――そして間もなく昼にもなろう頃……

「どんだけ警戒心ねぇんだよ……チェリーサン」

 "チェリー"を抱きしめたままソファでうたた寝を始めてしまったちえり。
 そしてワンコの方もよほど心を許しているのか、ちえりにジャレついた格好のまま一緒になって目を閉じてしまっている。

 仁王立ちした鳥居が仕方なくリビングを出て行く。
 そして戻った彼が手にしていたのは、手触りの良いパイル生地の愛用のブランケットだった。

「おい、寝るならちゃんと横になれ。寝違えるぞ」

「……スー……」

「……?」

 すると飼い主の声で目を覚ましたワンコ"チェリー"。
 つぶらな瞳が自分を抱きしめるちえりを捉え、キラキラした眼差しで"遊ぼう?"と言わんばかりに回された腕をハムハムと甘噛みしてみるが、仕事で疲れていたらしい彼女は無反応だった。
 やがて#主__あるじ__#が掛けたブランケットにちえりごと包まれると、一瞬観念して眠ろうとした"チェリー"だったが――?
 ブランケットの中に潜り込んだ彼女は何やらちえりのポケットをゴソゴソ。しばらくすると歯がカツカツ当たるような音を響かせ始めた。

「こらっ! チェリー!!」

 傍でくつろいでいた鳥居の表情に焦りが見える。
 愛犬が口にしていたのはちえりのスマホだったからだ。

「それはお前の玩具じゃない。離せ」

 声を下げ、ノーの意志を強めると、"や、やだーっ!"と初めはイヤイヤしていた彼女も主の鋭い眼光に萎縮したのか、大人しくスマホを渡してくれた。

「偉いぞっ!」

 犬は飼い主をよく見ている。彼女らは声のトーンや表情から人の感情を読み取ることに長けているため、いうことを聞いたらきちんと褒めてやる。躾はその繰り返しなのだ。
 それを承知していた彼は高めの声色と、満面の笑みで愛犬を撫でまわす。

「ははっ! 可愛いなお前!!」

 ゴロンとおなかを見せた"チェリー"が褒めてもらえたことを理解し、嬉しそうに手足や尻尾をバタバタさせている。
 愛犬と絶賛戯れの最中、ふと視線を感じた鳥居がそちらを振り向くと――

「……あ、え、えっと……ごめん……?」

 誰にも見せたことのない笑顔に目を丸くしているちえりが気まずそうに口籠っている。
 そして気を使ったつもりなのか、今一度目を閉じようとする彼女。

「……おい、寝んな」

「う、うん? ……だ、大丈夫……、誰にだって見られたくないことはあるし……私忘れっぽいし……?」

「コホンッ……こ、これ防水か?」

 わずかに頬を赤く染めた鳥居がわざとらしく咳払いをしながらスマホを差し出した。

「うん、ってそれ私の……?」

「悪い……"チェリー"が#銜__くわ__#えてた」

「別に気にしないよ、タマもよくやってたし……」

「お前も取り上げろよ……」

 へへっと小さく笑ったちえり。彼女はまだ眠いのか、半開きの瞼がとても重たそうに上がったり下がったりを繰り返している。
 すると、鳥居が手にしていたちえりのスマホが吠え始めた。

 ――ワンワンッ!! ワンワンッ!!

「……っ!」

 愛犬が吠えたのかと思った鳥居はソファの上でくつろいでいる"チェリー"へ目を向けるが、当の本人は"なぁに?"と言いたげに首を傾げている。

「あ、ごめん……それ私のスマホの着信音……」

「……そうだったな。ほら」

「す、すみませ…………んっっ!?!?」


 着信<<<桜田瑞貴


「……センパイから電話だっっ!!」

 慌てて飛び起きたちえりはブランケットを吹き飛ばすとバタバタとリビングを出て廊下まで走った。
 呼吸を整えたちえりは受話へと切り替えながらスマホを耳にあてる。

「は、はいっ!!」

 ワンコ"チェリー"のよだれは気にならないが、頬に感じるひんやりとした水気に背筋が伸びた。

『あ、チェリー?』

「……っ瑞貴センパイ! おはようございますっ!!」

『ははっなんだそれ、昼寝でもしてたのか?』

 優しく笑う彼の声に顔がデレデレしてしまう。

「へへっ、ちょっとうたた寝しちゃってたみたいで……」

『じゃあ、ランチはまた別の日にするか?』

「え? センパイお仕事は……」

『あぁ、なんかもう拉致があかないらしくてさ……今日はもうどうにもならないから帰っていいって』

(解決したわけじゃないんだ……)

「……っでも! センパイが早く帰って来れそうで良かったです!」

『……ありがとな』

 残業と休日出勤はいくらなんでも疲れてしまう。
 どうにかして休ませてあげたいと思っていたちえりは彼の提案を提案で返した。

「今日はおうちでご飯にしませんか?」

 高菜は自分で漬けたものではないけれど、鳥居に褒められた高菜おにぎりを是非瑞貴にも食べて欲しい。

『そっか、俺はチェリーとならどこでもいいから。すぐ帰るよ』

「っはい! 待ってますねっ」

 笑顔で電話を切ったちえり。
 トラブルが解決していないのだからまだまだ安心はできないが、いまできることは瑞貴を連れ出して疲れさせることではない。静かな部屋でのんびり過ごせるよう環境を整えてやるのが自分の役割だと、珍しくまともな考えに行きついた。
 あとは出迎えを装って部屋の前で待っていれば大丈夫なはずだが……

(……瑞貴センパイ、私が家にいるって思ってるよね……)

 ふぅ、とため息をついたちえり。
 今回は不注意による事故で閉めだされてしまったわけだが、自分が鳥居を頼ったのは違いない為、彼に過失があるわけではない。むしろちょっと迷惑そうだった、と思う。

「また嘘増えちゃったな……」

 そっと壁に背を預けていると、鳥頭がドアを開けてこちらへやってきた。

「帰んのか?」

「うん、瑞貴センパイもう帰ってくるって。"チェリー"にちょっと挨拶してきてもいい?」

「…………」

 彼は切れ長の瞳を足元へ向け、何か言いたそうにもう一度こちらを見つめる。

「……?」

 促されて視線を下げると――

「あっは! "チェリー"いつの間に? また一緒に遊ぼうねっ」

 凛々しい頬を幾度となく撫でていると甘えるように体を預けてきた彼女があまりにも愛らしく、名残惜しい気持ちを唇にのせて眉間にキスを落とす。
 なかなか離れようとしない"チェリー"の心地良いぬくもりと重みに幸せを感じながらようやく別れをすませ、人型のウルフにも礼を言いつつ頭を下げる。

「お茶も羊羹も美味しかった、ご馳走様。助けてくれてありがとう」

「…………」

 その言葉を無言で受け取った彼は黙って玄関口までついてきてくれる。

「じゃあ……また会社で」

 なにも言わない彼に戸惑いながらも別れの言葉を告げ、部屋を出ようとノブへ手をかけると――

「お前さ、"瑞貴センパイに嘘ついた"って罪悪感もってるみてぇだけど……」

「……うん?」

「"俺と秘密をもった"って置き換えてみろよ」