「ハッハッ……」

 頬にかかる熱い吐息がちえりの意識を優しく浮上させる。

「……んー……」

 くすぐったくてゴロリと寝返りをうつと、今度は生ぬるい感触に頬を#弄__なぶ__#られた。


――ぴちゃぴちゃっ


 鼓膜を刺激する艶めかしい水音に思わず体が疼き、甘い吐息が漏れる。

「瑞貴センパァイ……んもぉー……だめですってー……」

 クスクス笑いながら、それでもまだ目の開かないちえりに今度は熱い口づけ(?)が落とされた。


――ベロベロベロベロベロ……


(こ、これは……っ! ディープなアレッッ!!)


「……ま、待ってっっ! 瑞貴センパイ!! 私たちまだそこまではっっ! どうしてもっていうなら仕方ないですけどっっ……!」

 カッと目を見開いたちえりは、寝ている場合じゃないと判断したらしい。しかし逃げるかと思いきや、その手はしっかり相手の背へと回されようとしていた。

「雌同士でなにやってんだ」

 冷やかな視線と共に容赦ない言葉を頭上から浴びせられ、声の主をキッと睨んだちえり。

「……雌って!? 失礼ね! ちゃんと女の子って言ってよ!! ってあーっ! チェリー!!」

 キスの相手がワンコチェリーだとようやく気づいたらしい。べちょべちょになった顔を真っ赤にして恥じらう姿はまるで――

「お前……食いかけのリンゴ飴みたいになってるぞ」

「な……っ!? アンタが冷や水を浴びたせいでもあるでしょうがっ!!」

「ははっ! 冷や水って……物理的に不可能だろ!」

「…………」

 腹を抱えて笑い転げる鳥居をみていると無性に腹が立つ。
 それもこれも図星だからこそなのだが……

(くそぉっ!! 理由がどうであれこいつに笑われるのは何か癪!!)

 ちえりは悔し涙を堪えながら言い返せないでいると、頃合いを見計らったように犬の鳴き声が響いた。


――ワンワンワン!


「……?」

「…………?」

 言い合っている姿が楽しそうに見えたのだろうか? 一瞬ワンコチェリーを見た二人だが、彼女はきょとんと愛くるしい瞳を瞬かせている。


――ワンワン!! ワンワンワン!!


「……あ、電話だ!」

「お前紛らわしいんだよ……」

「ご、ごめ……っ……」

 すっかり乾いてしまった顔が少々つっぱり、苦笑いが不気味な笑みとなってニヤニヤと不協和音を放つ。

「ひでー顔……。電話、瑞貴先輩からだろ。終わったら顔洗ってこいよ」

「う、うんっ……」

 バタバタと廊下へ走り、気ばかりが焦る手がうまくスマホの画面を滑らない。
 そして三度目のトライでようやく通話になった。

「は、はいっ!! 若葉ちえりですっ!!」

『……チェリー? いまどこ……?』

「……っ……」

 一日ぶりに聞く瑞貴の声は何があったのだろうと思えるほどに疲弊しており、喉から絞り出すような悲痛なそれにズキズキと胸が痛む。

「……あ、あの珈琲ショップの近くにあったオープンしたてのシティホテルに泊まってて……センパイ、大丈夫ですか?」

『…………そっか、よかった。ごめんな、なにも言わずにこっち来ちゃったからさ……こんなことになったのは全部俺のせいだ』

「ううん、私こそごめんなさいっ……充電忘れてて、電源落ちちゃってて……充電器はフロントで借りれたんですけど……」

 勢いよく頭を下げながらも、たくさんついてしまった嘘に心が重くなる。
 しかしこの状況下で本当のことを話してしまうと、彼の心配は今よりよほど大きなものになってしまうだろう。申し訳なさと声が聞けた安心感からその場へ崩れ落ちそうになった。

『……ん、午前中に会社戻るから、一緒に社食行こうな』

「……は、はいっ!」

『じゃあまた後で……』

「はい、またっ……」

(センパイ戻ってこれるんだ……よかった、すごく疲れた声してたもん。大変だったんだべな……こんなときに心配かけてホント私ってダメダメだ……)

 なんとなくリビングに戻る気になれず、電話が切れたあとのスマホを見つめていると一件のメールが届いた。

「センパイからだ……」

 電話が切れてまだ数分も経過していない。言い忘れたことでもあったのだろうか? そんなことを考えながらメールを開く。

”こんなことになったのは全部俺のせいだ……ごめんな。”

「……? こんなことって?」

 たった一日シティホテルに泊まらせたことを言っているのなら、それは瑞貴のせいではない。
 むしろ居候させてもらっている身でそこを責められるということは……

「私のお給料、二束三文だと思われてるんだべか……」