「祐穂」
仁乃を上手く追い払うことが出来ずに、弓道部にまで彼女を引っ張ってくる事態になってしまった。
他の部員が練習に勤しんでいる間、トイレか何か、上手く言って中座したらしい。蒼真はいち早く私たちの存在に気がつくと、人目を盗んで出てきてくれた。
「これ。借りてた辞書」
「え、今? 貸した時も言ったけど、家のポストに入れといてくれたらよかったのに」
「でも、今日夕方から雨降るって言ってたし。辞書が濡れて使い物にならなくなったら困るでしょ」
「まぁそうだけど…」
辞書を受け取った蒼真が、チラと視線を私の背中に向ける。それまで他の部員が弓を引く姿に没頭していた仁乃は、蒼真の視線に気がつくとニコッと愛想よく笑った。
「よー! 今日もイケメンだなソーマ。汗も滴るいい男だぞ」
「あ、うん。なんか複雑だけどありがとう。…弓道、見てて楽しい?」
「うん。あの目玉の真ん中んとこ狙うんしょ。みんなうますぎてヤバい。一生見てられる」
「はー、そっか。いや、祐穂はいっつもあのマトに当てるののなにが面白いかわかんないって否定ばっかするからさー。そう言ってもらえると嬉しい、認めてもらえたみたいで」
「…私だって別に、本当のことしか言ってないじゃん。他の部活みたいにタイムが伸びるとかでもないしさ、マグレで当たったら大会でも英雄でしょ」
「祐穂ー、多分あれに当てるのも相当奥が深いんだぞ。オリンピックのアーチェリーの人とか年末年始すげー番組で技披露してんじゃん」
「そうそれ。いいね、さすが金雀枝わかってる。せっかくだから中で見学してきなよ」
「いいよ。私たちもう帰るし」
「え、でももうすぐ俺の番くるし、せっかく来たんだから見てけって。祐穂がバカにする弓道がどんだけ奥深いか説明してやるから」
「そだよ祐穂ち、蒼真もこう言ってんだし中で」
「いらないって言ってるの!!」
怒号は辺りに響いた。
そのあとダダ、と弓道の矢がマトに当たる無数の音がして、肩で呼吸をする私ははっとして我にかえる。二人は固まっている。
「…ごめん、私、」
「あ、そぉいやあーし夕方の再放送見たいんだったー! ソーマ悪いな再放送優先だっ」
「ええ。いや普通こっちだろ」
「ばいばいきん。いこ、祐穂」
片手に手を引かれて、くい、と前に踏み出す。振り返れば棒立ちで佇む蒼真がいるのに、私は仁乃に連れられて帰った。



