一人、夜の中で歩く。秋風はもうずいぶんと涼しく、歩道に生えるメタセコイアの葉は燃えるように紅い。もう秋だな、と思いながら腕をさする。少し、薄着すぎたろうか。


30分、なんて言ったくせに、公園に着いてすぐに先生はやってきた。まだせいぜい15分ほどしかたってない。


「こんばんは」


助手席に乗り込むと、先生はわたしにだけ見せるあの笑顔をうかべて、それからふわっ、と私にコートをかけてくる。


「寒かったでしょ?」

「……ありがとうございます」


これほど私のことを見てくれている人が他にいるだろうか? いたとしても、先生だから私は嬉しいのだろうと思う。


先生は、少し走るねと言って車を走らせはじめた。きっとその間に話せってことなんだろうけど、どうにも口が開かない。


きっと、彼は私が何で悩んでいるのか、私がどうしたいのかもわかっているだろう。大人の先生からしたら、私のこんな悩みは晩御飯を悩むのと同じくらいのものだ。


それでも、洋楽が流れる車内で、先生はずっと私が話すのを待っていた。


「……佐藤に……秋祭りに行かないかって……誘われました」


私がようやくその一言を絞り出せたのは、実に30分後のことだった。


「それで?」

「それで、って……」

「レイはどうしたいの? 佐藤と、行きたい?」

「ち、ちがっ」


佐藤と行きたいなんて、そんなこと思ってない。私は、ただ__


空中で視線が絡まる。微かな寂しさを滲ませた目が、私を見つめてくる。その寂しさの裏にあるのは、純粋なまでの私への好意。


信号は、いつまでも赤から変わらない。そんなこと、あるわけがないのに。


「叶うなら……叶うなら、先生と一緒に行きたいです」

「もともと、そういう約束だから?」

「そう、ってことにしておいたら、いい大義名分でしょうか……?」

「そうだね」


先生は近くのコンビニに車をとめると、私にオレンジジュースを買って渡した。


「でもね、レイ。冷静に考えるとそれは難しいと思わない?」

「……分かってます。私は先生の隣を、堂々と歩ける人じゃないってことくらい」


先生は私を好きになってはいけなかったし、私も先生を好きになってはいけなかった。オセロの駒をひっくり返すみたいに、先生への気持ちが変わってしまったあの日から、この罪の味は消えない。


「僕以外なら、レイはそんな気持ちにはならないんだろうな」


窓を開けて、煙草を吸いながら先生は自虐気味に笑ってみせた。もしそうなら、その苦しそうな顔も私以外には見せることなどないのだろうか。


これからのことなんて考えずに、先生と行くと、そう一言言うだけでいい。だけど、私にはそれすらもできない。


「私は……先生とは違って、先生のために何もかも捨てることは……できません」

「そうだろうね。おかしいのは僕であって君じゃないよ」


くしゃりと私の髪を撫でて、この夜のように腹の底なんて何も悟らせないような顔をして、先生は私に触れるようにキスをする。


それから、いいよ、と言った。


「佐藤と行ってきても、いいよ」

「え? でも……」

「もちろん嫉妬はするよ。レイの浴衣も思い出も、全部一人占めじゃないと気が済まないとも思うけど」


私の手を掴んで、ぎゅっと指を絡めて。


「最後は僕のところに来てくれるって、信じてるから」


ああもう、本当に__この人はずるい大人だ。


「もしそのまま……帰って来なかったら、どうするんですか?」

「さぁ、何するか正直予想もできないな。最悪、ショックで死んじゃうかもしれないね」

「さ、流石に冗談ですよね?」

「試してみてもいいよ。あんまりおすすめしないけどね」


送るよ、と車のエンジンをかけた先生とのドライブは、あっという間だった。


帰り際、またね、と手を振った先生の車が見えなくなるまで、私はずっと見つめていた。