「はぁ」
ここに来て、何度目のため息になるだろう。親の離婚で、父親の汚い部分を見たくないと思い、離婚の時に母親に引き取ってもらうことを希望。そして、母親の故郷である石川県に数日前にやってきた。日本の首都、東京は何でもあった。電車は三分に一本。ここはどうだろう。電車は一時間に一本。テレビでも見たことがあった。まさか、本当にこんな場所が存在するとは。そして、その場所に私が住むことになったとは。世の中とはわからないものだ。数ヶ月前まで、友達と謳歌していた青春はなんだったのだろう。東京は素晴らしい。まさに日本の最先端。その分野は幅広く、私たち高校生も最先端の道を進んでいた。人気カフェ店に新しい商品が発売されればその日に並び飲んだ。新しいお店が開店したらならその日はそこで夕食をとった。前髪が決まっている日は、最新プリ機でプリクラを撮った。そんな世界はあたかも最初から存在していなかったかのように、今私の目の前にあるのは帰省ラッシュ。ここは、満員電車などではなく、車が多い。街巡りをしてはや三日。綺麗と思った景色はいくつかあった。けれど、それも3分見ていれば、十分だ。父親の毎日の晩酌のついでの仕事の愚痴さえ我慢すればよかったのだ、と今更ながらに後悔した。

「東京に帰りたいな」

そういった私の言葉は、田舎の澄んだ空気がどこかへ連れて行った。



「奈緒、今日さ部活で集まりがあるから一緒に帰れないんだ。ごめん」
和田誠輝。クラスメートで、サッカー部の副主将である男だ。彼は、顔もそこそこよく来年のミスター候補として一番名が知れていた。さらに、その性格は温厚で人を陥れるようなことはしないため、クラスからも人気がある。部活では、その性格とは裏腹に非常に熱血な選手だと聞いている。付き合ってはいないがほんの数ヶ月前から、毎日一緒に帰るように気がつけばなっていた。
「そっか。大丈夫だよ。」
「夜、LINEしてもいい?」
「もちろん。」
彼はニコッと微笑み、教室から出て行った。パタパタという足音が私に近づいてきた。そして、肩をつかまれた。
「見てましたよぉー。あらあら」
後藤鈴菜。私の一番の友達。高校入学時にたまたま仲がよくなった。そして、それは高校二年生の秋となった今でも続く仲である。黒髪の鈴菜はいかにも女性特有のムードを持ち、男子に人気だ。そして、来年のミス候補の名前にも上がっている。
「見てたなら、声かけてよ、恥ずかしいなぁ」
「声かけたら二人のムード壊しちゃうじゃん」
「うん・・・そうだね」
私は思わず苦笑した。なぜなら、私は和田君のことが好きだからだ。一年の秋、席替えで隣になってから、しゃべらない日はないほど毎日、他愛もない話で盛り上がった。男子と仲良くなることがほぼない私にとってそれは不思議な気分だった。それから進級して二年になっても同じ文系として、また同じクラスになった。
「知ってたから声をかけなかったんだよー。で、今日は一緒に帰らないの?」
「うん。部活の集まりがあるんだってさ。もう少しで中間テストなのに忙しいね。」
二人で、んー、と考えるふりをしたあと、私たちは自然な流れで近くにできた新しいカフェに行くことになった。二人で放課後寄り道をするのは久しぶりで気持ちが高ぶった。
「奈緒ー。やっぱり私は奈緒といるのが楽しいよん」
そう言いながら玄関で靴を履き替えているときに、鈴菜の携帯が鳴った。
「やば。さっき、音入れたんだった!」
「先生来てないよ」
鈴菜は安堵し、携帯を開いた。連絡してきたのは二個年上の鈴菜の彼氏だった。「奈緒・・・」
「純さん、会えるって?」
「うーん。正解」
純さんは都内の有名私立大学に通う大学生だ。鈴菜のことを一目見たときからアプローチが止まらず、連絡先を交換。その後は、連絡する回数も増え、一年生の夏、文化祭で公開告白を鈴菜はされた。鈴菜自身もそのときには既に純さんに惹かれ始めていたらしく、泣きながらか細い声で「はい」と返事をした。
「いってきなよ」
純さんは大学生になって時間は増えたものの、バイトを多く入れているためなかなか会えないそうだ。
「ごめんね!今度、お菓子でも買うわ!ばい!」
ローファーの音が遠くなっていった。久しぶりに一人で帰ることになった。誰にも聞こえないように小さな声でため息をした。・・・私もバイトしようかな。でもそしたら、和田くんと帰れる機会が減ってしまう気がして実行しようとは思わなかった。でかい足音が近づいてきた。
「奈緒!!!!」
「え!」
和田君だった。
「あれ?部活の・・・?」
「終わった!教室戻ったら、池田が奈緒はさっき行ったばかりっていってたから走ってみた!」
純粋な笑顔を向けられ、私もつられて微笑んだ。この時間が本当に大好きだ。和田くんは、すぐにスリッパを下駄箱に投げ入れ自分の靴を取り出し履いた。その間、私は彼に背を向け鏡で顔に何もついていないかチェックした。口紅を塗り直した時、彼は「いこう」と行って私の横を通り過ぎた。玄関を出て、和田くんは、奈緒のことをじっと見つめた。思わず恥ずかしくて奈緒は手で顔を隠した。
「な、なに?顔、何かついてる?」
「何もついてないよ。奈緒、口紅塗った?」
「うん、塗った」
見破られた、と素直に思った。
「奈緒、ピンクより、違う色の方が似合うと思う」
「え?」
「奈緒は、髪の毛も少し茶色が入ってるし、内巻きにしてるでしょ?肌も、健康的な色だしさ」
和田くんは、幼い頃からモテていた、と同じ小中高をともにしたきた鈴菜が言っていた。だから、元カノという存在もいる。この美貌だもの。当然だ。
「そうかな、でも丁度なくなりかけてるからなぁ」
「挑戦しちゃいなよ」
口紅は、そう高いものを使っていないので私は、和田くんに言われるがままにネットでどれが良いのか教えてもらった。そして、いつも分かれる駅前で和田くんは、何か思いついたような顔をした。
「奈緒、誕生日ってもう少しだよな」
「え、あ、もう少しって言われれば、そうだね」
帰宅ラッシュで、人通りが激しくなってきた。
「俺、プレゼントしてもいい?」
「え、自分で買うよ。」
「でも、奈緒、うれしそう」
それは自分自身が一番気づいてた。
「夏に、タオル買ってもらったから俺もお返ししたい」
小学生男子みたいな幼稚な口調で彼は、お願いしてきた。そんなかわいい顔されたら許可するしかないじゃない。
「わかったよ、お願いします。」
私は折れた。



駅前で手を振って別れた後も、嬉しさはこみ上げるばかりだ。あぁ、なんて良い日だろう。そう思う私は単純なのだろうか、いや、好きな人に誕生日プレゼントを渡すと言われて嬉しくない者は存在しない。私は普通なのだ。それでも、顔のにやけが収まらず、口を手で隠して電車に揺られた。季節は、運動するには丁度良い心地よい風を吹かすものとなっていた。






突然、LINEの通知音がポケットの中で響く。取り出すと鈴菜からだった。
▷田舎?
小馬鹿にしたLINEには思わず笑った。
『まさに、田舎。草ばっか』
『東京じゃ考えられない』
すぐに既読がついて景色を送ってほしいと言われたので、丁度目の前に噴水があったことに気がつき、その光景を撮り送信した。
▷綺麗。住もうとは思わないわ。
同情した。
▷和田が奈緒からの連絡待ってるよ。忙しくて携帯触っていなかっただろうけど、彼氏のことは大事にしなきゃ。
あ、誠輝。最近は引っ越しの準備やここでの親戚の挨拶に追われて、夜になれば疲労ですぐに寝る毎日だった。誠輝のことを忘れていたわけではないが、どこか胸の奥で終わりを告げるチャイムがかすかに聞こえる気がしていた。
『うん。今する。ありがとー』
鈴菜はスタンプで返信してきた。私たちのLINEはいつもこうだ。学校に行けば、会えるし話せるから、必要以上にLINEをすることはない。加えて、鈴菜は家では、純さんとの連絡の時間を大切にしている。私がそこに介入する気もまるでなかった。誠輝とのトークを開くといくつもLINEが届いていた。
▷ついた?
▷田舎?
▷友達できた?
▷今日、電話できる?
▷寝た?
▷おやすみ
▷おはよう
▷練習行ってきます
▷ただいま
▷大丈夫?
▷いっぱい送ってごめん
▷寝た?今日も電話きつい?
▷寝るな、おやすみ
▷おはよう、落ち着いたら連絡しろよ
愛を感じた。今すぐにでも誠輝の胸に飛び込みたかった。けど、ここは石川県。
「はぁ・・・」
電話をかけてみた。お昼を過ぎた今、練習は終わっているだろうし・・・
『よ、久しぶり』
「久しぶり」
出るとは思わなかった。時間にして迷惑ではないと思ったがまさか出てくれるとは、思っていなかったので正直焦った。
「電話・・連絡してなくてごめん」
『いいよ、忙しかったでしょ。大丈夫』
愛しい人の声が聞けて気持ちが和んだ。
「ありがと、クラス発表済んだ?」
『済んだ済んだ。俺と奈緒、本当は三年間同じクラスだったんだぞ!』
「え?どういうこと?」
『先生が発表した紙に、奈緒の名前があったんだよ。多分、奈緒が転校するって言って日もなかったから変えるの面倒だったんだよ!』
三年間同じクラスは、もはや運命!そう思うと同時に私はあたりを見渡した。では、なぜ私はそこにいないのかな。本当は今頃一緒に春休み課題を解いている時間だったかもしれない。部活に迎えに行って、ちやほやされていたかもしれない。いちゃいちゃしていたかもしれない。なのに、どうして私はここにいるのだろう。なぜ、父の行動によるストレスに耐えることができなかったのであろう。今更ながらに行動に悔やんだ。
「そっかぁ。ごめんね」
『大丈夫、奈緒の悩みは知ってたし、止める理由なんてなかったよ。たった一年だ。大学は東京に戻ってくるんだろ?』
「うん」
そうだ、たった一年。ここに住めば良いのだ。そして、有名私立大学に一緒に合格してまた、時を共有して過ごす。長い予備校に飛ばされたと思えばいい。島流しだと思えばいい。たった一年。受験のことばかり考えていればいい。鈴菜も、東京を出る気はないと言っていた。なら、私がそっちに行けばいい。そこで仕事をすればいい。それなら、一生東京。いや、一生誠輝のそばにいることができる。いつだって、誠輝はポジティブだ。そんな誠輝のことが私は大好きだ。だから、胸の奥で聞こえた終わりのチャイムは聞かなかった、聞こえなかったものをして私はしまった。
「誠輝、誠輝のポジティブさ、本当にありがたい。ここに来てずっと自分の選択に苛立ちを覚えていたし、ずっと後悔してた。けど、待っててね。絶対東京行くから、そのためにたくさん勉強する」
『おう。でも、奈緒、勉強できるからなー』
電話越しで、誠輝が笑った。つられて私も笑った。
「前みたいに、会うことはできないけどビデオ通話はできるよね?」
『お、いいね。ビデオで毎日電話しような。勉強教えてくれ』
「毎日は、誠輝の部活の関係でできないでしょ。勉強は教えるよ」
『現実的なこというね、おぬし』
また、昔みたいに一緒に笑い合った。目をあわせて会話をすることができなくても、文明の発達のおかげで私はまだ大丈夫だと思えた。誠輝との電話をやめたのは私の充電が少なくなってきたからだ。二時間も、誠輝と電話をした。久しぶりで、胸の鼓動が早くなっていることがわかった。誠輝とこの公園にきてはいないいし、同じ景色も、見ていないけれどなんだか誠輝と一緒に会話した場所だと思えてきて、最初に来た時より、少しこの公園は好きになっていた。