Pino(短編小説)

十一「天才ヤスマサ」

彼はヤスマサ三十歳。 一般的な同年代と違った感性の持ち主。 ヤスマサは中学・高校・東京国立大学とその全てをトップの成績で卒業していた。
しかし 彼には大きな問題があった。 他人と交わる事が大の苦手だったのだ。唯一、気を許せた相手は母親とヨークシャーテリアのミルキー十二歳。 

彼が大学生の頃、母親にねだって犬の言葉が理解出来るというバウリンガルなる装置を買ってもらい、それを自分流にアレンジして犬と会話が出来る装置に作り変えた。 ミルキーも人間的な意識を持った天才犬であり、事実上ヤスマサの育ての親役でもあった。

ヤスマサの職業は物理学者と発明家の二足のワラジを履いた何処の組織からも束縛されない自由人。 彼は時折、蟻の巣を観察するのが好きだった。 

ある時ミルキーに「ねえ、ミルキー聞いて。 蟻ってひとつの宇宙を形成してるんだよ。 人間はひとつのコロニーの形成っていってるけど何か違うんだよね。 あれはあれで宇宙なんだ。 完璧なんだよ。 蟻が歩く基本は六角形なんだ。 それを意識して歩くからどんなに遠く巣から離れても帰れるんだよ。たまに間違って他の巣に入ると、すぐ仲良くなってそっちの巣で世話になるんだよ。 面白いね」 

ミルキーは「私は蟻嫌いなの。 あの匂いは鼻が痛くなるのよ。 ちゃんと手を洗ってから家に入ってきなさいね」 

いつもこんな調子で二人はコンタクトに不便しなかった。

「ヤスマサ、少しは世の為になる発明や発見でもしたら?」 

ミルキーに尻を叩かれるこの光景は日常茶飯事。 

「もう考えたよ。 後は実験だけなんだ……」 

「それ、どんなものなの?」 

「原子振動装置だよ」

「何に、それ?」 

「細胞を振動させたら発熱してしまう装置を電子レンジっていうでしょ。 
僕の発明は原子だけを振動させるんだ。 結果、その物体は次元を越えて半透明になってしまうんだ。 家の壁は荒い構造体だから壁も通り抜けちゃうんだよ、どう? それを繰り返すと身体の癌だって治っちゃうはずなんだ」

「その発明はダメね」 

「なんで?」 

「そんなのが世の中に広まったら死ぬ人がいなくなっちゃうでしょ。 地球に人が溢れちゃうわ」

「そっか、 そこまで考えなかったよ。 さすがミルキーだね」 

「そんな発明しなくていいから私の好きな美味しいジャーキーを空気と水で作る装置でも考えてよ!」

「ハイ」

こんな調子で、日の目を見ない大発明が過去に幾つも存在した。


ヤスマサとミルキーが公園を散歩していた時だった。 公園の上空に葉巻型のUFOが浮かんでいた

「ヤスマサ、上を見て。 あの白いのは何……?」 

「あれはねえ、UFOと言って宇宙人の乗り物だけど」 

「静かだねぇ。 どうやって飛んでるの?」 

「地球の乗り物でないから解らないよ……」 

「あれ便利そうね。 ヤスマサは作れないの?」 

「原理さえ解れば作れると思うけど…… 作ってみようかな」 

「賛成!これからはそういう発明しなさい……」

「はい!」

ヤスマサは何日も研究室に入り浸りだった。 ミルキーも半ば心配になり始めた頃。

「わかった!」部屋の中から声がした。

憔悴しきったヤスマサが研究室から出て来た「ミルキー僕やったよ。 僕やったんだ」そう言いながら倒れ込んでしまった。 極度の過労である。 

目が覚めたヤスマサはミルキーに「これ見て」と言いながらテニスボール大の物体を取り出し、放り投げたと思った瞬間、空中でホバーリングしてるかの様に静かに浮かんでいた。 

ミルキーが「オメデトウ! これ乗れるの?」 

「うん、乗れる大きさにしたら可能だよ。 でもこの大きさだと無理だね。 
人間が乗れる大きさにするにはもっと予算が必要だから個人では無理」

ヤスマサの携帯が鳴った「はい! あっ父さん?」 
ヤスマサはすぐに携帯を切り宙を仰いだ。 

異変に気づいたミルキーは「ヤスマサどうしたの? なにかあった……?」 

ミルキーは心配そうに尋ねた。

「母さんが急に倒れて病院に運ばれたんだ。 意識不明みたい。 ミルキー
僕どうしよう? ねえ!」 

ヤスマサはうろたえていた「しっかりしなさい。 すぐ病院に行きなさい」 

「うん、わかった……」
 
父とヤスマサが医師から、母の病状は脳梗塞と診断され、五日間は脳が腫れる可能性が考えられるから危篤状態と告げられた。 死んだ脳は再生しない為、後遺症があるかどうかハッキリしないという診断。

それから数日が過ぎ母の意識は戻ったが、ヤスマサの知る母とはなにかが違う気がした。

ヤスマサはミルキーに説明をした。

ミルキーは「前に作った原子振動装置を工夫して何とかならないか」

ヤスマサの目が光った。 そして その装置を持って部屋に籠ってしい、
部屋から出て来たのは五日後の朝。

ミルキーが心配そうに尋ねた「ヤスマサどうだったの?」 

「ミルキー、出来たと思うけど何かに試さないと解らない」

「どうやって試したらいいの?」 ミルキーは聞いた。 

「まず悪いヶ所周辺にこっちの青い光を当てて細胞ごと分解するんだ。 そして今度はこの赤い光をもう一度照射するんだ。 他の健康な細胞と同調し、
死んだ細胞の再生が完了する仕組みなんだけどね……」 

ミルキーは意を決しヤスマサに言った「私は十二歳なの。 最近、足腰が弱ってるのね。 私で試せないのかい?」 

「絶対イヤだよ! ミルキーに何かあったら僕生きていけないから」

「ヤスマサ、いいかい。 しょせん犬と人間は寿命が違うの。 私はもう十二歳のお婆ちゃんなの。 あんたより必ず先に死ぬんだからね、ヤスマサの役に立てるのなら私、命は惜しまないよ。 人間とは構造が違うけど同じ動物だもの。私で試しなさい! 解った?」涙をためながら強い口調で言った。 

光の照射が始まり三十分経ち、ミルキーはヨロヨロしながら起き上がった。

 「ねえミルキーどう? 痛いところ無い? ちょっと歩いてみて?」 

ミルキーはゆっくりと歩きヤスマサを見上げて「全然痛くないし前より快調だわ…… これならいけると思う。 やったね! ヤスマサ!」 

「後遺症だとかはこの先解らないけど、基本には自分の細胞での再生だから大丈夫だと思うよ」

それから一月後。普段と変わらない母の姿があった。 その経緯を知るのはヤスマサとミルキーだけだった。 母親の一件があり、ヤスマサは人間の身体にも興味を持ち始めた。 ある時、いつもの閉じこもりから出て来たヤスマサは頭に妙なヘッドホン装置を装着していた。
 
ミルキーが「今度はまに?」 

「これはね、脳細胞の活性化を図り超能力を身につける装置なんだ。 僕が試したら意識が地球を飛び越えたんだよ。 それから僕の生まれる前の人生や今度生まれる場所まで見えちゃったよ」 

ミルキーはじっと聞いていた。 

「人間の脳って殆どの部分が寝ているからそこを刺激して活性化してあげると今言った事が起きるんだ。 お坊さんは長年修行して悟りを得るけど、この装置を付けるとたった数分で悟った気分になれるよ。 装置を外したら前と同じだから疑似悟りだけど危険性はないと思うよ。 疑似であってもそう云う世界を薬や葉っぱに頼らないで垣間見れるのはいいと思うけど、どう?」

「ミルキー、これ見て!」

ヤスマサは満面の笑みを浮かべていた「また何か作ったの?」 

「うん、やったよ。 無重力装置だよ」

「無重力? つまりどういう事?」

「前から宇宙線の力に着目してたんだ。 宇宙線は宇宙から地球に降り注いでいるんだしかも無尽蔵に。 それをエネルギーに変換出来たらいいなと思ったから、その変換装置を作っていたんだ。 でも殆ど失敗続きで半分諦めてた。

そしてちょうど先週の今日、寝不足も重なって疲れたから休憩しようとクエン酸ジュースを作るのにクリスタルコップを洗おうと、手に取ろうとしたら間違って足下にあったチタンの粉に落としたんだ。 そしたらコップに入っていた何かの物質が反応してか、そのコップが変な動きをしたんだ。 おやっ? と思い。 そこから又、研究が始まって今日これが完成したんだ」 

ヤスマサが机の上にあった鉄球を乳白色の容器に入れ、ミルキーの方めがけて放り投げた。 その物体は放物線を描き、軽いモーター音を出しミルキーの手前まで来て静止した。 それは宙に浮いた状態で止まっていた。 

「ミルキー、これが無重力装置だよ。 計算ではこの大きさでエジプトのピラミッドを一週間もあれば作れるんだ。 但し、設計と石切りは別だけどね」

ヤスマサの能力に拍車が掛かった。 さすがのミルキーもつき合いきれず、空返事が多くなってきた。

「ミルキー、聞いて。 僕、昨日ねえ、熱の対流力学を研究したんだよ。 今度の夏前に天然の冷房装置を作ってあげるね。 地熱の温度は特殊地帯とかは別にして季節に関係なく十五度なんだよ。 それを利用すれば夏は冷房に、冬は暖房の補助に使えるんだよ。 道路の雪だって工夫次第で溶かせるよ。 

あと部屋の芳香剤だって格安で作れちゃうよ。 使うのは高分子吸収体と香水だけ。 ミルキーのトイレシートを使うんだよ。 あとは遮熱断熱塗料とか湿度取り剤とかシリコンのコーティング剤なんて格安で簡単に作れちゃうよ。 

理屈が解れば結構、化学も面白いよ。 今、僕が考えてるのは宇宙線を利用した発電装置。 それを一家に一台設置すれば電力会社から電気を買う必要無いんだ。 究極の自家発電装置なんだよ。 いいと思わない? ねえ、ミルキー聞いてるの?」最近の二人はこんな調子だった。

母親から電話で「ヤスマサ、お父さんが夕べ飲み過ぎたみたいで、二日酔いがひどいのよね。 速攻で効く方法ある?」 

「水だよ」 

「昨日寝る前に味噌汁を沢山飲んでたのよ。 今朝もだけど……」 

「それは逆効果だよ! 血液の水分より濃いものは反対に血液の水分を奪うんだ。 浸透圧の原理さ。 だから酒を飲み過ぎた朝は喉が渇くんだ。 味噌汁は液体だけど濃い水だから逆効果、塩分補給にはいいけど。 水や体液に近いスポーツドリンクを沢山飲ませて尿を沢山出させてよ、それしかない。 
くれぐれも濃い飲み物は控えてね。 利尿作用を高める物がいいけど、例えば水や番茶のようなもの」

そばで聞いていたミルキーは「そんな事まで知ってるの?」

「これも化学だよ。 例えば寒暖の差もそうだよ。 流体力学なんだけど、
液体や空気なんかは暖かい方から冷たい方へ移動。 液体は濃い方から薄い方へ移動して調和を保とうとするんだ。 暖気は上で冷気が下で中間が飽和状態なんだ。 そしてその寒暖の差でエネルギーが生じ自然界では風という現象。我々は化学や物理学を知らなくても上手に使いこなして生活してるんだね。 

みんな「自分が、自分が」って主張するけど、他人の事も考えてやると調和が取れていいのにね。 調和の取れた状態って平和だと思うけど」

自然が彼に調和を教えていた。

 END