心理学の中の言葉で、『スリーセット理論』というものがある。第一印象が最悪でも、二度目、三度目と対応を変えれば、印象も変わるというものだ。

今の自分たちの関係を当てはめてみればそうだ。きっと、レイは最初は嫌いだったに違いないが__そう、ちょうど三度目には答えが変わった。

彼方は、そのことを知っていて行動した。古くからの友人が、心理学を専攻しており、よくそういったことを酒を飲みながら話してくるのだ。

加えて教師という職業は単純接触効果__短い会話などによって勝手に相手への好感度が上がること__も得られる。恋をするのに不満はない環境だ。

ずるいと言われれば、何も否定などできない。彼方自身、ずるいとは思っているが___同時に、レイを手に入れられるなら、手段なんて選ばないとも思っている。

「レイ、また間違えてるよ」

彼方はもちろんそんなことを顔に出さずに、真剣に勉学に励む彼女の隣で、教師らしく働く。

「あ……すみません」

「別に謝ることはないよ。少し休憩する?」

レイがここ__準備室に来て、もうすぐ二時間が経つ。5時を過ぎたこともあり、レイの疲労も考慮して、彼方はそう提案した。長時間の勉学は、思っている以上に効果が薄い。

レイは軽く頷いて、問題集を閉じる。

「疲れました……」

「お疲れさま。コーヒー飲めるなら、淹れようか」

お願いします、とレイはソファに身体を預けながら頷いた。疲れて眠いのか、それに負けないように必死に頑張っている。

けれどそんな努力も虚しく、コーヒーのいい香りが立ち込めた頃には、レイの目はすっかり閉じかけていて。

「レイ? コーヒー、砂糖とミルク、は……起きてる?」

振り返ると、レイは囁きのように

「いり、ま、す……」

とつぶやいて、今度こそしっかり目を閉じた。

一応淹れてしまったので、机に二人分のコーヒーを置いて、レイの身体を軽く揺すって起こしてみる。冷めたコーヒーはまずい。風味なんてあったものじゃない。

しかしレイは安心しきった寝顔を返してくるばかりで、その目を開けることはしない。

「……ねこみたい」

起こすことをあっさりと諦め、そっと彼女の頭を膝の上に乗せ、髪を優しく梳く。柔らかいそれは、触り心地も抜群だ。

白衣を脱いでレイの身体にかけると、コーヒーを飲む。

無防備でかわいい彼女が隣にいることによって、どれほど神経を使うのか__レイはきっと、知らない。そう思えば、彼女は小悪魔かもしれない。

「起きないもんなあ……」

すべすべのほっぺを指先でつつく。彼女は軽く身じろぎをして、その指を掴み、そのまま、離さなくなる。

「……ふふ」

愛しい彼女の手は小さく、なのに触れる人を包むような大きな優しさがある。それはきっと、彼方にはない優しさだ。

レイに引き止められるのは別に悪いことではない。レイが望むなら、すべてを捨てられる覚悟が彼方にはあった。それほどまでに惚れこんだレイは、見つけ出した頃には彼方のことなど忘れていた。

「ん……」

不意に、寝ぼけたレイが彼方の腰をきつく抱きしめる。まるで離さないというように、ぎゅっと。

「……レイ?」

そして、甘えたような寝顔で、レイは無意識のうちに呟いた。

「おにい、さん……」

その言葉がどんな意味をもつのかなんて、気がつかないまま。