「だからっ、」

「―――もういいから」


帰ってよ、と。口にしようとした私は、急に目元の滴を長い指先で掬われたことで面食らう。

呆然と瞬きばかりを繰り返す私と、そんな此方の様子を見て緩やかな微笑を浮かべるお兄さん。







「俺、和也《かずや》っていうんだ」






まるで今までの私の言葉を聞かなかったかのような台詞に、唖然。

しかも当事者であるお兄さんはニコニコと尚も相好を崩していて、一体なにを考えているのかてんで分からない。



「お姉さんは?」

「………、え」

「名前だよ。なーまーえ」

「……葵、だけど……」








さっき兄貴が目の前で呼んだけれど、聞いていなかったのだろうか。

余りに間抜け面で私が見上げるものだから、何時かと重なるほどクスリと妖艶な笑みを滲ませた彼は言葉をおとす。





「じゃ、俺らのハジマリは今日ね?」







お兄さんの名前を直接本人から聞いたあと、胸の奥底で燻ぶっていたあの言葉。

彼女たちが私に向けて口にした痛すぎる声音は、


―――"この場でアタシ達からアイツの名前聞く程、屈辱的なことって無いよねぇ?"





スッと音もなく消えた気がして。他でもない、お兄さん自身の手によって。