなった子と親しかったのか?」
「親しい、とまではいかないけれど」
 そうだろう、親しい子だったら、煌星だって知っていたはずだ。あえて、煌星はそれ以上聞かなかった。亡くなっているだけに、無遠慮な気がしたのだ。悠木にとって、特別な子だったというのはわかった。
「わかった。俺にできる事があれば言ってくれ」
 請け合うと、悠木はほっとしたように笑った。しかしまたすぐに一人で背負う重い荷物を背負い直すかのように、決然とした顔で教室へと入っていった。

 玄関ホールから続く回廊は、中庭をぐるりと取り囲んでいる。中庭は競技場のように広く、授業のない空き時間の憩いの場所になっていた。堅牢な校舎に秋空は四角く切り取られて、二本の塔だけ空に飛び出ていた。時計塔と鐘楼だ。
 放課後、煌星は回廊の中庭でユリアとラシェッドがダンスの練習をするのを、芝生に座り込んで眺めていた。中庭では、他の生徒もベンチに座って話したり、思い思いに過ごしている。回廊には女生徒の高い笑い声も響いていた。
ユリアとラシェッドは相変わらず言い合っていたけれど、口とは裏腹に、バレエのパ・ド・ドゥを遊びで合わせているようだった。
「ラシェッド、本当にバレエやっていたの? へたくそね、ちゃんと支えてよ」
「僕の基礎はバレエだよ。男性ダンサーが少ないからって、練習を頼んだのは君じゃないか。パ・ド・ドゥなんて久しぶりなんだからさ、大目に見てよ」
 そう言って高く飛ぶラシェッドは、なるほどバレエの動きも様になっていた。
「でも、コッペリアだなんて、つまらないな。もっと派手なさ、ドン・キとか練習しない?」
「次の課題がコッペリアなんだもの。本当に男性ダンサー、足りないのよね。助っ人、考え直す気はないの?」
「衣装がねえ。海賊の演目だったら考えるよ。僕に似合うと思わない? ね、煌星?」
 煌星は、肩をすくめることで返事をした。巻き込まれるのはごめんだ。ユリアは、男性バレエダンサーの衣装を馬鹿にされて怒っている。ラシェッドは、わかっていてユリアを怒らせている節があるから、どうしようもない。
 しばらく練習していたが、ラシェッドは宿題の提出を忘れていたようで、教授から呼び出しがかかった。伝言を伝えに来た生徒に礼を言うと、ラシェッドはタオルで汗をふきながら、煌星の座り込んでいるところまでかばんを取りに来た。
 その時、回廊を通ってゆく女生徒をみとめて、煌星は急いで立ち上がった。肩少し上で切った柔らかい髪から、ほそい首がのぞいている。あの華奢な後ろ姿は、花だ。
「花!」
 大声で呼び止めると、花はびくりと肩を震わせて振り返り、小動物みたいな小刻みな仕草できょろきょろと声の出所を探している。煌星はその様子が可笑しくて、笑いながら手を大きく振って合図した。花はぱっと表情を明るくすると、こちらにかけてくる。
 近くまで来ると、中庭まで出ていくラシェッドと花がすれ違う形になった。
煌星としては、話すきっかけを作った気でいた。しかし「こんにちは」という花のおどおどとした小さな声はラシェッドに聞こえなかったようで、ラシェッドはそのまま花の横を通り過ぎて行った。
「なにおびえてるんだよ」
「だって、煌星に呼ばれたと思ったら、急に、ラシェッドが横を歩いていくんだもの」
 どうやら、花は近くに来るまでラシェッドに気づいていなかったらしい。目がけたもの以外目に入らないなんて、子どものようだ。
「ユリア、練習してるのね。素敵だなあ、わたしもあんな風に踊れたらいいのに」
「踊ってみれば?」
 花はきょとんとこちらを見た。今まで全く考えたことがなかったらしい。煌星はまた、もどかしく感じた。ラシェッドの練習をこっそり見ていた花と出会ったときも、もどかしく感じた。興味があることはやってみればいいのに。
「花もダンス好きなの?」
 ユリアは何度も同じ動きを確認している。たおやかに手足を動かしながら、嬉しそうに花に声をかけた。
「それなら、こっちに来て、一緒にやってみましょうよ」
「でも、わたし、踊ったことなんて一度もないのに」
「誰だって最初はそうよ」
 ユリアは花の手を引っ張ると、私の真似をしてみて、と隣に立たせた。