恋は小説よりも奇なり


人に対する嫌悪感でも敵対心でも怒りでも憎しみでもない。

人に対しての感情があるとすればそれは“無関心”だ。

「わ、分かってますよ……でも――」

一寸先さえ見えない霧の中を歩いているような気持ち。

奥へ行けば行くほど霧は濃くなって、不安になって、怖くなって、ついには足を止めてしまう。

だから、誰も彼の心まで辿り着けない。

文章だけではなく作家自身を理解できる編集者になりたい。

強く思うのに、今の満にはそれをなせる力がなかった。

サインを貰って浮かれて喜んでいる。

どこにでもいる普通のファンと同じ。

それが悔しくて手に力が入る。

「原稿はあげた。早見のところへ届けるのはお前の仕事だ。とっとと帰って渡してこい。俺の原稿を無駄にする気か」

いつまでも萎れた青菜状態のままでいる満に奏がクールに一喝すると、満はハッと現実に戻った。

「は、はい。ありがとうございました」

背筋を伸ばし、軍人のようにキビキビとした動きで立ち上がる。

受け取った原稿と小説を後生大事に両手で抱え、深々と礼をして彼の部屋を後にした。