(……珈琲の準備でもしておくか)

 頭に被ったタオルを首までおろし、キッチンへ向かった瑞貴は目の前にある豆の缶を開けた。
 ふわっと香る芳(かぐわ)しい匂いのなかに、モカ特有の甘い風味が脳を優しく覚醒させていく。

 適用をコーヒーミルへセットし、電源を入れると……

 ――ゴリゴリゴリ、キュルルルッ

 と、豆を削る荒い音が静かな室内を走り抜けた。

「……っ!」

 思った以上の大きな音に瑞貴の肩が上下する。

(……やばっ!)

 ちえりが起きてしまうことを心配し、慌てて電源をオフにしたが――

「……瑞貴、センパイ……?」

 案の定、目が覚めたらしいちえりが自分の名前を呼んでいる。

「ご、ごめん……起こしたか?」

 キッチンから顔を覗かせた瑞貴。
 彼女はまだ寝ぼけているのか薔薇の毛布を胸元に抱え、半開きの瞳をゆっくり瞬きさせていた。

「……ううん、偶然目が覚めた、みたい……?」

「……そっか、いま珈琲淹れるからちょっと待ってて」

「……う、ん……」

 豆が削られるとさらに良い香りが部屋に充満し、それに気づいたちえりは深呼吸する。

(いい匂い……あ、そっか……この珈琲豆、昨日買ってもらった……)

「…………」

 珈琲の香りに刺激を受けたのはちえりも同じらしい。楽しかった初デートをその香りと共に記憶を巡らせていく。

(……昨日はセンパイと初めての、デートで……キスして、ずっと観たかったDVDの内容、あんま入ってこなくて…………お風呂あがりにセンパイ寝ちゃって………………?)

「……っ!?」

(キ、キス――――ッ!?
こ、ここっ! センパイのベッド――――ッッ!?)

 二重の驚きにドッドッドッドッと、大太鼓を連打したかのような激しい動悸がちえりを襲う。
 目覚めてここまで心拍数が上がるのはバイトで寝過ごしたとき以上のものだろうと咄嗟に悟った。

「お待たせ」

 瑞貴はミントのように爽やかな笑顔でマグカップを手渡してくれる。

「あ、ありがと……っ……」

 ブルブルと手を震わせながらカップを受け取り、フーフーと息を吹きかけた。そしてまだ毛布にくるまれているちえりの隣に腰を下ろした瑞貴。

「やけどするなよ?」

「う、うんっっっ」

 ちょっとずつ口の中へ珈琲を流すが、またも緊張のあまり味がわからなくなっている。

「そういえばチェリーさ……」

「……は、はひっ!?」

 極度の緊張に声が裏返ってしまった。

(――は、恥ずかしいっっ!!)

「……? 昨日甘いやつ頼んでたろ? デザートドリンク。会社じゃブラック飲んでたから今もブラックだけど……平気?」

「あっ! あれはですね……っ……」

 ちえりはあたふたしながらも大まかに説明する。

 朝一番や仕事の合間に口にするもの、またお菓子など甘味が傍にある場合はブラック。遊んでいる、もしくは疲れた時は甘いものを選んでいるのだと伝えた。

「へぇ……なんとなくわかる気がする」

”じゃあ今朝の選択は正解だったな”と彼は笑った。

「み、瑞貴センパイは……?」

「んー……俺もちょっとチェリーと似てるかも。この店じゃいつも俺ブラックだけど、楽しいときは甘いのが飲みたくなる」

「……っっ!!」

(……ぶ、ぶ――――っっ!!
そ、それってまるで昨日のデートが楽しいって……言って、言ってるみたいじゃないですかぁあああっっ!!
ザ・天然王子炸裂だぁあああっっ!!)