広い草原に一人大の字に寝転ぶと体に感じる様々なものに神経を張り巡らせる。
動物の鳴き声。頬を撫でる爽やかな風。暖かな太陽の光。

「今日はいいお昼寝日和だなあ〜」

そうつぶやくとゴロリと寝返りをうってくの字に曲げた腕に頭をのせる。するとたちまち眠りの世界へと誘われていく。
気持ちいい⋯⋯。おやすみなさい⋯⋯。



目を覚ますとあたりはすっかり夕焼け色に染まっていた。
起き上がり大きく伸びをすると地平線の彼方に見える大きな太陽を見つめる。

「綺麗な夕日⋯⋯」

今日は随分ゆっくりとお昼寝できたな。
その分沢山母さんに叱られそう。はやく帰らなくちゃ。
そう思って立ち上がるとシャンシャンという鈴の鳴るような音が聞こえてきた。

あたりを見回してみる黄色と白と黄緑色の手のひらサイズの光の玉が浮いていた。

これが音の発生源だと思うけど⋯⋯。
一体何なんだろう。

その光をジーッと見つめているうちにある考えが浮かんでくる。

そういえば昔父さんに読んでもらった本に魔法使いが契約する時だけ可視化できるという精霊の存在がかかれていたっけ。

明確な理由は何もないんだけど、なんだか、そんな感じがする。

何かを必死に訴えるように私の周りを飛び回りシャンシャンと音をたてる精霊達。

「くすぐったいよ」

笑いながらそういうと精霊達は一層シャンシャンという音を強めた。

「わかった。わかったから」

私が観念したようにそういうと『ついてこい』とでも言うように三つとも同じ方向へ進み出す。
私はそんな精霊達を追いかけてまだ眠気でぼんやりする頭を抱えながら駆けていった。



「ええ⋯⋯。これ、どうしろっていうの?」

精霊達について駆けていくと見たこともないような大きな溝が目の前にあらわれた。
パックリと口を開けたその大地の裂け目はのぞけばのぞくほど漆黒の闇がこちらに迫ってきているような錯覚に陥る。

向こう岸など見えず、というかないのかもしれないが、とにかくそこには無限の闇が広がっていた。

闇の中へ飛び込め、と言わんばかりにシャンシャンと音を鳴らす精霊達には流石に苦笑いを浮かべる。

「いやいや、流石にこれは無理だよ」

『ベジーー!!』

「え⋯⋯なに今の⋯⋯頭の中にキーンって」

誰の声だろう。
出てきそうなのにでてこない。
いつもならここでまあいっかってなるけどそうもならない。
思い、出さなくちゃ。

「タグ!!」

その名が浮かぶと私は真っ先に闇の中へと飛び込んだ。そんな私の周りを精霊達が囲む。
真っ暗な闇の中。落ちているのか、浮いているのか、それとも上がっているのか。全くわからない中必死に目を開けて光を待つ。

そんな時だった。
一筋の光が下からさしてきてそれはやがて大きな光をとなり私と精霊達を包んでいった。



「⋯⋯っ!」

目を覚ますと前方に肩から流血し倒れ込んでいるタグと館の主である女の人がいた。
私は立ち上がると真っ先にタグの元へと駆けた。
頭がグラングランするが今はそんなこと気にしていられない。

「タグ!」

「あら、起きちゃったの?」

そういって振り返った女の人の顔や体にはベットリと血がついている。
そのことに思わず息を呑むがすぐに母さんが父さんを叱るような口調で
「あなたがタグを傷つけたの?」
と問う。

「ええ、そうよ。彼、エルフだけれど結構美味しいわ。血を舐めただけでわかるのよ。そいつが美味いか不味いか」

これって、悪い夢かなにかじゃないよね?
もしそうだとしたらさっきのが現実で今のは悪夢。もしそうじゃないとしたらさっきのが夢で今のが現実だ。

「彼、エルフにしては欲が強くてね。『消えたい』とか『死にたい』とかいう欲求がすごく強いの」

消えたい?死に⋯⋯たい?⋯⋯。なにそれ⋯⋯。

その瞬間私の中であることに合点がいった。
タグが何もなしに飛び降りようとしてたのってまさか

「どいて!」

先ほどまで私の中で溢れかえっていた恐怖など嘘のように消え去りタグに対する怒りがフツフツと煮えたぎってきた。

女の人はそのことに拍子抜けしたようですんなり私を通してくれた。

倒れ込んでいるタグを抱き抱える。
息もたえだえな彼に今私がすべきことは一つ。

パシンッ
平手打ちした音が白い空間に虚しく響く。

「え⋯⋯⋯⋯ベ⋯⋯ジ⋯⋯起きたんだ⋯⋯」

微かに開いたマリンブルー色の瞳を細めて優しくそういったタグの金髪がフサリと私の腕に落ちる。

「起きたよ。あとすごく怒ってる。」

そういった途端に私の視界にジワリと涙が溢れた。

「消えたいとか、そんなの、悲しすぎるよ。一緒に生きようよ」

涙がとめどなく溢れてきて私の言葉を聞いた直後のタグの顔はぼやけてよく見えなかった。
けど涙を吹くとそこには優しくも哀しい笑顔があった。

「ありがとう」

私の肩にまるで何かから庇うようにタグの腕が回されハッとして振り返るとタグの腕に深く悪魔の爪が刺さっていた。

「ど、どうしよう⋯⋯ごめん⋯⋯ごめん」

涙が溢れるばかりで何も言葉がでてこない。何も出来ない。
生まれてこの方野菜を育てたり家畜を世話することしかしたことがないからこんな、悪魔との戦いなんて考えたこともなかったしどうすればいいのか検討もつかない。

「⋯⋯け⋯⋯いや⋯⋯く⋯⋯」

かぼそい声音でつぶやかれたその言葉に必死に頭を働かす。

「契約!」

タグが精霊達と契約しているように私も契約すればいいんだ!
でも、どうやって?そんな疑問も浮かんだ瞬間に消え去った。
私は振り返ると今まで生きてきた中で一番の大声で
「私と契約してください!!」
と叫んだ。

その瞬間悪魔の周りを金色の輪っかが囲み悪魔は身動きがとれなくなった。
そのことに驚いたのか悪魔は驚いた表情で金色の輪っかと私を見比べた。

「············あんた、本気であたしと契約しようとしてる?」

「うん。本気だよ」

「死ぬわよ、あんた」

「なんで?」

「は?そんなこともわからないの?そいつ見てたらわかるでしょ」

「うん、そうだね、あなたがとても凶暴で乱暴な悪魔だってことはわかるよ。」

「だったら今すぐやめなさいよ。本気で後悔させてやるわよ!」

そういってから口元を歪めて
「いいえ、後悔も出来ないようにしてあげるわ」
と言い放つ悪魔。

「じゃあ、私は私と契約してよかったって思えるような人になる」

「⋯⋯⋯⋯」

黙り込みまっすぐに私の瞳を見つめてくる悪魔。

「⋯⋯なんにも考えてない天然ボケの田舎娘」

「うん、そう。でも、私頑張るから」

光を宿していなかった漆黒の悪魔の瞳が徐々に明るくなっていく。
何かを考え込むような悪魔。しばらくの沈黙。

これで失敗したらどうなってしまうんだろう。そんな質問の答えはどれも最悪なものばかり。大丈夫。きっとうまくいく。
苦しいくらいに鼓動がはやくなる。

悪魔は少し呆れたようにひとつ目を閉じてから大きくため息をついた。

「私の名前はセレナ。」

開かれた瞳は悪戯そうに、けれどとても輝いて見える。

「そうなんだ、よろしくね、セレナ!」

「よろしくね、じゃないわよ。とっとと契約の儀を済ませなさいよ」

そっぽを向いてムスッとそういうセレナ。

「契約の義⋯⋯ってどうやるの?」

「はあ?あんた、粛清の輪を出しといて契約の義を知らないってどういうことよ。いい?名前を呼んで後は適当に我と契約したまえとーかなんとか捧げものしながらいうの。あと言っとくけどね、あんたと契約してやるのはあくまで退屈しのぎ。契約したってあんたのこと傷つけないとはかぎらないんだからね」

「うん、わかった。でも捧げものなんて⋯⋯」

「これでも使ったら?」

そんな声に振り返ると先ほどまで血を流して倒れ込んでいたタグがそんなの嘘みたいに出会った時と全く同じ装いで私のすぐ後ろにたっていた。

「え?タグ!?ケガはどうしたの?」

「どこぞの悪魔さんが治してくれたみたいだよ。ほんとに意味がわからない悪魔だよね」

そういってタグがセレナを一瞥するとセレナが意地悪く笑う。

「なあに?お望みなら今度は瀕死にしてあげたって構わないのよ。私は。第一私退屈がしのげればなんでもいいし」

「それはどうも。でももう間に合ってるから」

嫌味っぽくそういうタグから手渡されたのは金色の細かな細工が施された綺麗な指輪だった。

「え、いいの?タグ。捧げものにするんだよ?」

「いいよ。⋯⋯そんなに……大事なものじゃないし」
「?そうなんだ。じゃあ、遠慮なく」
そういったところであることに気づく。

「もうタグを守る必要もないしセレナは攻撃してこないみたいだし契約しなくてもいいんじゃないかな?⋯⋯」

その発言の後暫く沈黙が続いたがセレナがすかさず、といった感じで
「契約しなかったらまた暴れだすかもしれないわよ!?」
といいだす。その迫力に驚き言葉がでずにいるもタグが一つ大きなため息をつき、呆れたような口調で語り出した。

「この悪魔さんは契約して《《欲しい》》んじゃない?察してあげなよ、ベジ」

「え、そうなの?セレナ」

「そんなわけないでしょ!?ちょっとそこのエルフの小僧なに考えてんのか知らないけどねホラばっかふいてるとあとで痛い目見るわよ?」

艶やかな赤い唇をニイッと歪めるセレナ。
それによってセレナの犬歯がよく見えるのだが悪魔というのは随分と長い犬歯をもっているらしい。犬みたいだ。いや、犬というよりはドラキュラに近いかもしれないが。

「第一に悪魔は本当の意味で契約することなんてできない。いや、できないというかできるはずないんだよ。彼らは人の欲を利用して契約したり契約して利用したりするけどそのほとんどが偽りの契約なんだ。彼らはそうやって人間の欲を利用して操ったり利用したりするのが大好きだからね。」

「そうそう、よくわかってるじゃない、坊や」

そういって笑顔を浮かべるセレナにタグはきみの悪いものでもみたような表情になる。

「はあ⋯⋯。ベジ」

そういうとチョイチョイと手招くような仕草をするので慌てて近くによって耳を傾ける。
おじいちゃんが喋るときはよくこうやって手招きされて耳を近づけていたっけ。耳元で呟かれる言葉がくすぐったいという思いに負けて全然聞き取れなかったのがなんだか懐かしい。

「彼女の周りの金色の輪、あるだろ。あれ、あいつの力なら消そうと思えば一瞬で跡形もなく消せるんだ。ついでにいうと僕とベジを殺すことだって一瞬でできてしまう。なにせ僕のあんなに負っていたケガを一瞬でしかも声にださずに消し去ったんだからね。彼女はかなりの魔法使い手だ。もしかしたらあの伝説の⋯⋯」

そこまでいうとゴニョゴニョと聞き取れない声音になってしまう。

「?なあに、タグ」

「⋯⋯いや、そんなことあるわけない。とにかく、彼女は何を考えてか契約されたがってるんだよ。はやく空気をよんで契約しないとさっきの状況に逆戻りだ」

『空気をよんで』か⋯⋯。母さんにもよく言われたなあ。

「わかった。やってみるよ」

「ちょっと!私抜きでなにコソコソしてんのよ」

明らかにむすくれた表情になるセレナに微笑みかける。

「ううん、なんでもない。じゃあ、契約するね」

「はあ。やっとなの?まあいいわ。契約したらたっぷりこき使ってやるから」

そういってニヤリと笑ったセレナに苦笑いしながらもタグからもらった金色の指輪をセレナにかざして腹の底にたまるように大きく息を吸った。

「悪魔セレナよ!我と契約したまえ!!!」

その途端辺りを強い光が包み、目の前にいたはずのセレナは消えていた。

「え⋯⋯あれ?」

「騙されたか」

タグが妙に合点がいったような表情になった、その時

「あたしはここにいるわよ。なに裏切り者扱いしてんの。っていうか、あんた、声大きすぎ。あんなに大声ださなくても聞こえるっての」

そんな声が聞こえてくる。
けれどあたりを見まわしてみてもどこにもセレナの姿はない。

「やっぱり騙されたか」

「だから騙してないっていってんでしょ、エルフの小僧!ここよ、ここ!」

ふと左手の小指が強い熱を感じて見てみるとタグからもらった金色の指輪が気づかぬ間にはまっていて光と共に熱を発していた。

「あ、ここみたい」

そういって私が左手をかざして笑うとタグは小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「こりゃいいや。あの悪魔だか淫魔だかわからない女を見なくて済む」

「ちょっ、タグ」

私がタグを止めに入ろうとするとボンっと白い煙がたちのぼり私のすぐ横にお怒りモードのセレナが立っていた。

「誰が淫魔ですって?小僧」

「⋯⋯⋯⋯」

タグは無言で駆け出した。