「おい、遊ぶのは後にして先に風呂入ってこい」

 後ろから現れた彼は腕まくりをしていた。
 ちえりがチェリーと遊んでいる間に風呂の準備をしていてくれたのかもしれない。

「あ、ありが……」

(あ……
メイク落としも化粧水もないんだった……コンビニ寄ってくればよかった)

 齢二十九にもなったちえりの肌。一日メイクを落とさないことが、どれほど負担になるのかを考えるとちょっと怖いものがある。女子宅へお世話になるのなら共有させて頂けるものだが、鳥居はどこからどうみても健全な男子だ。

「ついに言葉を忘れたか?」

 いつものように憎まれ口を叩く鳥居と、ちえりの意識が自身に向いていないことを感じたわんこチェリーが寂しそうにクゥーンと鳴いた。

「そんなわけないでしょっっ!」

「なら途中で止めんな。言いたいことがあんなら……」

「……メイク落としとか化粧水とかなんにも持ってなくて……」

(また女子力低いとか言われるんだろうな……)

「……? お前化粧してないだろ?」

「し、してるよ……一応。下手くそだけど……ってもういないし……っっ!!」

 スタスタと背中を見せる彼は、洒落た棚の前で立ち止まるとガサゴソと物色しはじめた。

「サンプルなら腐るほどあるぜ。好きなの持ってけ」

「へ?」

(ま、まさか……女装が趣味でそれでサンプル貰ってるとかとか……っ!?)

 悶々と禁断の園へと思考を巡らせたちえりは鳥居の言葉を右から左へ聞き流している。

「俺が持ってても意味ねぇし、好きなだけやるよ」

「……で、でもこんなに美形なら女装もさぞ美しかろうに……ブツブツ……」

「ひとの話聞いてねぇな……」

(こ、ここはご厚意に甘えて……お手入れのアドバイスとかあとで聞いちゃってもいいべかっっ!?)

(……はっ!!
これって……もう女友達同然だべ!!)

 円満脳内解決にたどり着いたちえりは、瑞貴に対する罪悪感ごと潔く手放した。
 そして風呂桶二杯分はありそうなサンプルの山を手に取りながら目を輝かせる。

「ありがとー! うわぁこんなにたくさん!? 凄い! ルージュまである! 私すぐ唇荒れちゃうからアドバイス欲しいなー!!」

「唇だけ荒れやすいなんてことねぇだろ。敏感肌用で合わせとけ」

 鳥居は”敏感肌用”と書かれているパステルグリーンのサンプルを一通り集めるとちえりに手渡す。

「……ありがと……」

「タオルと着替えは適当に置いといたからな」と肩越しに振りかえった鳥居はそのままキッチンへ向かう。

「うん!」

 早速移動しようとすると”どこいくの? 遊ばないの?”とばかりに足元に絡みついてくるわんこチェリーに「またあとでね」と頭をひと撫でしてからリビングを出た。