一人真っ暗闇の中を漂いながら必死に頭を働かせる。
これはかなりまずいことになった。このままではあいつに連れていかれたベジの身が危ない。
会ったばかりの他人ではあるのだが、状況が状況だ。放ってはおけない。

「我と契約せし者よ、願わくばこの指に闇夜を照らす光を灯せ」

そっとそうつぶやくと僕の人差し指にポッと白い光が灯った。
それによって少しばかり明るみになった空間に僕の予想は当たっていたと気づく。

この空間はおかしな方向にねじ曲げられている。だから体が宙に浮いているのだ。

「我と契約せし者よ、願わくば⋯⋯」

これは魔法を使う時の定型句。ひとによって違ったりもするが意味合い的にはさして変わりはない。
魔法使いは必ず精霊(地、水、火、風、光、闇、それぞれのうち一つ力を宿している。一般の人の目に見ることは出来ないが魔法使いのみ契約時に見ることができる。しかしその姿は魔法使いでも直視できず、さしずめ光の塊のようなものだった)と契約していて、そのおかげで魔法が使える。いわば精霊の力を借りているようなものだ。

「地を盛り上げこの空間のねじれをなおしたまえ」

そうつぶやくと土が床の下で隆起する特徴的な音が聞こえてきて、気づいた時には地に足がついていた。
僕が契約した精霊は光と地と風。
この先でそれ以外の精霊の出番が必要な場面がこないといいけれど。

歩くと床のタイルの間から土があふれでていることに気づいた。

学校では全然上手くいかなかったのにこういう時ばかり上手くいくんだな。

ふとした時この世界から消えたいと願う空白の心にすきま風がはいったような気持ちになる。

しばらく壁つたいに歩いていると明るめの、指に灯った明かりがなくとも中が伺えるような部屋を見つけた。

「⋯⋯⋯⋯っ」
その部屋の異様さに気づくと僕は思わず口元をおさえた。
ひどい吐き気がする。

壁に寄りかかった、よくできた人形のようにも見えるそれは、生身の人だ。
皆一様に意識はないようだが、それにしたってなんて量だろう。

やはり僕の予想は間違っていないようだ。
ここの主は、悪魔⋯⋯。
ここにいる人達はさしずめ悪魔に魂を吸われた人達だろう。

「急がなくちゃ⋯⋯」
普段は独り言なんてめったにもらさないのだが余りにも怖くて声をださずにはいられなかった。

クルリとUターンすると慌てて駆け出す。

悪魔は人の魂は喰うがエルフの魂は喰わないのでは?
それなら今逃げれば自分は助かるのでは?
そんな弱い心に嫌気がさしてくる。
黙れ、黙れ、黙れ!

自分から逃げるようにひたすら闇の中を駆けていくと明るい光がもれだしている部屋を見つけた。その部屋の少しばかり開いた扉のドアノブに触れる。ゆっくりと扉をあけ中をのぞき込もうとすると

「あら、こんなところにいたの」

そんな声と共に背後に気配を感じる。そのことに気づいた時にはもう遅く、僕の喉元には長く鋭い爪がくい込んでいた。

苦しい。爪がくい込んだ場所から何かがツーっと垂れる感覚。
それが何か理解すると僕は卒倒しそうになった。
血だけはどうにも苦手なのだ。

「私、エルフだけはどうにも好きになれなくてね。やっぱり人間の欲まみれの魂が一番美味しいのよね」

「⋯⋯⋯⋯彼女は欲にまみれてなんかいない」

この部屋の中にきっと彼女がいる。
そう感じると少しだけ強くいられるような気がした。

「ああ、あの子が俗世間に触れていない田舎娘だから?」

べつに彼女が田舎娘だから、と言いたかった訳ではないのだがそういう意味合いになってしまうかもしれない。

「私ね、欲まみれの魂も大好きだけどその逆も大好きなのよ」

妖艶な声音で紡がれる恐ろしい言葉達。
ゾッとして上手く働かない思考でここからどうベジを救い出すかを考える。

「第一エルフって私達は何百年も生きてますよーなんでも知ってますよーって態度が腹立つのよねえ。知ってる?悪魔には寿命って概念がないのよ」

少しずつくい込んでくる爪にはからずも意識が遠のいていく。
それに加え悪魔のしっぽの話を思い出した僕はそちらにも気を配らなくていけなくなった。
以前読んだ本には悪魔のしっぽに刺されると異性は虜にされ同性は異性に対する魅力をなくすとかかれていた。
この場合僕が彼女のしっぽに刺されれば彼女の虜となってそれこそまともに考えることができなくなる。

動き出せ。スキをついて。
そうすれば相手の虚をついてベジを救い出せる。そしてこんなところからはおさらばできる。よし。

「あんただって人間のこと、嫌いなんじゃないの?」

冷たいその声音に僕は思わずこう答えた。

「ああ、大嫌いだよ」

と。他の種族と比べてとりわけ欲深い人間が僕は嫌いだ。

「なら、協力できるんじゃないかしら。私達」

自分の欲のためなら誰かを騙すことすら厭わなくて自分勝手で傲慢な彼らが大嫌いだ。

少しずつ緩められる手に息がしやすくなる。
ただツーっと垂れていくものはとめどない。

「人間が嫌いな者同士⋯⋯。奴らに仕返ししてやりましょうよ」

ただ、スタルイトのパイ一つに一喜一憂するような人間が僕は嫌いじゃない。

「きっと楽しくなるわ」

お気楽で能天気でもう少しで終われそうだった僕の人生から終りを取り上げてしまった人。
そんな人が人間の中にはいてーー。

「なっ!?」

僕の腕スレスレまできていたしっぽに隆起した土が絡みつく。それは終いに彼女の体全体を包んでいった。
呪文を唱えずに魔法を使えたのは初めてかもしれない。

「僕はまだあの子を消させられるわけにはいかないんだ。なにせ"仕返し"が終わってないんだからね」

そう、僕から終わりを取り上げたあの人には僕自身で直接仕返しなくちゃいけないんだからね。

「くそ!エルフの坊主が!!」

そう叫ぶ悪魔はじきに土からはいでてくるだろう。急がなくては。

目の前の少しだけあいた扉を全開にすると中に飛び込む。

「ベジ!!」

何もかもが真っ白のその空間の真ん中、白い椅子に座った彼女は意識を失ったようにグッタリとしている。
そんな彼女の手元にはティーカップが浮いていて合点がいく。

シルベコウ。あれには人の精神をリラックスさせる作用があるのだがあまり多く使用すると睡眠薬として機能し人を深い眠りの世界へと誘うのだ。
以前読んだ本では悪魔は寝ている人間の方が魂を吸いやすいと書いてあった。
だからーー。

慌ててベジの元に駆けていくと細い肩をつかみ揺さぶる。
ボサボサのスタルイト色の頭が前後左右に揺れて草原の暖かな香りがした。そんな香りにこんな時だというのに心が安らぐのを感じる。

「残念だったわね」

そんな声に振り返ると悪魔はもう土からはいでてきていてすぐそこにまで迫ってきていた。

しかしこちらにはもう打つ手がない。これ以上魔法を使うのは危険だ。
魔法は己の力、エネルギーを消費するものでありあまり使いすぎると限界を超え命を落としかねない。これは魔法学校で耳にタコができるほど言われたことだ。

しかし状況が状況だ。抵抗せずに死ぬくらいなら抵抗して悔いなく死にたいものだ。

そんなことを考えている自分に自分のことながら驚いた。
ぼくは結局"生きたい"のだろうか。
わからない。わからないけどーー。

「我と契約せし者よ、突風をおこし彼の者を吹き飛ばせ!」

首からの流血もあってかなり消耗していた僕の体力が目に見えて限界に近づいていく。

起こった突風は練習で出す時よりも小さくて悪魔にとっては飛んできた羽毛を払うのと同じような行為らしい。悪魔の手が触れた途端に消え去る突風にいよいよ倒れてしまいそうになる。

けれどここで諦めることなんてできない。
ベジを守らなくてはーー。
いまだかつてこんなにも気力に満ちたことがあったろうか。いや、ない。

そうだ、これならーー。
ある考えが僕の頭の中に浮かぶがこれをするにはベジが目覚めなくてはいけない。

我と契約せし者達よ、彼女を目覚めさせよ。
心の中で強くそう願うと僕は悪魔を挑発しこちらに気を向けさせようとここぞとばかりに人を見下すような目をした。

「お前は愚かだな。人のことを嫌いながら人の魂を喰らう。それがどういう意味だかわかっているのか?」

「わかってるわよ?私はね、あいつらを取り込んでるの。もう、息もできないくらいに、ね」

そういってゾッとするような笑みを浮かべた瞬間悪魔の背中に漆黒の大きな翼がはえた。

「そしてそれは、底なしの憎悪があるからこそ、成せるもの。だからね」

少しずつ、でも確実にベジから離れるように右側へずれていく。

「あんたも食べてあげる!!」

その言葉が発された瞬間目も開けられないような風が巻き起こる。
気づけば奴は上空にいた。

「うああぁぁぁ」

しまいには牙もむき出しにして僕めがけて急降下してくる悪魔。

まずいな。僕は体力や反射神経に関しては全く自信がないのだが。

奴がやってくる、噛み付かれる、その直前前に転がる。

悪魔は前に避けるとは思っていなかったようで、僕がいた場所に空振りする。

「貴様!!」

「悪魔さんはとんだマヌケのようだね。エルフの坊主一人も喰らえないんだから」

「うああぁぁぁ」

いちいち叫びながらじゃないと飛べないのか?なんて嫌味を言う前に僕の肩に激痛が走った。

言葉通り、目にも止まらぬ速さで僕の元へ飛んできた奴は思い切り僕の肩に牙をたてた。いよいよ意識が遠のきそうになるが、悪魔の背後にいるベジの姿を確認するとなんとか気を保つ。
しかししばらくすると悪魔は僕から離れ宙を飛びながら自慢げにほくそ笑んだ。

「ねえ、坊や、痛い?痛いでしょう?あんたが私の心傷をえぐった痛みと同じ痛みよ」

「ふーん。大したことないね」

これ以上持つだろうか?
「そう。ならもっと痛めつけてあげないとね!!」

いや、持たせなくてはーー。
朧げな意識のなかで僕はもう一度立ち上がった。