「ちょっと待って! 瑞貴センパイ終わるまで帰れないよ!!」

 会社の正面玄関を出たところで引かれていた腕に力を込めたちえり。

「……お前スマホみた?」

 足を止め、顔だけ振り返った鳥居がようやく腕を離した。

「っううん……、なんで?」

「あのひといま出張行ってるぜ」

「……嘘……いつから?」

「昼飯んとき。自席で本読んでたら瑞貴先輩にお前らの面倒みてやってくれって頼まれた」


 ――軽い昼食を済ませた鳥居はしおりの挟まれた読みかけの分厚い本を開いた。
 騒がしい空間を好まない彼はいつしか昼食もひとりでとるようになり、こうして静かな場を求め、早めに戻ってくる癖がついてしまったのだ。

 そして数ページ進んだころ……

 突如、慌ただしくオフィス内へ入ってきた数人の男女がいた。

「……っ鳥居くん! 美雪は!?」

「社食だと思います」

 用があるならそっちに行けとばかりに本を開いたまま告げる鳥居。

「そう……ならあとから電話するわ。これから出張になっちゃったから午後の指示は美雪から聞いてね」

 よほど急いでいたのか鳥居の冷たい態度にも気づいた様子はなく、手身近な荷物をまとめると他のリーダーと共に部屋の片隅へと集まりはじめた。

「…………」

 その集団を一瞥した彼は再び仏字へ視線を向け、本の世界へ身を投じようと試みるが――

「休憩中悪い、鳥居っ……ちえり見なかったか?」

 入れ代わり立ち代わり何事かと顔を上げると、そこにいたのは荒く呼吸を繰り返す瑞貴だった。

「社食に……」

 とまで言いかけて。
 いつも瑞貴のコバンザメと化している#分身__ちえり__#の居場所くらいわかっていそうな気がするが、彼の様子からしてちえりは社食に居なかったのかもしれない。

「……居ないなら俺にもわかりません」

「そっか……」

 明らかに肩を落とした瑞貴はため息をつきながら視線を下げる。

「先輩も出張ですか?」

「ああ、一時はなんとかなりそうだったけど、やっぱ人手が足りないみたいでさ……すぐ新幹線乗らなきゃいけないんだ」

「手伝えることがあれば言ってください」

「え? でも……」

 まさかそのような申し出を受けるとは思っていなかった瑞貴は戸惑っているようだ。

「俺もこれになったんで」

 鳥居は首から下げた青い紐を指差し、指導できる立場にあることを証明してみせた。

「お、やったな鳥居! 期待してるぞ!」

「どーも」

 基本、ちえりが絡んでいなければ瑞貴の機嫌が損なわれることはなく、こうして他人の幸せを手放しで喜んでくれる善良な人間なのだ。紐の色に安心した様子の瑞貴は後輩の申し出に甘えさせてもらうことにした。

「なら……少し頼まれてくれてもいいか?」

「なんなりと」

 読みかけの本へしおりを挟み立ち上がった鳥居。こうして彼の指示を仰ぐべく席を移動してきたのだった――。