(そりゃあわかりきってたけどさ。
瑞貴センパイは軽々しく手を出したりするひとじゃないもん。っていうか、私が恋愛対象外だからか……)

 ショックという名の絶望から目を背けたくなる。
 数々の瑞貴の優しさから勘違いしてしまった日も少なくない。当たって砕けろ精神がまだ備わっていなかった若かりし日のちえりは、瑞貴に真意を問うことなど出来るはずもなく……大学へと進学した瑞貴の背を笑って見送ってしまった。

(距離が縮まらないってことは、つまりそういうことだよね……)

 傷付いて気まずくなりたくないという思いが先行し、結局その想いを打ち明けたことは一度もなかった。
 案の定、それからのふたりの距離は遠ざかる一方で。

 今となってはもう浅ましい考えさえ普通に出来てしまう汚れた人間になってしまったちえり。
 それだけ色々な経験をしてきたとも言える。

 しかし……それでもまだ、せっかく近づいた瑞貴との距離が遠ざかると思うと臆病にならざるを得ない。

 大口を叩くわりに小心者の若葉ちえり二十八歳。
 彼女は瑞貴への淡い想いを思い返しながら、手さぐりの同棲生活の幕を開いた。

「じゃあ……」

中途半端に靴を脱いだ瑞貴が一瞬の間を空け動きを止める。

「うん?」

「一緒に寝るか?」

「……へ?」

 パチクリと瞳を瞬かせたちえり。
 無言のまま見つめ合うと……

「や、やだーもーー!! キスもまだなのに!? センパイのえっちーっ!! それじゃあ第一歩! お邪魔します~!!」

 ことさら大声で笑ったちえりはパンプスを脱ぎ捨てると瑞貴の前を歩く。

「チェリー……」

 なぜか寂しそうに呟かれた瑞貴の声と、冗談だとわかっていても高鳴ってしまう胸の音を聞かれまいと足早に駆け出すちえり。

(な、なに今の!?
なんで瑞貴センパイそんなに切ない声出してんの!!
冗談だよね? ねっっ!?)

「リ、リビングはこっちかなーっ? 失礼しまーっす!!」

「あ、チェリー……」

 廊下の突き当たりのドアノブへ手をかける。
 一人暮らしの経験はないが、漫画やドラマでも左右の扉はトイレやバスルーム、寝室であることは予備知識として腹の贅肉とともに蓄えてある。

 しかし、なぜか制止するような瑞貴の声。
 そんな彼の言葉を背に聞きながらドアを開けたちえりの前に飛び込んだのは……

「ブーッ!!」

 なぜか部屋は他にもあるはずなのに、ドアの向こうに広がっていたのはモノクロでシックな瑞貴のベッドだった――。