九「覚者Ganzi」
彼の名はGanzi。 東京生れの東京育ち、三十七歳で死を遂げた不世出の天才Ganziの物語。
彼を知る人の中には彼を「石と戯れる覚者」と呼ぶものもあった。
彼は幼少の頃より瞑想が好きで、玩具で遊ぶより瞑想が好きという実にユニークで変わった子供だった。
母が「Ganziひとりで何をやってるの? また座禅組んでるのかい、気持ち悪い子ね。 お兄ちゃん達と外で遊びなさい」
「はーい」と言いつつ違う部屋でひとりまた座禅を組んでいた。 それは五歳の頃の話であった。
小学六年生、宿題の詩を作っていて急に「死」という言葉が頭を過ぎった。
「人間死んだらどうなるんだろう? お父さんやお母さんが死んだら? 僕が死んだら?」
そう考え始めるといたたまれなくなってしまった。 Ganziは死んだら解決出来ると思い自殺を考える事も少なくなかった。
中学に入ったが、同級生や取り巻く環境が、自分と大きく違う事への疎外感。どうしようもなく重圧に感じリストカットをした事もあった。 しかしいつもこの世に引き戻された。
そんなGanziも地元の高校に進学、同級生と交わったかのように見えたが、根本は解決されていなかった。 一時は忘れていたあの感情がことあるごとに蘇ってくる。 その回数が増え始め、ついにそれは起きてしまった。 学校帰りにふらっとビルの屋上へ向かってしまったのだった。
「嗚呼! 神よ教えて下さい。 何故僕は存在するのかよく解らないのです。 お聞かせくださいお願いします。 僕は生きていていいのでしょうか?」
神は答えてくれなかった。 ついにGanziは意を決した。
「ここから飛び降りて死のう」意識したのは死だった。
「これで終われる。 楽になれる……」
屋上に立ち飛び降りようと足を踏ん張った瞬間それは起きた。
一瞬、頭の中の何かが弾けた。
その経験は初めて。
目にする全てが変わって視えた。
というより見ている自分の中で完璧に何かが弾け飛んでいた。
それまでの価値観や全ての全てが変わった。
涙が溢れ大泣きしてしまった。 そう、Ganziは悟りを開いたのだった。
全てのからくりが解った。
というよりからくりが無いのが解ったのだった。
はじめから存在しないからくりを、自らでっち上げていたんだ。
「宇宙と一体」それが答えだった。
それから部屋に籠もったまま三十日間が過ぎた。
腹は減らない疲れもしない。
悟りの境地を思う存分味わっていたのだった。
部屋から出て来たGanziは新しく生まれ変わっていた。
あの過敏なまるでガラス細工のような心の青年Ganziとは大きく変わっていた。
彼には学校という存在自体もう用を足さなかった。
先生の意識や同級生の意識が手に取るように把握できた。
教科書に書かれている内容の間違いや、起源など全てが手に取るように把握できた。
Ganziは退学する事にした。 意味がなくなった。
今の彼には人間的な葛藤は存在しない。 人間的意味合いの、なにかを頑張ろうとか、なにかを学ぼうとかそのような次元にもういなかった。
障害が無いのでいつも自由な存在だった。
当然、死さえも超越していた。
絶対自由これがGanziの境地であった。
まだ十八歳のGanziは沖縄県の宮古島で琉球そば屋のアルバイトをしていた。 なぜ沖縄かというとGanziのガイドが沖縄行きを促した為である。
そこで二年間働いた。 人間的にはもう大人としての扱いをされる年齢である。
沖縄の琉球でひとりの覚者と出会いより深い悟りを得た。 もう 沖縄に居る理由が無くなった。 そして東京に帰郷したGanziは気ままに生活をしていた。
立ち食いそば屋でアルバイトをしていたGanziにある客が「店員さん何かやってるの?」
「いや、なにもやってないですよ」
「そうかい? 店員さんがやたら光って見えるんだけど」
「そうですか、お客さんも光ってますよ」
その後その客はGanziのもとで勉強することになった。
Ganziが世に出たのはそれから間もなくだった。 世に名前が出ることは当の本人は全く気にしていなかった。 本を出版したのは世の中が変わる前にはクンダリーニの目覚める人間が多く出るからとされていたため。
クンダリーニは日本では馴染みが薄く、古くはヨガ修行の一部に類していた。日本ではヨガというと美容に関連づける人が多かった。 そしてなによりもクンダリンーニヨガは危険を伴う為、グルと呼ばれる指導者の下で行うことが望ましいとされていたからであった。
Ganziのその本を読んだ者がなにかに導かれるように全国から集ってきた。あえて本は理解しがたく制作されていた。
それは意図的に理解しがたく書いていたからで、インドでも古くからクンダリーニヨガはグル(指導者)が必要不可欠とされていた。 それほどクンダリーニヨガとは難解で危険な修行のひとつなのだった。
間違うと発狂の恐れや廃人や自殺に陥る可能性がある。 原因はクンダリーニが尾てい骨で刺激を受け背骨から、はい上がり頭頂から突き抜けるまでの過程で各チャクラが刺激を受ける。 すると下級の幻影に惑わされる危険があるというものだった。 天国と地獄が自分の中で起こると言われている。 その過程でそれに気を取られる恐れがあるからだった。 自分の状態が把握出来ないで終わってしまうケースも少なくない。
それを見極め修正してくれるのが師の存在。
簡単にいうとGanziが本で究極に触れず、あえて少し難解に書いたのは危険防止の為もあり、真剣に修行したい人間はGanziのところに来るだろうというひとつの試しが含まれていた。
「悟りが先かクンダリーニが先か」晩年、クンダリーニの指導者になったが経緯は本を出版した数年前に遡る。
Ganziの頭の中に「インドへ行け」と指示がありインドへ渡った。
インドの街を散歩していると、向こうにGanziと同じ風体の人間が歩いていた。 声をかけたが男は無視して歩き出した。 小走りで追いかけると男はヨガ道場に入っていったのでGanziも入った。 そこにひとりのヨギが座っているのを確認した。
Ganziがそのヨギの上に目をやると、額にあった絵の伝説の聖者と同じ人物だった。
名前は伝説の聖者大聖ババジだった。 Ganziはそのババジから直系のクンダリーニヨガを学び、生身の人間としては最後の悟りを果たし日本に帰郷した。
Ganziは短い生涯であったが組織を作ったり自分の教えを残そうとは生涯しなかった。 覚者Ganziの生涯がここに終わる。
「スズメがスズメを生き、
石ころが石ころを生きる」
END
彼の名はGanzi。 東京生れの東京育ち、三十七歳で死を遂げた不世出の天才Ganziの物語。
彼を知る人の中には彼を「石と戯れる覚者」と呼ぶものもあった。
彼は幼少の頃より瞑想が好きで、玩具で遊ぶより瞑想が好きという実にユニークで変わった子供だった。
母が「Ganziひとりで何をやってるの? また座禅組んでるのかい、気持ち悪い子ね。 お兄ちゃん達と外で遊びなさい」
「はーい」と言いつつ違う部屋でひとりまた座禅を組んでいた。 それは五歳の頃の話であった。
小学六年生、宿題の詩を作っていて急に「死」という言葉が頭を過ぎった。
「人間死んだらどうなるんだろう? お父さんやお母さんが死んだら? 僕が死んだら?」
そう考え始めるといたたまれなくなってしまった。 Ganziは死んだら解決出来ると思い自殺を考える事も少なくなかった。
中学に入ったが、同級生や取り巻く環境が、自分と大きく違う事への疎外感。どうしようもなく重圧に感じリストカットをした事もあった。 しかしいつもこの世に引き戻された。
そんなGanziも地元の高校に進学、同級生と交わったかのように見えたが、根本は解決されていなかった。 一時は忘れていたあの感情がことあるごとに蘇ってくる。 その回数が増え始め、ついにそれは起きてしまった。 学校帰りにふらっとビルの屋上へ向かってしまったのだった。
「嗚呼! 神よ教えて下さい。 何故僕は存在するのかよく解らないのです。 お聞かせくださいお願いします。 僕は生きていていいのでしょうか?」
神は答えてくれなかった。 ついにGanziは意を決した。
「ここから飛び降りて死のう」意識したのは死だった。
「これで終われる。 楽になれる……」
屋上に立ち飛び降りようと足を踏ん張った瞬間それは起きた。
一瞬、頭の中の何かが弾けた。
その経験は初めて。
目にする全てが変わって視えた。
というより見ている自分の中で完璧に何かが弾け飛んでいた。
それまでの価値観や全ての全てが変わった。
涙が溢れ大泣きしてしまった。 そう、Ganziは悟りを開いたのだった。
全てのからくりが解った。
というよりからくりが無いのが解ったのだった。
はじめから存在しないからくりを、自らでっち上げていたんだ。
「宇宙と一体」それが答えだった。
それから部屋に籠もったまま三十日間が過ぎた。
腹は減らない疲れもしない。
悟りの境地を思う存分味わっていたのだった。
部屋から出て来たGanziは新しく生まれ変わっていた。
あの過敏なまるでガラス細工のような心の青年Ganziとは大きく変わっていた。
彼には学校という存在自体もう用を足さなかった。
先生の意識や同級生の意識が手に取るように把握できた。
教科書に書かれている内容の間違いや、起源など全てが手に取るように把握できた。
Ganziは退学する事にした。 意味がなくなった。
今の彼には人間的な葛藤は存在しない。 人間的意味合いの、なにかを頑張ろうとか、なにかを学ぼうとかそのような次元にもういなかった。
障害が無いのでいつも自由な存在だった。
当然、死さえも超越していた。
絶対自由これがGanziの境地であった。
まだ十八歳のGanziは沖縄県の宮古島で琉球そば屋のアルバイトをしていた。 なぜ沖縄かというとGanziのガイドが沖縄行きを促した為である。
そこで二年間働いた。 人間的にはもう大人としての扱いをされる年齢である。
沖縄の琉球でひとりの覚者と出会いより深い悟りを得た。 もう 沖縄に居る理由が無くなった。 そして東京に帰郷したGanziは気ままに生活をしていた。
立ち食いそば屋でアルバイトをしていたGanziにある客が「店員さん何かやってるの?」
「いや、なにもやってないですよ」
「そうかい? 店員さんがやたら光って見えるんだけど」
「そうですか、お客さんも光ってますよ」
その後その客はGanziのもとで勉強することになった。
Ganziが世に出たのはそれから間もなくだった。 世に名前が出ることは当の本人は全く気にしていなかった。 本を出版したのは世の中が変わる前にはクンダリーニの目覚める人間が多く出るからとされていたため。
クンダリーニは日本では馴染みが薄く、古くはヨガ修行の一部に類していた。日本ではヨガというと美容に関連づける人が多かった。 そしてなによりもクンダリンーニヨガは危険を伴う為、グルと呼ばれる指導者の下で行うことが望ましいとされていたからであった。
Ganziのその本を読んだ者がなにかに導かれるように全国から集ってきた。あえて本は理解しがたく制作されていた。
それは意図的に理解しがたく書いていたからで、インドでも古くからクンダリーニヨガはグル(指導者)が必要不可欠とされていた。 それほどクンダリーニヨガとは難解で危険な修行のひとつなのだった。
間違うと発狂の恐れや廃人や自殺に陥る可能性がある。 原因はクンダリーニが尾てい骨で刺激を受け背骨から、はい上がり頭頂から突き抜けるまでの過程で各チャクラが刺激を受ける。 すると下級の幻影に惑わされる危険があるというものだった。 天国と地獄が自分の中で起こると言われている。 その過程でそれに気を取られる恐れがあるからだった。 自分の状態が把握出来ないで終わってしまうケースも少なくない。
それを見極め修正してくれるのが師の存在。
簡単にいうとGanziが本で究極に触れず、あえて少し難解に書いたのは危険防止の為もあり、真剣に修行したい人間はGanziのところに来るだろうというひとつの試しが含まれていた。
「悟りが先かクンダリーニが先か」晩年、クンダリーニの指導者になったが経緯は本を出版した数年前に遡る。
Ganziの頭の中に「インドへ行け」と指示がありインドへ渡った。
インドの街を散歩していると、向こうにGanziと同じ風体の人間が歩いていた。 声をかけたが男は無視して歩き出した。 小走りで追いかけると男はヨガ道場に入っていったのでGanziも入った。 そこにひとりのヨギが座っているのを確認した。
Ganziがそのヨギの上に目をやると、額にあった絵の伝説の聖者と同じ人物だった。
名前は伝説の聖者大聖ババジだった。 Ganziはそのババジから直系のクンダリーニヨガを学び、生身の人間としては最後の悟りを果たし日本に帰郷した。
Ganziは短い生涯であったが組織を作ったり自分の教えを残そうとは生涯しなかった。 覚者Ganziの生涯がここに終わる。
「スズメがスズメを生き、
石ころが石ころを生きる」
END



