ちえりはポケットの中のスマホを握りしめ、そっと取り出す。ディスプレイを表示させようと脇のボタンを押そうとすると……

「るるららら~ん♪ ふんふんふーん♪」

 遅い時間にも関わらず、ストレスの感じさせない陽気な鼻歌がオフィスに流れた。

「……?」

 なにごとかと振り返ってみると、ひとりの男性が軽やかなステップを踏みながらこちらへやってくるのが見えた。彼はすらりとした”ワイルドなロマンス・グレー”なおじ様かと思いきや、顔をみると四十代半ばくらいのイケメン紳士だった。日本人離れした驚異的なスタイルを損なうことなく高そうなスーツを着こなし、ダビデ像のように掘りの深い顔と淡い瞳は自信に満ちて誇らしげに輝いている。

 その自信と威厳に満ちた顔はどこかで見覚えがあるような気もするが――……

(……あ、目が合っちゃった)

「お疲れ様です」

(誰だろう? 凄くかっこいい……野生の狼みたいな人……、ん? オオカミ?)

 思わず隣の人物を見上げたちえり。歩いてくる彼はどことなく鳥居隼人と似ているのだ。
 そしてちえりの言葉が耳に届いたらしいその男性は子犬のような優しい笑みを浮かべ、ちえりの前で立ち止まった。

「君がチェリーちゃんだね~♪ よろぴくーっ♪」

「へ?」

 突然名を呼ばれたちえりが目を丸くしていると、顔の両脇で”イエーイ”をしている彼が手を握りしめてきた。

「あ、え、えっと……よろぴくー! ……あはは……」

(……だ、誰――っ!?)

 あまりに唐突過ぎて心の準備が整っていなかったちえりは思わず相手の調子に合わせてしまった。
 イケメン紳士は近くで見ると野生の狼のように精悍な顔つきだが、それでいて目元に笑い皺のある人の好さそうな人物だった。さらに言うと、とても目鼻立ちが整っていて、若かりし頃はブイブイ言わせていたタイプ……だと勝手な妄想に憑りつかれてしまう。

「うんうんっ! 始めまして始めまして~♪ 僕はチェリーちゃんの一番上の上司さん? っていうのかな? 鳳凰院のおじさんで~す♪」

「……え゙っ!?」

(こ、この人が……っ!
フェニックスの社長――っ!!??)

「はいっ♪ 頑張った子にはキャンディあげようねーっ♪」

 握られた手に抹茶味の飴を三つ持たせられたちえり。

「そっちの彼氏には~~ん~~……僕の親父ギャグあげちゃおっかなー?」

「……いらねーよ。ったく馬鹿親父」

「ちょ、ちょっとあんた! 社長さんになんてことをっっっ!!」

”あわわっ!!”と、ふたりを見比べていると――

「さっさと帰るぞ」

「えっ!?」

 鳥居に腕を掴まれ、半ば引きずられるようにズルズルと会社をあとにしたちえりだった。