葵音が向かったのは、閑静な住宅街の真ん中にある小さな湖がある公園だった。湖を囲むように沢山の木が植えられており、そこには散歩やジョギングを湖を見ながら楽しめるように歩道も整備されている公園だった。
 昼間は人がいる場所だったが、夜は街灯もほとんどないので、人の姿はなかった。月の光を頼りに、葵音はその公園に入り、歩道ではなく湖の方へと向かった。

 そこには人工の光は入らない暗闇の世界があった。光っているのは、月や星、そして湖の水面に映る月と星だけだった。
 柵を越えて歩くと、水面ぎりぎりの湖畔にしゃがんだまま、夜空を見つめる人影があった。

 黒い髪は、夜の闇に染まらず月の光を浴びて、キラキラと光っているように見える。

 ゆっくりと近づくが、彼女は気づかないのかずっと上を向いたままだった。


 「黒葉……?」
 「っっ!!………あ……葵音さん……。」


 葵音が名前を呼ぶと、体をビクつかせ、ゆっくりと振り返った。
 その表情は、とても切なげで葵音の心をざわつかせた。


 「何やってんだよ。こんな夜中に一人で………危ないだろ。それに、夜はまだ冷える。」
 「………ここはとても綺麗に夜空が見えるから。いい場所ですね。」
 

 葵音の言葉には返事もせずに、彼女はそう言いながらまた視線を夜空に向けた。
 今、黒葉の瞳には星たちがきらめいているのだと思うと、綺麗なんだろうなと葵音は思った。

 葵音は、自分のジャケットを脱いで彼女の背中にかけた。黒葉は薄着だったので、心配だったのだ。今日の昼間倒れたばかりなのだ、心配にもなるのは当たり前の事だ。

 けれど、黒葉は葵音を見つめ、嬉しそうに微笑み、「ありがとうございます。」と言った。


 「なんだか、葵音さんの香りがします。」
 「……なんだよ、それ。俺は香水なんて使ってないぞ。」
 「違いますよ。そういうのじゃなくて……鉄の香りがします。」
 「………それって、あんまりよくないだろ……。」
 「私は、好きです。この香りが………。」


 黒音は右手で葵音のジャケットをぎゅっと掴みながら、そう言うとゆっくりと目を閉じた。
 彼女が目の前で自分の香りを堪能しているからなのか、好きと言われたからか……葵音は少しだけ頬が赤くなるのを感じた。